死体の傍にハサミがあった事は公表されていませんでした。犯人しか知り得ないであろう情報を口にした彼女の発言を重く受け止めた警察は、供述された少年を尋問します。ですが、疑いをかけられた少年には確かなアリバイがあり、犯行は不可能。ここにきてとうとう捜査線上にメアリーが浮上したのでした。
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ついにメアリー・ベル逮捕!
長い間、大人たちを翻弄し続けていたメアリー・ベルは、共犯者とみなされたノーマ・ベル共々逮捕されます。弱冠11歳という幼い連続殺人犯に、イギリス中が戦慄しました。虚言で警察を惑わせてきたメアリーでしたが、逮捕の際にもそれが止まることはありませんでした。
凶器のハサミを知っていたため逮捕
ブライアン君殺害後、メアリーはマーティンの時と同じように自分が犯人だと言いふらしました。それと同時に「ハサミで殺されたんでしょ?あの子がハサミを持っていた。犯人はあの子よ」とも口にし、周囲を混乱させます。しかしこの発言が大きなカギとなりました。
なぜならその時、ブライアンの体がハサミによって切り刻まれた事は極秘事項だったのです。他の男児に罪を着せようとする傍らで自分が犯人であることを主張していたメアリーは、殺人と、その罪による逮捕という形でやっと周囲から真実を認めて貰えたのでした。
逮捕後、メアリーは打って変わってだんまりを決め込みます。しかし、事件の大きさに気が付いたノーマのほうが警察に全てを打ち明け、全ての真相が明るみに出る事となりました。メアリーは「私が殺したこと、誰にも言っちゃダメよ」と言い聞かせていたそうです。
ノーマはメアリーより2つ年上で、友達同士という関係にしては少々いびつで、主人と家来のような関係であったと言われています。彼女は犯行現場を見せられたり、犯行の説明を聞かされたりはしたものの、直接的な加担はしていないとしてのちに釈放されています。
やがてメアリーは殺人に関わった事実を認め、事件の詳細を語り始めます。しかし、それらは全てノーマがやった事だと言いました。ですが、「ブライアンのお腹を剃刀で傷つけた」とノーマに話した事に加え、凶器となった剃刀を隠した場所もノーマによって証言されます。
垣間見える異常性
メアリーはブライアン少年の息の根を止めたあと、蒼褪めた死体の唇をなぞり「面白かった」と呟いたそうです。また、逮捕当日の午前中にはブライアンの葬儀が行われており、メアリーは彼の家の真正面にいました。そしてブライアンの棺が運ばれていくのを、大喜びで見物していたのです。
監視役の警部は、メアリーの心底嬉しそうな笑顔にゾッとしたと後に語っています。このまま彼女を放置すれば、また遠くない未来、幼い子供の命が犠牲になってしまう。まるで虫をいたぶり殺すように、メアリーは人間の子供を遊び殺している何よりの証拠でした。
感情の欠落した少女と、「ある一面」
取り調べに付き添った看護婦いわく「あの子には何の感情もないように感じた」。メアリーを診た精神科医は「かなり利口で、とても戦略的、かつ危険」と判断しています。どれもこれも、お手本のようにサイコパス人格の定義に当て嵌まります。
裁判が始まるまで、メアリーは婦人警官の監視下のもと生活を送りました。ここでも彼女は「裁判官が懲役30年って私に言うかしら?」「私が裁判官なら、一年半ね」「殺人はそんなに悪い事でじゃないでしょ。だって、みんないつかは死ぬんだもの」などと発言しています。
ある時、拘置所の中に猫が現れると、メアリーは絞め殺さんばかりに抱き締めます。婦人警官がそれを注意すると、「あら、猫はそんなこと感じてないわ」「私はね、抵抗できない小さなものを痛めつけるのが大好きなの」と返します。この嗜虐性、罪悪感の欠落がまさに、サイコパスと呼ばれるゆえんなのです。
異常な人間性の背景にあるもの
しかしながら一方で「おねしょしたらいけないわ」と怯え、夜通しトイレへ行き、全く寝付かなかったといいます。過去に夜尿を必要以上に責められ、まさしくトラウマになっていたのでしょう。他にも虐待によるものとみられる抑鬱・悪夢・家出癖・解離性離脱障害などが大人になってもメアリーを苦しめます。
また拘留初日の夜には、自らの生い立ちを暗示するような歌を歌ったといいます。「お前は汚れたゴミの蓋、お前のしたことパパ知れば、ベルトでお前を引っ叩く」と言った意味合いの、それはそれはとても澄み渡った悲しい歌声であったといいます。
メアリー・ベルの裁判の結果
逮捕後のメアリーは11歳とは思えない苛烈さで警察官を挑発します。「あなたたち、私を洗脳しようとしているんでしょ。弁護士の先生を呼んで、ここから出して貰いますから」などと言い、子供が使うとは思えない難しい言葉を駆使し頭の良さを見せつけました。
裁判でも見せた少女の異様さ
1968年・12月5日に始まった裁判は12月17日まで続きます。当時のメアリーが住んでいた地域では、イギリスの首都ロンドンに本拠地を置く裁判所からの出張裁判という形がとられていました。10歳を過ぎてからの殺人には陪審員裁判が行われており、メアリーとノーマにもこれが適用されています。
裁判官が入廷すると、すっかり罪悪感と恐ろしさでいっぱいになったノーマは不安げに両親へ視線を向けます。メアリーの母親はといえば、ブロンドのカツラに厚化粧という商売女丸出しの格好で傍聴席に座り、度重なるヒステリーを引き起こしては裁判の進行を妨げました。
母親の醜態にもメアリーは冷ややかでした。裁判のさなか、ノーマが涙を流している時もメアリーは人形めいた無表情を崩すことなく巧みな話術で事件の供述をし、傍聴人の度胆をぬきます。そして無邪気に笑いながら、嘘なのか本当なのか判断しかねる証言をするだけでした。
メアリー・ベルは有罪
拘置所の中でも夜尿、不眠、夜驚症に苦しめられていたメアリー。その姿が物語る通り地獄のような境遇で生きてこざるを得なかった彼女に、同情は少なからず芽生えます。しかし、まだ何も知らない小さな少年を二人も殺めてしまった罪は消えません。
犯行を認め詳しい供述をしたのち「これはすべてノーマがやったこと」と発言を覆し、法廷を困惑させます。さらに一番最初の殺人であるマーティンの事件については無罪を主張。しかし、最終的な判定は二人の少年を殺害したとして有罪判決が下されました。
ノーマ・ベルは無罪
共犯扱いだったノーマ・ベルには無罪という判決が下りました。メアリーと交流するうちに快楽殺人への共感が生まれ、犯行の説明を聞かされたり実演を見せられたりはしたものの直接犯行には参加していないとされ、精神矯正という条件付きでその日のうちに釈放されています。
世界中に存在するサイコキラー
この世界には、普通の神経では到底理解の出来ない残忍な殺人を犯す人物が多数存在します。メアリーのように理知的で表面上は優秀な人物に見える犯人や、彼女と同じような不遇の生い立ちが背景にあるケースも確認されています。代表例に加え、日本にもこれに該当する人物がいる事をご紹介します。
エド・ゲイン
父は重度のアルコール依存症、母は狂気的なルター派信者。異常な両親に育てられたエド・ゲインは、アメリカの犯罪史上でも類を見ない残虐性と異常性で歴史に名を残しています。それは母親であるオーガスタの倒錯的な「教育」が招いた最悪の結果であると指摘されています。
ジョン・ゲイシー
ホラー映画「IT」に影響を与えたとされる殺人鬼〝キラー・クラウン〟として有名なジョン・ゲイシー。手術不可能な部位に脳腫瘍を持つ父親の発作的な癇癪により、殆ど虐待と言うべき厳しすぎる躾けをされ、事あるごとに人格否定をされて育った不幸な生い立ちの人物でもあります。
ところで、「IT」はもうご覧になりましたか?この映画を見たことにより、ピエロに対し恐怖のイメージが脳裏に焼き付いて離れなくなった…または、元々苦手だったピエロが増々怖くなったという方も多いでしょう。ピエロに対する得体の知れない恐怖感についてまとめられた記事があるので、ちょっと覗いてみるのも良いかも知れませんよ。
少年A
いまだ日本中の人々の脳裏に焼き付いて離れないであろう少年Aこと酒鬼薔薇聖斗。事件前より問題行動が多く、犯行の引き金となったのも家族間における親密性の欠如が原因とされています。より詳しくまとめられた記事もございますので、ここにご紹介します。
メアリー・ベルのその後
かくして有罪となったメアリー。それと同時にすっかり歪んでしまった精神面のケアも必要と判断されました。しかし、あまりにも残忍な犯行を起こしたメアリーの治療を引き受けてくれる精神病院はとうとう見つからず、やむを得ず通常の矯正施設へと送られたのでした。
1980年5月14日(22歳)まで更生施設・少年院へ
メアリーは12年間を少年院と一般刑務所で過ごしました。母親のベティは足繁く面会に訪れましたが、それは純粋な親心からではありませんでした。ベティの目的は娘の安否を確認する為ではなく、その下着姿を写真に収め、それをマスコミに売って金にすることだったのです。
仮釈放の間に女の子を身籠もる
1980年の5月14日、23歳で一度メアリーは仮釈放されます。出所した後は職業を転々とし、大学へも通い始めますがすぐにやめてしまいます。やがて若い男性と付き合い始め、妊娠。1984年に女の子を出産しています。仮釈放の期限である1992年までは裁判所の監督下におかれていましたが、その間も育児は許可されました。
出所後は母親のもとへ
大学をやめたメアリーは、なぜかあれほど酷い虐待をしてきた母親ベティのもとへ戻ります。その後出産・育児をしつつ別の男性と付き合い始め、小さな村へ移り住むも、またしてもベティによってメアリーの居場所がメディアへ売られてしまいます。
いくら匿名で暮らしていても母親の金儲けのせいでマスコミに追いかけ回され、正体を知った近隣住民らからはデモを起こされ、平穏とは程遠い生活を余儀なくされるのでした。出所後の生活を案じ、政府がメアリーに対する報道規制をかけるも、すべて無駄だったといいます。
メアリーを縛り続けた母ベティ
この頃になると、ベティはアルコール依存症になっていたといいます。どれだけ世間に厳しく非難されようと、死ぬまでメアリーの情報をマスコミに売り、私腹を肥やす事しか頭にありませんでした。ベティがこの世から去った時、ようやくメアリーは本当の意味で解放されたのでしょう。
メアリー・ベルの現在
イギリス中を恐怖に陥れた恐るべき少女。その後は人生をどのように歩み始めたのでしょう。『人間の根本的な性格は簡単には変えられない』と言いますが、再び社会に出た彼女は性懲りもなく手を血に染めたのでしょうか?それとも、悔い改めて日々を後悔の思いで生きているのでしょうか?
名前を変えてひっそり暮らす
出所後は「メアリー・ベル」という名を隠匿し、別の名前で静かに暮らそうとしています。ですが、その努力は報酬欲しさの母親によってことごとく踏みにじられ、名前も住所もコロコロと変えなくてはなりませんでした。ここでも、娘をモノとしか見ないベティのせいでメアリーは苦しめられるのです。
子供の成人時に事件のことを明かす
1998年のことです。とある記者がメアリーたちの住所を特定し、特ダネ欲しさなのか直撃します。それまで何も知らなかったメアリーの娘は、この時に母の犯した罪を知る事となってしまうのです。娘が成人すると、それを機にメアリーはかつての名を再び名乗り、自分のした全ての罪を打ち明けるのでした。
孫ができ祖母になる
メアリーの娘は、母の過去を受け入れています。そして2009年、24歳で一児の母となった彼女は、母親にそうされたように我が子へ愛情をたっぷり注いでいます。こうして51歳のおばあちゃんとなったメアリー。酸鼻を極める虐待で心が壊れてしまった彼女ですが、娘を産んだことで人間として大切なものを取り戻せたのでしょう。
自伝での告白
娘が成人したのを機に、再び本名を名乗りだしたメアリー。それは許されない過去を可愛い娘に打ち明けると同時に、自伝の本を出版するための一大決心でもありました。また自分と同じ境遇、同じ過ちを犯してしまう子供たちが増えないように、との願いも込められているのかも知れません。
「魂の叫びー11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白」あらすじ
1999年に出版されたメアリー・ベルの自伝「魂の叫び」。30年以上前の事件を振り返ったメアリーが、何故あのような事件を起こしたのか淡々と語る内容となっています。ここでも、かつて警官に語ってみせた「弱い存在を痛めつけることが好き」という言葉を残しています。
己の性癖や罪を暴露してはいるものの謝罪や後悔といった感情は読み取れず、また虚言癖があるとされるメアリーの言葉をどこまで信用するかは、読み手次第といったところでしょうか。この自伝の報酬は当然ながらメアリーの手に渡り、遺族には何の利益も産んでいません。
娘ができて感じた自分の罪への罪悪感
母親の愛情を受けず、それどころかゴミ以下の扱いを受けて育ってきたメアリー。その壊れた心を、通常の精神を持った人間に戻すことは永遠にできないでしょう。それでも彼女の娘が同じような殺人鬼とならなかったのは、メアリーの中に残った人間性があるからです。
自分に子供ができたことで、子供を失う親の気持ちが初めて理解できるようになったというメアリー。歪んでしまった価値観の片隅で、私達と同じ人間らしく泣き、後悔し、罪悪感に苛まれ続ける事こそが、メアリーにとって一番の責め苦なのかも知れません。
自伝から読み解くメッセージ
メアリーが自伝を出していると聞いて、率直な感想はいかがなものでしたでしょうか。かなり嫌悪感を持っている人は大勢いるでしょう。先程ご紹介した少年Aの「絶歌」もそうであるように、人殺しの過去で収益を得るメアリーには批判の声も数多くあります。
自分のような境遇の人間を生まないために
今も昔も、子供の虐待やそれによる死亡のニュースが後を絶ちません。そんな地獄のような環境を奇跡的に生き残り、愛情を知らないまま成長した子供たちが第二、第三のメアリー・ベルになる可能性はゼロではないでしょう。メアリーは、そうした負の連鎖を彼女なりに少しでも食い止めようとしたのではないでしょうか。
不遇な環境に生き、人殺しと後ろ指をさされ、味方は決して多くないメアリー。そんなメアリーが過去と向き合い、消える事の無い罪を懺悔し、かなり遠回りしてしまった「普通」の人生を歩み出そうとする彼女の切なる思いも込められているのかも知れません。
メアリー・ベルはひっそりと暮らす
2019年現在60歳を越えたメアリーは今もイギリスで執筆活動をしています。あれ以来誰かを殺めることもなく、母として、そして祖母として静かに暮らしています。2003年、最高裁にて勝ち取った匿名の権利も更新され、「メアリーのZ」という敬称で孫の匿名性も永久に約束されました。
普通ならしなくても良い苦労や苦境を数多く経験し、人の道を大きくそれてしまったメアリー。彼女の人格形成に遠因したのは、母親によって虐げられた幼少期であると考えられます。子供にとって、親が世界の全てです。その世界が愛情に満ち溢れ、不幸な子供たちが一人もいなくなるよう、メアリーも祈っているでしょう。
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