論文に記載されている論述としては、大きく3つの主張に分かれており、模擬実験されている空間が本当にあるものなのか、この世がバーチャルであると主張するための3つの項目についてご紹介します。
①現実と区別ができないほどの世界を作れる生命体はいない
我々人類の様な生命体が、現実と区別できないようなワールドを作る事が出来ないだろうという事を述べています。
現実の様な空間を作り出す事は難しく、その技術力にまで到達する事も難しいと言います。
②高度な技術を持っても何らかの理由からシミュレーションはしない
現実的には不可能だと考えられるワールドを、作り出す事が出来る技術力を持っていたとしても、作り出す事に関心を持てないでいるのではないか、とも提唱しています。
それほど文明が発達していた場合、他の空間を作り出したいと考えるかどうかを疑問視しており、模擬的な検証自体をしない可能性もあるでしょう。
③私たちはもう既にシミュレーションの中にいる
上記2つの可能性をふまえて、道徳観念や法的な観点から模擬検証をしてみるといった考えを生まないとしていながらも、過去や祖先に興味を持つなど、何らかの原因によって検証してみたいと考える事もあるでしょう。
この事から、実はすでに模擬的な検証装置として生きているのではないかと導き出されます。
世界がシミュレーションである可能性
見えている現実が模擬実験場であるとするのなら、どのような可能性が考えられるのかご紹介します。
現実が真実ではないのでは、生きている意義を根底から覆される事になるでしょう。そういった事を頭に入れながら、「もしも」を考えてみて下さい。
未来人類の仮想現実
もっと先の未来の人間たちによって仮想現実として作られた模擬実験場ではないかと考えるケースもあります。
高度な文明を持った別の種族ではなく、遙か未来の技術力で作られているのではないかとする説です。
夢という仮想現実
空や海、周囲の人々は誰かの夢の産物であり、夢の中で生きているのではないかと言う事も考えられます。
夢を見ている時を考えてみると、自身が見ている夢のはずなのに、意識は自分以外のモノを操る事が出来ません。夢の中では夢自体が現実の様に考えてしまう思考はどこから来るのでしょうか。