永野一男の生い立ちと凄惨な最期|豊田商事会長殺人事件の概要やその後も

永野一男という人物をご存知でしょうか?史上最悪とも言われる巨額詐欺事件を起こした人物です。今回は、その生い立ちや家族、そして豊田商事が起こした詐欺事件と会長刺殺事件について、動画や写真を交えながらご紹介していきます。

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65歳の男性です。会社勤めを退きましたが、様々なテ-マについて情報収集しながら記事作りすることが好きで取り組んでいます。
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永野一男とは?

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まずは、この人物と豊田商事株式会社及びそこで引き起こされた詐欺事件との関わりについて触れておきます。

豊田商事の創業者

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永野は当社設立時の主要メンバ-でした。昭和56年に設立された当時の社長は道添憲男という人でしたが、永野は副社長でした。

この会社は、当時、金を売る会社として注目されましたが、現物を売るのでなく、証券として販売するものでした。つまり現物は会社で保管され、数年後に購入者に手渡されるはずでしたが、そうはなりませんでした。

日本最大級の詐欺事件の犯人

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豊田商事は主に金持ちの高齢者を狙いに定めました。まず金を購入させ、その購入額の10%~15%の配当金を支払うという契約を結ぶものでしたが、いつまで経っても購入者の手元に金が届くことはありませんでした。そのため、この詐欺まがいの取引で、全国で数万人が騙され、被害総額も2000億円にも上りました。

尚、世界では巨額詐欺事件というとどのようなものがあるのでしょうか。興味のある方はこちらもご覧ください。

永野一男の生い立ち

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史上最悪の詐欺事件の主人公である永野一男の生い立ちはどのようなものだったのか、その家族や背景と共にたどっていきたいと思います。

岐阜県恵那市で生まれる

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永野一男は昭和27年に、岐阜県恵那市の農家に生まれました。父親は障害者だったため、祖父が農業で家族を養うことになりました。そのため祖父が亡くなると生活に困窮し、一家は母親の実家がある島根県に移り住みました。

中学の時に叔父の家に預けられる

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島根の母親の実家に移った後も、近所から借金をしたことが原因で、結局そこを出て行くことになります。そして永野は中学生の時に、県内の叔父の家に引き取られました。このように永野は小さい頃から恵まれない家庭環境に置かれ、経済的にも苦しい中で育ったことが伺えます。

卒業と同時に日本電装へ就職

永野一男は、卒業後集団就職しました。入った先は日本電装という会社です。当時の多くの貧しい家庭では、進学させる余裕がないため、子供は義務教育を終えると都市部に働きに出るのが一般的でした。

仕事に対する考え方が変わり日本電装を早期退社

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大手企業に入社したものの、仕事は長続きしませんでした。給料は1万円で、当時の物価水準でみてもかなりの低賃金と言えます。加えて自分の中卒という学歴から将来出世の見込みもないと早々とこの仕事に見切りをつけたようです。結局2年で退職しています。

そして仕事への考え方が変わっていきました。地道なもの造りでは金にならない。カネを儲けるには「右から左に動かすのが一番だ」あるいは「事業はマネーゲーム。相場が一番で、次がマルチ、ペーパー商法。商売に道徳は必要ない。事業は博打だ」という考え方が彼の頭の中を占有していきました。

職を転々としギャンブルに走る

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その後は消火器販売のセールスマンや、不動産屋と証券会社での先物取引の仕事など職を転々としていきます。さらに永野は、競馬や競輪などのギャンブルにも夢中になっていきました。

そしてある証券会社勤務時には、顧客の金を3000万円程使い込んだことが発覚して解雇されたこともありました。又、ある時は競輪場のトイレでのスリで逮捕されたこともあります。こんな頃からお金には異常な執着を見せるようになっていたことがわかります。

生涯独身

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永野が、生涯独身を通した理由について、ある関係者の言によれば、「結婚した相手に迷惑をかけたくないので結婚しない」と本人が言っていたとのことです。確かに職や収入が安定せず、ギャンブル癖があり、お金への執着心が強いことなど、自分自身でも、結婚に向いていない性格であること自覚していたのかも知れません。

豊田商事とその詐欺事件

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生い立ちを一通り説明しましたので、ここからは、豊田商事という会社とその詐欺商法について少しお話します。

トヨタ自動車系列と錯覚させるための社名

昭和56年に前身の会社が設立され、翌年に「豊田商事株式会社」と改称しました。この社名は、トヨタ自動車のグル-プ会社であるかのように錯覚させ、顧客の信用獲得のために有名企業ブランド名を悪用した典型的な事例と言えます。

トヨタの名を語った理由は、最初の就職先がグループ企業の日本電装だったことからと思われます。トヨタとの関係は勿論全くありませんでした。既にトヨタグループの総合商社して、豊田通商が存在していましたが、この会社と混同、間違えさせる狙いもあったかもしれません。

時代背景

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昭和56年の国内の金輸入量は史上最高を記録し、国民の関心も高いものがありました。このため「商品先物取引」が盛んとなり、これに伴う被害が多発し、社会問題にもなっていました。当社も又この先物取引を扱っていました。

そこで政府は、関連法改正により先物取引を規制する政策をとりました。すると豊田商事は今度は現物まがい商法へシフトチェンジしていきました。

幅広い活動

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金栗四三らが創設した「全国マラソン後援会」や、プロレス団体「UWF」、「協栄ボクシングジム」あるいは宗教法人「浄土真宗親鸞会」等へ直接、間接的に資金提供を行うなど幅広く社会活動、支援もしていたことを付け加えておきたい。

詐欺の手口

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まず、顧客に「金の地金」を購入する契約を結ばせますが、現物は会社が預かり、証券を代金と引き替えに渡すやり方でした。このため顧客は金を手に入れることがありませんでした。営業所で金の現物が見つかりましたが、後にそれも「ニセモノ」であったことが分かっています。

またこの詐欺の特徴として、勧誘においては主に単身老人がタ-ゲットにされたことです。電話での勧誘に引き続き、見込みありとなればその家を訪問します。家に上がると仏壇に手を合わせたり、身の回りの世話をしたり、人情に訴えるなど相手につけ込んでインチキな契約を結ばせていくものでありました。

会長永野一男の逮捕が目前だった

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豊田商事のペーパー商法では、全国で数万人が被害に遭い、社会的な問題になってきていました。強引に契約させられ老後のための貯金を失った被害者も多かったのです。その苦情を受け付ける専用電話が設置され、関連会社の役員が逮捕されことをきっかけに捜査が本格化していきます。

関連会社の幹部がすでに逮捕されていたことから、ついに永野会長自身の逮捕も時間の問題と思われていました。

豊田商事会長刺殺事件の概要

いよいよここからは、詐欺事件が引き金となり、世間を震撼させた刺殺事件の真相に迫ります。

右翼と名乗る二人組の男が乱入

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当日、永野会長の自宅マンションには、本日何らかの動きがあるとの情報を聞きつけた何十人ものマスコミ関係者が集まっていました。そこに被害者の関係者だと名乗る二人の男がやってきます。報道陣達の問いに「頼まれて殺しに来た」と答えます。

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