人類史上最強の核兵器・ツァーリ・ボンバ!日本に落ちた時の被害範囲は!?

Array

ツァーリ・ボンバが爆発する際の出力は、第一段階の核分裂反応で1.5メガトン以上、第二段階の核融合反応で50メガトン以上、第三段階のウランによる核分裂反応で50メガトン以上と、相乗効果で100メガトンを超える恐るべき破壊力が生まれます。

広島に投下されたリトルボーイと比較すると?

stux / Pixabay

広島に投下されたリトルボーイの破壊力は15キロトンでした。ツァーリ・ボンバの破壊力は恐るべき5万キロトンとまさに桁違いの威力でした。実に3300倍という驚異的な数字となります。爆発によって生じるキノコ雲も、ふたつを比較すると大木と豆粒ほどの差となります。

開発者たちの苦悩

StockSnap / Pixabay

開発当時、世界中から優秀な天才科学者たちが核兵器研究のために集められました。核兵器の恐ろしい威力を一番理解していたはずの開発者たち。彼らはなぜ地球を破滅に追い込むかもしれない核兵器を製造していったのでしょう。

アメリカでの研究生活

開発者の多くはユダヤ人でした。もしもドイツが先に開発を成功させた場合、世界がヒトラーに支配されてしまうと恐れたのです。それを回避するため彼らは自らアメリカの極秘研究施設「ロスアラモス研究所」に入り、閉じ込められた研究生活を選びました。しかし、核爆弾完成前にドイツが降伏してしまいます。

広島・長崎に原爆が落とされる

TGrand / Pixabay

ドイツが降伏したため研究者たちもう原子爆弾は不要になったと考えました。ですがアメリカ軍は次は日本を降伏させようと、広島と長崎に原爆を投下します。その悲惨な被爆状況を知った科学者たちは大きな衝撃を受け、後にその多くは核廃絶運動に参加していきます。

開発ふたたび

geralt / Pixabay

終戦と同時に科学者のほとんどは研究所を離れました。広島・長崎の罪悪感に苦しんでいたのです。しかし、ソ連が核爆弾を開発したことで、彼らは再び悪夢へと連れ戻されます。アメリカ政府はソ連のもつことになるであろう新型核兵器である水爆の開発を求めたのです。

強すぎるので威力半減にしたって本当!?

geralt / Pixabay

ツァーリ・ボンバは100メガトンの威力を実現する水爆でした。その威力は、広大な国土を持つソ連であっても領内の広域に渡って被害が及ぶであろうものでした。影響を懸念したソ連当局は、その威力を半分に抑えて実験することにしました。

開発者のロシア(旧ソ連)が恐れた!?

TheDigitalArtist / Pixabay

100メガトン級の爆発ともなれば、ソ連領内の人口密集地へ死の灰と呼ばれる放射性降下物が多量に降る事が予想されたました。そのため実験では第三段階のタンパーが鉛に差し替えられ、出力は半分の50メガトンに抑えられました。

ソ連最高指導者だったフルシチョフは「モスクワのガラスがぜんぶ割れないように出力を減らした」とジョークを飛ばしたといいますが、それはジョークではなく本当に被害を恐れていたのです。

唯一の大気圏内核実験!

WikiImages / Pixabay

ソ連は万を辞してツァーリ・ボンバの公開実験を行います。党大会直前に日時を設定し、その実験場所や威力をあらかじめ公開した上で行うことで、国力を示そうとしたのです。当時の世界情勢は、ベルリンの壁建設、キューバ危機などでかなり緊迫した状況でした。そんな中での公開実験により世界中が打ち震えました。

1961年10月30日の出来事…

AlexAntropov86 / Pixabay

人類史上最大の威力を持つツァーリ・ボンバですが、1961年10月30日、旧ソ連領のノヴァヤ・ゼムリャ島にて大気圏内での実験が行われました。半径58キロメートルの範囲に渡り、致命的な火傷を負う強烈な熱線が届きました。凄まじい威力だったため、爆心地周辺は未だにその影響が残っています。

地球3週分の衝撃を記録!?

qimono / Pixabay

大気圏内核実験の爆発は、2000キロ離れた地点からも確認されました。米国の観測によると、キノコ雲は64キロメートルの高さに達したということです。そしてなんとその衝撃波は地球を3周し、日本の測候所でも記録されました。

放射線による致死域は爆心地から直径約13キロ、爆風によって殺傷を及ぼす範囲は直径46キロ、致命的な火傷を追う熱線の届く範囲は直径116キロとされています。また爆心地から900キロ離れた先でも窓ガラスが割れる被害がでました。

兵器としては効率性が悪すぎる?

12019 / Pixabay

かなりの威力を持つ爆弾ツァーリ・ボンバですが、そのサイズは爆弾としてはかなり大型のものでした。威力だけ言えば人類史上最強ですが、国力の誇示以外に使い道のない非実用的なものだったのです。

あまりにも巨大

Pexels / Pixabay

ツァーリ・ボンバは全長8メートル、直径2メートル、重量はなんと27トンという巨大な爆弾です。その大きさ故、特別に改造された戦略爆撃機によって運搬されたましたが、それでも機内に納まりきれず半分が機外にはみ出していました。また重さにより戦闘機はスピードが出せず実用的ではありませんでした。

小型の弾頭をバラまくほうが効率的

WikiImages / Pixabay

やがて偵察技術の発達と核弾頭の命中率が上がったことにより、協力な水素爆弾を作る必要はなくなっていきました。また多弾頭ICBMが開発されたことで小型弾頭を多くばらまく方が効率的だと分かり、アメリカとソ連の水爆開発競争も終りを迎えることとなります。

ツァーリ・ボンバがもし日本に落ちたら…?

開発競争が落ち着いた水爆ですが、もしもツァーリ・ボンバが日本に落ちたとしたらいったいどのような被害がでるのでしょうか。大都市に落ちたことを想定し、被害が及ぶ範囲を具体的に見ていきましょう。

東京に落とされたら…

12019 / Pixabay

まず東京23区は激しい爆風と熱線によって完全に破壊され、何も残っていない更地になります。さらに埼玉、神奈川、千葉も深刻な放射能被害が及び、宇都宮や熱海までも爆風によって窓ガラスが割れてしまいます。ただた一発の爆弾で日本の中枢が壊滅するのです。

大阪に落とされたら…

oakdog / Pixabay

大阪府は東京と同様に強烈な爆風とつよい熱線で崩壊します。神戸、京都、奈良にも熱線による深刻な放射能被害が及び多くの死者が出て建物も崩壊します。さらに爆風が届く範囲には淡路島や琵琶湖もすっぽり入ってしまいます。

最強にして最恐のツァーリ・ボンバ!

Capri23auto / Pixabay

ここまで最強の爆弾ツァーリ・ボンバについてお伝えしてきました。今現在、ツァーリ・ボンバのような巨大爆弾は造られていませんが、世界には多くの核兵器が存在しているのが事実です。こうした核兵器を保有する諸外国は、核保有によって結果的に諸国間の均衛を保っているともいえます。

広島・長崎に原爆が落とされてから70年以上核爆弾は使用されていません。この後何十年、何百年後も核爆弾が使われることの無い平和な世界を願うばかりです。

フィラデルフィア実験に関する記事はこちら

古代核戦争に関する記事はこちら