臼井儀人とは?不慮の事故死を遂げたクレヨンしんちゃん作者
臼井儀人とは、言わずと知れた大人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者です。彼は2009年、突然山で失踪し、数日後滑落遺体として発見されました。その謎の多い死は多くの噂を呼び、自殺説も浮上。
ネット上では臼井儀人先生の遺書まで捏造されるというセンセーショナルな展開となったのです。そんな臼井儀人先生の人柄、死因、信仰していたと噂の宗教や謎の遺書等、それぞれの真相に迫ります。
クレヨンしんちゃん作者の臼井儀人とは?
ここからはまず、臼井儀人先生の経歴、その信念や周囲からの評判等をご紹介します。臼井儀人先生の人柄、そしてその守り続けていた思いに、周囲の人間は感動し、敬意を評していました。
プロフィール・経歴
臼井儀人(うすいよしと)先生は、1958年、静岡県静岡市で生まれました。その後、漫画「クレヨンしんちゃん」の舞台でもある埼玉県春日部市で育っています。
高校卒業後デザインの専門学校へ通い、中退後、広告会社へ入社。そして29歳の時、出版社に送った作品が漫画賞佳作に入選しデビューを果たしました。
1990年には「週刊Weekly漫画アクション」にてクレヨンしんちゃんの連載が開始。その2年後にはテレビ朝日系列でアニメ化し、世はまさにクレしんブーム。特に小学生達に爆発的人気を得ました。
そんな臼井儀人先生は身長174cmの長身。結婚されており、娘さんも2人いらっしゃいます。
しかし2009年、事故により突然この世を去ってしまいました。そのあまりにも急であっけない死に、当時世の中は深い困惑と悲しみに包まれました。
読者のために顔出しはしなかった
臼井儀人先生は、読者のために顔出しをNGとしていました。それは、自分は感動を売るのが使命、漫画家として謎めいていた方がいい、読者が自分の顔を見るとがっかりしてしまうという漫画家としての誇りからでした。
事故のニュースでも顔写真は一切使われず、葬儀でも遺影、位牌共になしという形が取られています。
周囲の評判も素晴らしかった
そんな臼井儀人先生の周囲からの評判は、素晴らしいものでした。作家とは感じられないごく普通の人で、作品の主人公であり自由奔放な野原しんのすけとは対照的であったといわれています。
臼井儀人先生の死後、編集者より「周囲に気を遣いつつ、威張ることもなく、いい作品を作るために奮闘していた」とのコメントも発表されているほどです。
また、臼井儀人先生と交流があった人達は口々に「まじめで常識があった」「挨拶を必ずしてくれた」「地域の活動にも協力的であった」「子煩悩であった」と評しています。
クレヨンしんちゃん作者の臼井儀人はなぜ亡くなった?死因は?
人気絶頂の中、突然亡くなった臼井儀人先生。ここでは、臼井儀人先生の当日の足取り、その後の経過、そして死因やその真相について紐解いていきます。
荒船山へ登山に行ったっきり行方不明に
2009年9月11日の朝。臼井儀人先生は自宅を出発し、趣味の登山のため1人で群馬県と長野県にまたがる荒船山へ出かけました。夕方には帰宅する予定でしたが家に帰らず、心配した家族が翌日捜索願を提出します。
大人気漫画家が突然行方不明になったということで、各メディアもこのことを大きく取り上げました。
崖下から臼井儀人の遺体発見
足取りが途絶えてから9日後の9月19日。荒船山の断崖絶壁の下、約100メートル下ったところから男性の遺体が見つかりました。
遺体は崖を転がり落ちたことから損傷が激しく、滑落中に脱げたズボン以外の服装は同じだったものの、容姿からの本人断定が難しい状態。この時点では死因は不明であり、真相究明が急がれました。
検死は難航しましたが、5時間の作業の末、最終的には歯型が決め手となり、遺体が臼井儀人先生だと確認されたのです。
死亡したであろうとされるのは山へ入った9月11日の午後。滑落により全身を強打した際、肺が潰れてしまったことが死因でした。
9月21日には出版元である双葉社が記者会見を開き、臼井儀人先生が山に持ち込んでいたデジタルカメラの中身について説明。そこには30枚ほどの写真が残されていました。
写真が崖から下を覗き込むように撮られたものだったため、撮影に夢中で誤って転落してしまったことが死因ではないかと真相の予想がされました。
また、事件性がなかったことから遺族は解剖を拒否。享年52歳、突然の早すぎる死でした。
臼井儀人は自殺?それとも滑落事故?
当時、臼井儀人先生の突然すぎるその死に、死因は自殺ではないかとも噂されました。
荒船山の最寄り駅から臼井儀人先生を乗せたタクシーの乗務員は、帰路の予定を聞いたら「考え中」だと答えたので少し不思議に感じたと話し、そこから「自殺目的で入山したのではないか」と憶測が飛びました。
また、警察は当初死因を、自殺と事故、両面の可能性があるとして捜査を行っています。果たしてその真相は、どのようなものだったのでしょうか。
滑落事故が起きた例はない現場
事故現場は、子供や高齢者でも通れるような岩場でした。
また地元関係者によるとその場所で滑落事故が起きた例はないとのことで、登山に慣れていたはずの臼井儀人先生が滑落したことから、死因が自殺であると後押しする結果となりました。
「人気がプレッシャーだったのでは」と噂された
当時、20年余りも絶え間なく第一線を走り続けていた臼井儀人先生。実はその大きすぎる人気がプレッシャーとなっていたのではないか、やはり死因は自殺なのではないかという噂も浮上。
意外と思われるかもしれませんが、シリアス路線の漫画家よりギャグ漫画家の方が繊細で落ち込みやすいという意見もあるのです。
人を傷つけない絶妙なギャグ加減やネタが被らないような工夫、つらい時も面白いことを描き続けなければいけない環境は想像以上に過酷です。そのため、特にネット上では死因が自殺なのではないかと多く囁かれました。
奥様曰く宗教熱心だったため自殺はしない
しかし、事件後奥様は「夫の宗教上、死因が自殺ということはありえません」とコメント。
これに関し、「ここまで言い切るということは、臼井儀人先生には深く信仰していた宗教があったのでは?」という声が浮上し、段々と真相が見えてくるようになりました。
同じく奥様のコメントの中に、以下のような文面が見られます。
私たち家族は将来の希望として、主人と再会できる日を心から楽しみにしております。(引用:SuponichiAnnex)
臼井儀人先生との関連が噂されていた新興宗教は聖書を元に活動しており「人は死後復活し、楽園で再会できる」という教えがあるのです。そのことから、臼井儀人先生はその宗教に入っていたと考えられました。
また、臼井儀人先生はその宗教に非常に熱心だったともいわれています。それが本当だとすると、遺書がなかったこと、残された写真の風景からも死因が自殺とは言い難いのではないでしょうか。
臼井儀人は宗教に入信し母親ともめていた?
死後、奥様の発言から臼井儀人先生は新興宗教に入っていたとの噂が広まりました。
そして、その入信を巡り実の母親ともめていたとの証言も飛び出します。真相は一体どこにあるのでしょうか?臼井儀人先生が信仰していた宗教やその影響に迫ります。
臼井儀人が入信していたのは「エホバの証人」?
臼井儀人先生が入信していた新興宗教は「エホバの証人」だといわれています。
これはある雑誌の中で臼井儀人先生が「家に来た宗教関係の人の影響で、今は聖書の勉強をしている。漫画のネタにするつもりで始めたが大変面白かった」と書き記しているためです。
実はこの宗教の布教活動は、家庭を訪問し行うことで有名です。またキリスト教の聖書を元に独自の解釈で教えを広めており、その点でも臼井儀人先生の話と一致するのです。
エホバの証人とはどんな宗教?
それでは、新興宗教・エホバの証人はどのような宗教なのでしょうか。その教えは「終末論」と言い、もうすぐ神が世界を破壊し、世界を全て作り直すというものです。
その際、同じ教義の人だけが生き残ることができる、だから布教をして1人でも多くの人を救おう、という理論なのです。活動としては訪問しての布教活動、定期的な集会と勉強会等があります。
また、戒律としては結婚前の性交渉や不倫、デートの禁止、信者以外と仲良くすることの禁止、輸血や国旗敬礼の禁止、冠婚葬祭やクリスマス等各宗教儀式の禁止が挙げられます。
臼井儀人の自宅の隣の宗教施設に土地を提供した説
臼井儀人先生は入信後、自宅隣の宗教施設に自身の土地を提供していたといわれています。真相は不明ながらネット上では、臼井儀人先生の個人事務所の隣に宗教施設が建っているという書き込みも見られました。
また臼井儀人先生は他にも、宗教本部へ多額の出資をしていたといわれています。
印税の一部が入金される通帳を宗教関係者へ渡し、好きに使わせていたとの証言もあるほどです。臼井儀人先生の同居の母親は息子の入信を反対しており、度々もめていたと近所住民も話しています。
クレヨンしんちゃんの作風が変わったのも宗教が原因?
臼井儀人先生が亡くなる2年前の2007年、突如漫画版の作風が変わったと大きな話題になりました。
多くの人が抱く「明るいギャグ漫画」というイメージとは180度違う、暗く衝撃的なエピソードが掲載されたのです。
これに関しては漫画家のいしかわじゅん先生も「ファミリー向け漫画にしては展開が重く、自分も周りの漫画家、編集者もどうしたんだろうと話していた」と語っています。
また、この時期に臼井儀人先生が入信したのではないかとも考えられていますが、真相は闇の中です。臼井儀人先生が入信していたとされる宗教・エホバの証人については、以下の記事をご覧ください。
臼井儀人の作風の変化とは?
では、臼井儀人先生が亡くなる2年ほど前に起こった作風の変化とはどのようなものだったのでしょうか?
様々なエピソードがありますが、ここではまつざか先生、そしてシロに関するものを中心にご紹介します。
また、作風の変化に関して出版社は「臼井儀人先生がやりたいと言った」と回答。臼井儀人先生死後、病んでいてこんな展開を描いたのでは、やはり死因は自殺なのではないかと話題になりました。
まつざか先生に関する鬱エピソード!
読者に一番衝撃を与えたのは、主人公・野原しんのすけが通う幼稚園のまつざか先生に関する鬱エピソードです。彼女には以前から徳郎という恋人がおり、その恋愛模様はそれまで幾度となく漫画でも描かれていました。
しかし問題の回では、徳郎が外国で爆破テロに巻き込まれ突然死亡してしまうのです。その死後、まつざか先生は表向き気丈に振る舞いますが、実は徳郎の後を追うことを考えていました。
そして自暴自棄になり飲酒を繰り返すうちに、仕事中に飲酒をしてしまい謹慎処分となります。その後街で喧嘩を繰り返し、最終的には不良リーダーとボクシングで対決することとなったまつざか先生。
しかし彼女は全く反撃をせず、そのまま殴り殺され自分も死のうとしていました。しかし、試合中に徳郎からの手紙が読み上げられ、その思いに触れたまつざか先生は再び生きる決意をします。
そして試合に勝利し、これからも幼稚園教師という職業を続けていくことを誓ったのです。
この衝撃すぎるエピソードに、当時世間は騒然としました。そして「作者は病んでしまったのではないか」と心配する声が次々上がったのです。
他にもあるクレヨンしんちゃんの鬱エピソード
では、臼井儀人先生は前述の回から突然暗いエピソードを描くようになったのでしょうか。
実は、漫画版には以前から鬱エピソードが存在していたのです。特に、しんのすけの愛犬・シロに関するものが多く描かれています。
シロが捨て猫を助けようとしたエピソード
こちらはシロが街で捨て猫を見つける話です。捨て猫はまだ子猫で、病気にかかっていました。シロはその子猫に、毎日自分の餌を運び食べさせ続けたのです。しかし、数日後子猫は死んでしまいます。死因は病死。
段ボールの中で死んでしまった子猫を見て、餌を落としショックを受けるシロ。死んでしまった子猫にハエがたかる描写は衝撃的なものでした。
シロが仲のいい犬の死を目の当たりにしたエピソード
シロが、大型犬に襲われている野良のメス犬を助けることから始まるこの回。助けられたメス犬はそれを「頼んでねーよ」と跳ねのけますが、シロが毎日自分の餌を運び分けたことでメス犬も心を開きます。
ある日シロがしんのすけと散歩をしているとそのメス犬と遭遇。メス犬は喜び、シロを目がけて駆けだしますが、スピードを出し過ぎた車に轢かれてしまうのです。しんのすけが車に怒るも、ドライバーはそのまま逃走。
死んでしまったメス犬を前に震えるシロ。心を開いたメス犬の悲しい死は、非常に残酷なものでした。
シロが大きな野良猫を匿うエピソード
家の庭で昼寝をしていたシロの元に、突然大きな野良猫が現れます。野良猫はシロを威嚇し、餌を食べてしまいます。悔しがるシロでしたがその夜、冷え込む大雨の中、また野良猫が現れたのです。
シロは野良猫に負けないよう、小屋にバリケードをし待ち構えていましたが「凍え死にそうなんだ」と話す野良猫をすぐに小屋に入れ、自らの体で暖を取りました。
野良猫はその優しさに涙しましたが、朝になり、野良猫が小屋に入り込んでいるのをしんのすけとみさえが発見。
慌てたみさえにほうきで追い払われてしまいます。野良猫はホコリにまみれ、シロをじっと睨みながら去っていきます。
シロはしんのすけに抱き付かれながら、それを見送るしかできませんでした。このように、実は残酷なエピソードが多いシロ。そんなシロに関して、詳しくはぜひこちらの記事をご覧ください。