永野一男の生い立ちと凄惨な最期|豊田商事会長殺人事件の概要やその後も

ここからは、刺殺事件の犯人への判決結果とその後の犯人の足取りを追います。

10年と8年の実刑判決に軽すぎるという声も

永野を刺殺した二人の犯人は、飯田と矢野と言いますが、それぞれ10年前後の懲役実刑判決が下されました。「軽すぎる。詐欺事件を隠れ蓑にした判決だ」と世間の議論を呼びました。しかも最後まで明確な殺害動機は分からないことに加え、二人の「マスコミに煽られた」との供述も後押ししたと言われています。

二人の犯人は現在出所している

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懲役に服していた二人は、既に刑期を終え出所しています。飯田の方は、近畿地方で妻と共に暮らしていると言われています。また、矢野の方は大阪市内で雀荘を経営し、結婚して子供も生し、その後広島に引っ越したと言われています。

飯田は詐欺被害者の直接関係者であったため、又、矢野は飯田への義理から犯行に加担したとされています。しかしながら、いまだ殺害動機ははっきりしないままであり、矢野は今でも殺害を否認していると言われています。

刺殺事件のその後

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一方、会社に対する処置はどうなったか、あるいは多くの詐欺被害者の救済はどのように行われたかについて少しお話したいと思います。

破産宣告

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刺殺事件から半月後に、担当弁護士からの申し立てにより、破産が宣告されました。結局わずかな現金だけが残っただけでした。

破産時、売り上げの半分は従業員への給与支払いに充てられ、残りは永野個人や会社としての事業損失によりほとんど消えていました。しかし中坊公平らの管財人により、損失金が回収されることになります。

救済

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管財人チームは徹底的に資金回収を行い、豊田商事グループの賃貸先からの家賃や敷金に加え、納めた税金まで回収し、その総額は100億円を越えたと言われます。一方、一部の暴力団や金融機関は、管財人が回収した金を横取りしたり、建物占有行為等、妨害行為も多々発生しました。

その後、金などの預託取引契約に対して、一定期間内であれば理由の如何を問わず契約を解除できる「ク-リングオフ制度」が導入されることになります。

叔父の家に飾られていたのは新聞の遺体写真

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 事件の数日後に、遺品を引き取った叔父の家を訪ねた人の話によれば、床の間には新聞掲載の遺体写真が飾られていたそうです。「大人になってからの永野の写真がない」と言う理由を聞くと哀れな感じもあります。

永野が以前暮らしていた家を訪ね、聞き込みを行った際にも、誰も彼のことを憶えていなかったことや、中学時代の担任教師ですら彼を覚えていなかったことは、不思議なくらいの存在感のなさを感じさせるものでした。

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