柳田哲志アナウンサーの放送事故とは?怪我の詳細や現在の活動について

Array

柳田哲志さんは、特別支援学校など様々な場所で講演会も行っています。車いすに乗った姿で登場し、後遺症と向き合うことや現実の厳しさ、日々努力していること、感謝の心を持つことの大切さなどを伝えています。

車いすで活躍している有名人

stevepb / Pixabay

脊髄損傷を受傷した後も、車いすに乗ってアナウンサーの仕事を続けている柳田哲志さんですが、他に車いすで活躍している人はいるのでしょうか。車いすで音楽活動をしている人や市会議員など、多くの人が車いすで活躍していますが、ここではアナウンサー・リポーターの方を紹介します。

千葉絵里菜さん

Pexels / Pixabay

生まれつき脳性麻痺がありますが、電動車いすを使って、車いすカーリングや車いすサッカーなど、積極的にスポーツに取り組んできました。2018年には、NHKが公募した平昌パラリンピックのリポーターを務めました。千葉絵里菜さんは、東京パラリンピックのリポーターにも選ばれています。

八代英太さん

アナウンサーとして活躍していましたが、1973年に歌謡ショーの舞台から転落し、脊髄損傷を受傷し車いす生活となりました。「車いすの司会者」として1976年まで司会者を務め、1977年からは政治家として活躍しています。

現在は「宮崎県ボッチャ協会」の副会長を務めている

mohamed_hassan / Pixabay

「ボッチャ」というスポーツを聞いたことがありますか?柳田哲志さんは現在、宮崎県ボッチャ協会の副会長を務めています。柳田さん自身もボッチャの選手として試合に出場することもあり、ボッチャを通して人とのふれあいの機会も多く持っています。

「ボッチャ」はスポーツ

Pexels / Pixabay

ボッチャはヨーロッパ発祥の、重度脳性麻痺や四肢麻痺の人のための考案されたスポーツで、パラリンピックの正式種目でもあります。年齢や性別、障害の有無に関わらず、どんな人でも一緒に競い合えるスポーツです。

ボッチャはジャックボールと呼ばれる白いボールに、赤・青それぞれ6球ずつのボールをいかに近づけるかを競います。ボールは投げても、転がしても、蹴っても、他のボールに当てても構いません。投げることが難しい人は、専用の滑り台を使ってボールを転がすこともできます。

団体戦で優勝

柳田哲志さんは、脊髄損傷受傷後も前向きにリハビリに取り組み、スポーツができるまでに回復し、宮崎ボッチャ協会の副会長にも就任しました。2017年9月27日のブログでは、大分オープンボッチャ大会で自身の所属する宮崎ボッチャクラブチームが初の優勝を勝ち取ったことを綴っています。

柳田哲志アナウンサーのブログ

geralt / Pixabay

柳田哲志さんは、以前から自身のブログを運営していました。しかし、2008年6月の脊髄損傷受傷後は、更新が滞っていました。現在はテレビ宮崎の公式ブログで、”轍”というブログを運営しています。

2012年から再開

Free-Photos / Pixabay

柳田哲志さんのブログ”轍”は、2009年8月11日から始まっています。2009年、2010年、2011年はブログの更新は年1回程度でしたが、2012年から本格的にブログの更新を再開しています。現在は1~2ヶ月に1回、不定期にブログが更新されています。

ブログには、日々の考えたことやボッチャを通じての人とのふれあいなどについてが書かれています。また、様々な場所に出かけたことや、近所で通りかかった場所のレポートなどもあり、宮崎の自然豊かな景色の写真が掲載されています。

宮崎周辺の自然を堪能したい方はこちらもご覧ください

国家資格取得の報告

stevepb / Pixabay

柳田哲志さんは自身のブログで、2010年11月に情報処理技術者試験に合格したことを報告しています。情報処理技術者試験とは、情報処理の知識や技能が一定の水準以上であると経済産業省が認定している国家試験です。柳田さんは受傷後も前向きに目標を持ち、努力を続けてきたのです。

他にもある!有名な放送事故

stevepb / Pixabay

柳田哲志さんが大怪我を負ったことは、生放送での放送事故であったために有名になりました。他にも、菊間千乃アナウンサーの転落事故や、都市伝説とも言われる能登半島地震の電話インタビューで起こった苗山事件など、有名な放送事故があります。

菊間千乃アナウンサー転落事故

Free-Photos / Pixabay

1998年9月2日、生放送で菊間千乃アナウンサーが災害時に高い所から避難するための避難器具の紹介をしていました。ビルの5階から、ロープを付けて降りてくるというものでした。しかし、固定されているはずのロープが外れて菊間さんは転落し、腰椎骨折の重傷を負いました。

事故の原因は、ロープが切れてしまったという説もありますが、現在はロープのフックが外れてしまったという説が有力です。転落事故後、菊間さんはリハビリのため、1年間の療養生活を余儀なくされました。

苗山事件

2007年3月25日、能登半島地震が起きた際に、NHKのアナウンサーが中能登町役場総務課の苗山さんに電話インタビューをしました。苗山さんは地震発生直後の様子や停電について落ち着いて受け答えをしていましたが、途中で言葉を切って数秒間沈黙した後、全く別の声と口調で受け答えをするようになったのです。

声が変わる前の苗山さんは年配の落ち着いた声で、「停電している」と話していましたが、声が変わった後の苗山さんは甲高い早口で「復旧しました」と話し、内容が矛盾していました。しかし、電話が変わったのかという質問に対し、声が変わった後の苗山さんは「変わっておりません」と答えています。

柳田哲志アナウンサーの今後の活躍にも注目!

柳田哲志さんは、現在もアナウンサーとして、またボッチャの選手や協会の副会長として、幅広く活躍しています。以前よりテレビでの出演は減りましたが、ナレーションとして声で出演することが増えています。あなたもテレビの片隅やエンドロールに、「柳田哲志」の名前を探してみてはいかがでしょうか。

宮崎から行けるグランピングに関する記事はこちら

YouTubeで閲覧できるトラウマほど怖い動画に関する記事はこちら