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サザエさん原作が誕生した時代背景
ここまでは、主にテレビで放送されているアニメについてお話をしてきました。そこで、ここでは原作の漫画について少しだけお話ししたいと思います。
終戦直後から復興期に誕生
前述のように原作が新聞に掲載され始めたのは1946年からです。太平洋戦争の終結が1945年ですから、まさに終戦直後の日本の復興期初期に誕生した漫画なのです。
昭和を象徴する作品
復興期に描かれた漫画は、磯野家と近所の人々の日常生活を題材に、生き生きと生きる姿を描いていました。まさに、昭和という時代を象徴するような作品でした。その後、時代の変化とともに作風も変化していきました。
波平の年齢の違和感は現代人が昔より若々しいから?
改めて登場人物の見た目と、年齢設定の違和感の話に戻りたいと思います。波平の年齢に違和感を感じるのは、原作が描かれた頃の時代背景だけでなく、現代の時代背景も関係しているものと考えられます。
昔は40代でも「おじさん」
前の章でも述べましたが、原作の漫画が始まった終戦直後の日本人の平均寿命は、男性で50歳ほどでした。このような時代であれば、40代にもなればもう立派な「おじさん」です。
波平の54際という年齢はすでに平均寿命を超えており、当時ではかなりの高齢者ということになります。終戦直後ということを考えると、自宅で和服というのもうなずける設定です。逆にスーツ姿で商社に勤務していたのが、驚くべきことかもしれません。
若々しさは生活環境が影響?
平均寿命だけでなく終戦直後と現代を比べてみると、生活環境にも劇的な変化があります。食生活の変化はその最たるものでしょう。食べるものもろくになかった時代と比べ、現代人は肥満が社会問題になるほど、栄養のある食事に恵まれています。
人々の健康や美に対する意識の向上、そして美容技術の進歩も大きく影響しているでしょう。今は男性でもお肌のケアに気をつける時代です。総じて現代人が同年代の昔の人より若々しい肉体を保っていることも、年齢に違和感を感じる要因と考えていいでしょう。
2019年現在なら波平の年齢は何歳になる?
ストーリーは1話で完結し、季節は変わっても歳は取らないのがこの漫画の特徴です。でも、もしキャラクターが生まれてから毎年歳を取っていったとしたら、磯野家のみんなは、いったいいくつになっているのでしょう。
実際に生きていたら超長生き
磯野家の人が誕生してから普通に歳を重ねていたとしたら、今年でいくつになるのかを下にまとめました。波平とフネの夫婦は現代でももう存命でないかもしれません。サザエさんはあと3年したら、100歳の誕生日を迎えます。あの可愛いタラちゃんが72歳のおじいちゃんだなんて、ちょっと想像できないですね。
- 磯野波平:1895年9月14日生まれ(2019年現在:124歳)
- 磯野フネ:1901年1月11日生まれ(2019年現在:118歳)
- 磯野カツオ:1938年3月11日生まれ(2019年現在:81歳)
- 磯野ワカメ:1942年6月15日生まれ(2019年現在:77歳)
- フグ田サザエ:1922年11月22日生まれ(2019年現在:97歳)
- フグ田マスオ:1917年4月3日生まれ(2019年現在:102歳)
- フグ田タラオ:1947年3月18日生まれ(2019年現在:72歳)
波平は明治生まれ
原作漫画での波平は誕生年が、1895年に設定されており、明治でいうと28年にあたります。漫画の連載がスタートした1946年に54際の設定なので、その逆算なのでしょう。第一次〜第二次世界大戦が1914〜1945年なので、2つの大きな大戦を生き抜いてきて、あの漫画に登場しているのですね。
原作とアニメに若干の年齢の差はあるようですが、終戦直後に塀に囲まれた庭付きの一軒家に住み、盆栽やゴルフをたしなむ生活はとても凄いです。もしかすると、もともとかなりの資産を持っていた家系なのかもしれません。ただ、商社勤めをしていたので、そこは少し矛盾してしまいますが。
サザエさんの街に行こう!
サザエさんの舞台になった磯野家は、東京都世田谷区桜新町あさひが丘3丁目にあります。また、原作者の長谷川町子氏は、新聞の連載を始めた時期には九州の福岡に住んでいました。
そういった経緯から、東京と福岡にはサザエさんにちなんだ街や通りがあります。そんなゆかりの深い街に出かけて見てはいかがでしょう。
東京のサザエさん通り
東急田園都市線の桜新町駅を出たところにあります。北口・南口・西口の3つの出口を出たところに、磯野家ファミリーの銅像が立てられており、街に来た人々を優しく出迎えてくれています。駅の西口をでて少しいったところに、桜新町商店街「サザエさん通り」があります。
駅からサザエさん通りまで誘導してくれるイラスト看板があるので、迷うことはないでしょう。商店街の通りを歩いていると、いたるところにキャラクターのパネルがおかれていて、それらを探しながら散歩することができます。
福岡のサザエさん通り
福岡市早良区の脇山口交差点から、シーサイドももち海浜公園入口に続く、およそ1.6 kmの道路が「サザエさん通り」と呼ばれています。福岡市は原作者の長谷川町子氏が、幼い頃や戦争中の疎開先として過ごした、とてもゆかりの深い街なのです。
サザエさん通りを中ほどまで進むと「磯野広場」と呼ばれる場所があります。ここには、福岡がサザエさんの発祥の地であることを示すモミュメントが建てられており、磯野家のイラストと一緒にそのことが書かれたパネルをみることができます。
アニメ「サザエさん」スポンサー企業の遍歴
民放テレビの番組にはアニメに限らず必ずお金を出してくれる、スポンサー企業というものが存在します。スポンサーからのお金がないと、番組そのものが制作できませんので、非常に大切な存在といえます。
一方企業側はその番組を見てくれる視聴者に向けて、宣伝効果を期待して資金を出します。そのため、企業にとってはどんな人が主にこの番組を見ているのか、またどのくらい人が見ているのかはとても重要な要素です。
サザエさんといえば東芝だった
サザエさんといえば、東芝を思い浮かべる方も多いでしょう。実際アニメ版が放送を開始した1969年から2018年まで、実に50年近くスポンサー企業をつとめてきました。そのうち1969〜1997年までの28年間は、1社のみの単独スポンサーでした。
しかし、経営状況の悪化にともない、2016年には家電事業部門を中国の美的集団に売却しています。今までメインターゲットとして来た子供を持つ家族層に対しての宣伝の意味合いが薄れたこともあり、2018年3月末でスポンサーを降板しています。
新しいスポンサーにはアマゾンも!
新しいスポンサーにはいくつかの有名企業が名乗りを上げましたが、その中には高須クリニックなどもあったようです。しかし最終的にスポンサー企業の座を獲得したのは、アマゾン・西松屋チェーン・大和ハウス工業の3社でした。
西松屋チェーンや大和ハウス工業は、ベビー服や住宅の購入をしそうな視聴者層への宣伝効果を期待したのであろうことは容易に推測できます。一方のアマゾンについては、現在力を入れている「プライム会員」の増加を期待しているとの見方が有力です。
波平の年齢は意外と若かった!
波平と磯野家ファミリーの年齢を中心に解説してきましたが、いかがだったでしょうか。アニメで見る雰囲気と違い、みんな結構若かったんですね。年齢や家族像の設定に違和感を感じるところもあるかもしれません。
現代の人から見るとツッコミどころも満載ですが、そこはあくまでも漫画です。今回の記事で知っていただいた漫画の時代背景なども考えながら、改めて日曜夕方のアニメを見てみるのも面白いのではないでしょうか。