宜保愛子の死因は胃癌だったのか?彼女の霊能力と噂されるかもめ荘の呪いを検証する

企画内では石橋貴明が「宜保タカ子(イボ・タカコ)」と名乗り、宜保愛子の特徴をパロディ化し、その顔に特徴的な「イボ」をつけた扮装で登場。木梨憲武扮する「みのりもんた」と心霊スポットへ赴き、ドッキリとして爆薬を仕掛けたりゲストを驚かせたりと、破天荒な企画ではありましたが、あっという間に番組内の人気コーナーとなりました。

宜保愛子バラエティへ進出

Alexas_Fotos / Pixabay

当時大人気だったとんねるずにネタにされると、宜保の存在は一般の層にまで知られていきます。その後、宜保は一般層向けのゴールデンタイム番組にも出演するようになり、霊視や除霊、霊にまつわる話、心霊写真の鑑定などを披露するようになりました。

宜保愛子ピラミッドを霊視!

宜保愛子の特に有名な逸話として、ピラミッドやツタンカーメンに関する霊視があります。「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」という特番内でエジプトを訪れた宜保は、その能力で次々と驚くべき事実を言い当てていきます。この番組は高視聴率を記録。未だに伝説の番組として語り継がれています。

宜保愛子ツタンカーメンの死因を特定!

番組の中でエジプト考古学博物館を訪問、霊視した宜保は「(ツタンカーメンが)次の王である叔父に殺されたと語りかけてくる」と話し出しました。そしてワイン壺の棚の前で「これですよ、これ」とひとつの壺を指さし、その壺に入っていたワインで毒殺されたと言うのです。

当時ツタンカーメンの死因について、ワインによる毒殺という説は有力ではありませんでした。しかしその後番組サイドの必死の調査により、イタリアの論文の中に「ツタンカーメンは(宜保が指摘した)壺のワインを飲んだ後に死亡した」という説を発見。偶然では片づけられない展開に、改めて宜保愛子のすごさを世に知らしめることとなったのです。

ピラミッド内は重力が半減!?

ツタンカーメンの死の真相を解いた後、宜保は実際にエジプトのピラミッドを訪れ霊視をしています。ピラミッドの謎と言えば、あの構造。数千年前の古代エジプトで、約300万個の石が、その隙間に剃刀の刃も入らないほど正確に積み上げられたのです。あれだけ大きな石をどのように積み上げたのか、そこには様々な議論があります。

鳥の神イビスの力

ピラミッドを前にした宜保は「これを積み上げるのにはとても不思議な力が働いていた。この国には超優秀な超能力者たちがいた」と話し始めます。そこで、彼女の見た「建設の指揮を執っていた者」をそのまま紙に描いてもらうと、首の長い鳥の絵が完成しました。専門家は、それは古代エジプトの鳥の神・イビスの姿そのものだと指摘します。

ピラミッド建設指導者の裏付け

宜保は「超能力者たちが、この鳥の神から力を借りた」と主張します。その霊視を裏付けるため、宜保と製作スタッフは、ピラミッド建設指導者の像が所蔵されているドイツのハーバーという国へと飛びます。

博物館へ到着し宜保が早速その像を霊視すると「石は人が運んだが、確かにその重さは半減していた。上に行けば行くほど軽くなっていった」「一時的に(超能力者の)パワーで、引力を弱めるということが出来た」と語り始めました。宜保がエジプトで見た光景とのいくつもの合致に、視聴者もスタジオも色めきたったのです。

多くの霊が宜保愛子に縋ってくる

Free-Photos / Pixabay

宜保は、ピラミッドを前にした途端「とても嫌」と表現し、中に入ることを渋りました。しかしその後は内部へと進み、「とても沢山の人が私に縋ってくる」と言い始めます。大回廊の辺りで、耐えかねた彼女は引き返し始めますが「大勢来る、私の肩につかまる、腕のない人もつかまってくる、重たい」と苦しそうに語りました。

なんとか引き返した宜保は地面へ座り込み、「二度とピラミッドに入れないほど怖かった」と言い残しました。ピラミッド建設に霊的な力が働いていたとはいえ、大きな石を積んでいく過程で頻繁に事故が起き、沢山の人が亡くなったのでしょう。4500年前から留まり続ける寂しい亡霊達が、その存在を感じ取れる宜保に縋った結果だと言えます。

「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」

多くの功績を遺したこの番組「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」は、こちらから観ることが出来ます。ツタンカーメンの死の真相については311秒から、ピラミッドの謎については1時間8分から始まります。ぜひ、宜保が実際に喋り、動き、霊視する、貴重なその姿をご覧ください。

宜保愛子明智光秀の墓を霊視!

宜保には他にも沢山の逸話がありますが、その中でも特に日本の史実に関係したエピソードをご紹介します。それはなんと、あの明智光秀の墓の霊視。エジプトの時同様、この時も宜保は歴史の新事実を見てしまいます。

割れた明智光秀の墓

和歌山県の高野山には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など著名な武将の墓が多く存在しますが、その中で、明智光秀の墓は異彩を放っています。なんと彼の墓だけ、墓石が綺麗に真っ二つに割れているのです。なんでも、何度修復しても、何故か同じように割れてしまうとのだとか。

宜保は2002年にフジテレビで放送された「日本列島元気満点!力あわせてゴーゴゴー!!ネプ×宜保×マサイ国際心霊交流スペシャル」にて、ネプチューン、マサイ族と共に、この曰く付きの墓を訪れています。

信長の恨みで割れる?宜保の霊視で発覚した新事実

この墓は昔から、明智光秀に殺された織田信長の恨みにより割れているのでは、と言われていました。信長は、その厳しい仕打ちに耐えかねた光秀により天正10年(1582年)本能寺にて襲撃され、その場で自害しています。皆さんご存知、本能寺の変です。

しかし宜保は光秀の墓を見るなり「光秀は、本当の自分を語ってもらえない悲しさを持っている」と話します。そして「光秀を後ろで操った人がいる。しかし武士として、その人物の名は言えないと言っている。とても強い無念を感じる」と、驚愕の事実を語りました。

NEXT 光秀を操った人物とは?