永野一男とは?
まずは、この人物と豊田商事株式会社及びそこで引き起こされた詐欺事件との関わりについて触れておきます。
豊田商事の創業者
永野は当社設立時の主要メンバ-でした。昭和56年に設立された当時の社長は道添憲男という人でしたが、永野は副社長でした。
この会社は、当時、金を売る会社として注目されましたが、現物を売るのでなく、証券として販売するものでした。つまり現物は会社で保管され、数年後に購入者に手渡されるはずでしたが、そうはなりませんでした。
日本最大級の詐欺事件の犯人
豊田商事は主に金持ちの高齢者を狙いに定めました。まず金を購入させ、その購入額の10%~15%の配当金を支払うという契約を結ぶものでしたが、いつまで経っても購入者の手元に金が届くことはありませんでした。そのため、この詐欺まがいの取引で、全国で数万人が騙され、被害総額も2000億円にも上りました。
尚、世界では巨額詐欺事件というとどのようなものがあるのでしょうか。興味のある方はこちらもご覧ください。
永野一男の生い立ち
史上最悪の詐欺事件の主人公である永野一男の生い立ちはどのようなものだったのか、その家族や背景と共にたどっていきたいと思います。
岐阜県恵那市で生まれる
永野一男は昭和27年に、岐阜県恵那市の農家に生まれました。父親は障害者だったため、祖父が農業で家族を養うことになりました。そのため祖父が亡くなると生活に困窮し、一家は母親の実家がある島根県に移り住みました。
中学の時に叔父の家に預けられる
島根の母親の実家に移った後も、近所から借金をしたことが原因で、結局そこを出て行くことになります。そして永野は中学生の時に、県内の叔父の家に引き取られました。このように永野は小さい頃から恵まれない家庭環境に置かれ、経済的にも苦しい中で育ったことが伺えます。
卒業と同時に日本電装へ就職
永野一男は、卒業後集団就職しました。入った先は日本電装という会社です。当時の多くの貧しい家庭では、進学させる余裕がないため、子供は義務教育を終えると都市部に働きに出るのが一般的でした。