幽霊船は今もどこかをさまよっている!?実在した幽霊船20選をご紹介!

1931年当時、貿易船として活躍していたこの船は、貨物を積載したままとある海域で氷河に見舞われました。閉じ込められた船員たちは、現場の判断でこの船はもう沈むだろうと思い、積み荷を空輸するために運び出したそうです。

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その後船は放棄されそのまま、誰しも年月の経過とともに沈んでいくだろうと考えていました。しかし、事件後数十年経過したのち、実は誰も登場していないベイチモ号が、たたずんでいるのを数多くの人が目撃することとなるのです。

もちろん、誰も登場していないのですが、船単体でたたずむだけ。その光景には皆驚いたそうですが、その後保有会社がかつての自分たちの船を調べるため、サルベージなど何度も試みたそうです。

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しかし、その結果もむなしく、悪天候など調査をまるで阻むかのように失敗し何の成果も得られていないそうなのです。そうして、最後の目撃である1969年を皮切りに船の存在は一切不明となっているようなのです。

未だに見つかっていない

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この船、幾度にもわたるサルベージや調査によって解明が行われてきたのですが、現在に至っても実はいまだに見つかっていないとされています。その存在は会場にあるのか、快適に沈んでいるのかさえ分かっていません。

そして、2006年にアラスカ州にて、公のもとで北極海域の幽霊船として公表されましたそして同時に、解明プロジェクトも組まれたそうなのですが、いまだそちらも何の発見、成果にも至っていないそうです。

現実の幽霊船③良栄丸

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世界各地に伝わる恐怖伝説や逸話は沢山ありますが、実は日本にもその手の話は存在します。その中の一つが、良栄丸です。この船は、演じるトラブルが原因で、海上をさまよい続けたことで有名な漁船です。その期間なんと11カ月。

今では設備も整い、漂流など決して考えにくい現代ですが、そのような長い期間、漂流をつづけた船の詳しい事故情報や漁船に関する情報を紹介していきましょう。

1926年の良栄丸遭難事故

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この漁船はかつてマグロ漁に使われえていた互選になります。当時も現役で活躍し、乗組員12名を乗せ、三崎漁港を出発して銚子沖100キロのところで漁を行っていました。事故当日は12月5日のことで、冬の寒さ厳しい時期でした。

そして、海上にて事故が起こります。エンジンが故障しそうだが効かなくなった漁船は、季節風に巻き込まれて銚子沖1600キロの地点まで名がさえれてしまったのです。当時の漁船設備には、無線装置などなく、救助を呼ぶこともままならない状態でした。

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乗組員は、事故に見舞われながらも船上で漂流を決め、事件発生から4か月間もの間船内の食料や漁で取れた魚を食べて生活していたそうです。そして、何度か来る周辺の漁船や貨物船に信号を送り救助を待っていました。

しかし、その信号もむなしく事件から約3カ月が過ぎた3月5日、いよいよ食料が尽きます。それ以降は、船体に生える海藻や魚を取って食していたそうですが、3月9日にとうとう機関長が亡くなります。

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機関長が亡くなった以降は、次々の乗組員が亡くなっていったそうです。そして、ある日シアトル沖で一隻の漂流船が発見されました。それが良栄丸でした。事故発生から10か月後の10月31日のことです。発見当時、船内の人はすでにミイラ化していたそうです。

通常ここまで詳細に船に何が起こったか、乗組員が全員なくなっているケースで判明するのはまれなことですが、これら起こったことが克明に記されている日誌が、漂流船から見つかったそうです。

デマについて

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この事件は数多くの人に衝撃を与えた事故でした。しかし、その情報が流れた当時、色々なデマも混ざり情報に誤りがあるものもあります。上記で説明した内容が真実ですが、その他デマ内容のものもあるので、解説しておきましょう。

そのデマの内容には色々あるのですが、漂流している間に乗組員の間で発狂した人が殺しあった事実や、仲間の死体を切り刻んだ、あるいは悶死したなどの情報がありますが、それらはデマです。

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ネット上に出回ったその情報の出どころは、主に児童向けのミステリー小説などで事実無根の情報が錯綜したことにより、それ等が流布されて色々なデマと相まって伝わってしまったそうです。

現実の幽霊船④ジョイタ号

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ジョイタ号アメリカがかつて保有していた船になります。この船名は、スペイン語で宝石という意味で、1931年に作られた船になります。かつてはアメリカ海軍で使用されていたのですが、終戦後売却に出されて、個人のプライベートヨットとして使われました。

太平洋のメアリー・セレスト号事件

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このヨットは、発見時奇妙な姿で発見されることとなります。その姿、真相から太平洋のメアリー・セレスト号とも呼ばれる事件なのです。その詳細をお伝えしていきましょう。このヨットは、1995年10月、乗組員5人乗客20人を乗せて航行をしていました。

行き先はサモアのアピア港。出発地から約430キロも離れた土地を目指しての航路となります。そして、その航行の最中に忽然と姿を消すのです。突然姿を消した船はどこに行ったのか、発見は同年11月に行われました。

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発見場所は、同じくサモア海上で、船体は多少傾いていたものの、祷文航行できる状態での発見だったそうです。しかし、その発見さ入れた船内の様子はとても奇妙な後継でした。というのも、船内は先ほどまで日常生活が行われていたかのような状態だったのです。

船内にある食料や、衣料品、客の荷物でさえそのまま残っている状態。無線機なども存在していたそうです。生活用品も使われた跡があり、明らかに先ほどまで利用していた形跡までもあります。

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にもかかわらず、船内には人一人いないのです。そして、航海日誌もなく、その真相は一切不明。奇妙な状態で姿を現したこの事件は、まさにかつてのメアリーセレスト号を彷彿とさせるものだったのです。

その後も真相原因の追究や、船体の調査など数々のことが行われましたが、結局、船長傷病説などいろいろな噂はありますが、どれも確固たる事件の真相にはたどり着けていません。真相は今もなお不明のままなのです。

4年後に発見された瓶の中にあったメモ

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この奇妙な事件が起きて4年後、この事件がとある発展を見せます。それがかつてのジョイタ号に乗っていたであろう人からのメモの発見です。このメモはニュージーランド海洋にて発見されました。

そして、漂着したメモにはこれまた奇妙な内容が書かれていたのです。それは奇妙な物体が我々を連れ去ろうとしている、という内容でした。メモ発見後、ジョイタ号がUFOによる襲撃と連れ去り説が唱えられるようになったのです。

現実の幽霊船⑤キャロル・ディアリング号

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アメリカで建造された貨物船になります。この船は当時石炭を運ぶ貨物船として活躍していました。そして、この事件は、その石炭を運んだ帰り道の航路で起こったものになります。1921年当時、燃料補給を追えて出発したこの船は、幾度となく人目に触れていました。

灯台船などいろいろな目撃者がいる中、その後忽然と姿を消したのです。様々な目撃があったにもかかわらず、数日の間に何が起こったというのでしょうか。

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