現実の幽霊船の特徴
世界各地で伝説として語り継がれる幽霊船。奇妙な船を見たという人や、船の乗組員が見かけたりなどいろいろな伝説があります。そんな世界各地に伝わる伝説は色々な理由の元語り継がれています。伝説にまつわる特徴を紐解いていきましょう。
乗組員が死亡または行方不明
乗組員が死亡または行方不明となり、結果的に誰もいない船が彷徨うことは良くあったようです。大型の貿易船というものが頻繁に海を行き来するようになった時代、そこで船の事故や海賊による貿易船の襲撃は数が急激に増えていったといわれます。
その事故や襲撃によって、船から乗組員がいなくなり、船だけが残されるというケースは実在するようなのです。乗組員を失った船を別の船に乗る人が目撃したり、あるいは陸地からそのような船を目撃したりするケースはあったようです。
偶然が重なり沈むことなく彷徨っていた
乗組員がいないままで航行と続けるというものは本来はめったに起こるモノではありません。しかし、偶然が幾重にも重なり沈むことなく彷徨うケースも十分考えられ、存在するようです。
乗組員が何らかの原因でいなくなり、その船は行き先を失います。本来であれば、座礁したり何らかの理由で船が沈んでいく、あるいはどこかに漂着するというケースが多いようですが、その結末にならず漂流を続けるケースもわずかにあるようです。
偶然が重なった発見も遅れ、沈むことなく彷徨う船は、もちろん劣化だけ進むので発見されるとどこか不気味な外観となった状態となっています。彷徨い続ける船は今もあるかも知れません。
このような伝説を聴くと、我々はどこかオカルト要素を大きく感じがちです。実際には、事故や奇妙な失踪などが関与する場合もありますが、確かに事故という言葉で片づけられないものもあり、不謹慎ですが、オカルト要素に魅力を感じるのも確かでしょう。
幽霊船はいつごろから発見されるようになった?
幽霊船は特に注目され始めた時期はいつからなのでしょうか。我々がよく耳にする伝説は、多くがオカルト要素を含んでいるケースもありますが現実に原因まではっきりしているものもあり、それらを解明していくとその多くがある時期を境に増えています。
それが中世後期です。中世後期は貿易も盛んになり、そこで数多くの船が利用されるようになりました。その船も大型のものが多く、諸外国から海を渡るための大型船が利用されるようになったのです。
また、貿易だけにとどまりません。諸外国では周辺諸国への航路を見出すためや、大陸調査などを目的として、大型船を出向させる機会も増えました。特にエンジンなどの動力や船の構造が大きく変化していき船も大型で長距離移動を可能にするモデルが増えたのです。
こういった大型の船が増えると、底には数多く音の乗組員が必要となります。多くの人間が乗船し、目的のため船に乗り込んだのです。しかし、事故や海賊などの被害にあった船が消息を絶つケースも同時に増えていったのです。
このように、中世後期から船の発達や船を利用した航行が増えたことによって、事故なども急激に件数が増え、その結果、幽霊船となり後に発見されるケースも自然と増えていったということになるのです。
現実の幽霊船20選を紹介!
各地に伝わる現実に起こった出来事。そんな実際に起こった幽霊話を紹介していきましょう。色々な逸話や過去に実際に起きた関連情報まで詳細に調べて紹介していきます。
現実の幽霊船①メアリー・セレスト号
現実に発見された話として有名なものといえば、メアリー・セレスト号は外せないでしょう。ハーメルンの笛吹き男と共に語られるこの船の事件は1872年12月14日にポルトガルのアゾレス諸島近海にて発見されました。
ブリガンティーンと呼ばれる船のタイプで2本のマストが特徴的なイギリスの船になります。当時はポルトガル沖で発見され、デイ・グラチア号という船の乗組員によって発見されました。
以前からこのメアリー・セレスト号は行方不明となっており、発見当時船はもぬけの殻状態で放棄されていた状態だったと言います。
集団失踪事件としても有名
そんな船は発見時から奇妙な事件が起こったといわれています。それが集団失踪事件です。発見当時、発見したデイ・グラチア号の船員がメアリー・セレスト号を行ったのだそうです。そこで見た光景は、誰一人乗船しない船だけでした。
乗組員が一人もいないことに不審に思った調査員は、その原因を突き止めるべく船内をくまなく調べたそうです。しかし、その原因すらもわからず、わかったことといえば船の底に水が溜まっていることと、積み荷の工業用アルコールが漏れ出ているだけでした。
それでも、集団失踪になるほどの原因ではありません。船へのダメージはわずかなもので、決して洪水を及ぼすものでもありません。原因不明の船は、一度ジブラルタルへと移送され、専門家の下で調べられたと言います。
しかし、専門家をもってしても失踪の原因は判明しませんでした。一説として考えられる原因は、失踪した乗組員は船長が指示を出したものだということ。その理由は、漏れ出たアルコールによる爆発の危険性によるものだということです。
アルコールに引火することで爆発を恐れた船長が船員を逃がしたのだろうという説です。また、船には少しの浸水があったといわれています。この浸水は決して洪水が起きるほどのモノではありませんが、より深刻に受け取って逃がしたのではと考えられています。
呪われた船のその後
発見時の不可解な状況から呪われた船ともいわれており、その後もどうなったのか紹介しましょう。実はこの発見当時、単に船員がいないだけでなく奇妙な状態で船が見つかったといわれています。それが、今の今まで誰かいたかのような状態だったということです。
調査員は、船体の傷や浸水状態などを確認の最中に食料や水を確認したそうです。その量は約半年分。海賊などに襲われたにしてはおかしい状態です。
また、テーブルには直前まで食べていたかのように温かい料理が残っており、いれたての様に湯気を放つコーヒーもありました。調理室は火をかけた状態の鍋まであり、誰かが発見数秒前まで過ごしていたかのような状態だったと言います。
にもかかわらず、発見されるひと月も前のタイミングで記入が止まっている船長室の航海日誌。11月24日を最後の記入日としてページが閉じられていたそうです。まるで呪いや幽霊などの類の話でしか説明がつかないような事態なのです。
その後、この船は専門家によって調査されたことは撰述もしましたが、船員がいなくなった原因や、直前まで誰かがいたような船室などはいまだに説明がつかず、未解決事件として伝えられています。
現実の幽霊船⓶ベイチモ号
1914年にスウェーデンにて建造された大型の船の話です。名をベイチモ号といい、全長70.15メートルという、当時では最大級クラスの蒸気貨物船といわれています。そんなベイチモ号も現代に残る逸話を持っています。
アラスカの幽霊船
かつて蒸気船として活躍していたこの船は、とある事件により船員失い、その後アラスカの恐れられる船として伝わっています。その経緯には、交易で使用された当時、とある事故に合いかけたことが大きく関係しています。
1931年当時、貿易船として活躍していたこの船は、貨物を積載したままとある海域で氷河に見舞われました。閉じ込められた船員たちは、現場の判断でこの船はもう沈むだろうと思い、積み荷を空輸するために運び出したそうです。
その後船は放棄されそのまま、誰しも年月の経過とともに沈んでいくだろうと考えていました。しかし、事件後数十年経過したのち、実は誰も登場していないベイチモ号が、たたずんでいるのを数多くの人が目撃することとなるのです。
もちろん、誰も登場していないのですが、船単体でたたずむだけ。その光景には皆驚いたそうですが、その後保有会社がかつての自分たちの船を調べるため、サルベージなど何度も試みたそうです。
しかし、その結果もむなしく、悪天候など調査をまるで阻むかのように失敗し何の成果も得られていないそうなのです。そうして、最後の目撃である1969年を皮切りに船の存在は一切不明となっているようなのです。
未だに見つかっていない
この船、幾度にもわたるサルベージや調査によって解明が行われてきたのですが、現在に至っても実はいまだに見つかっていないとされています。その存在は会場にあるのか、快適に沈んでいるのかさえ分かっていません。
そして、2006年にアラスカ州にて、公のもとで北極海域の幽霊船として公表されましたそして同時に、解明プロジェクトも組まれたそうなのですが、いまだそちらも何の発見、成果にも至っていないそうです。
現実の幽霊船③良栄丸
世界各地に伝わる恐怖伝説や逸話は沢山ありますが、実は日本にもその手の話は存在します。その中の一つが、良栄丸です。この船は、演じるトラブルが原因で、海上をさまよい続けたことで有名な漁船です。その期間なんと11カ月。
今では設備も整い、漂流など決して考えにくい現代ですが、そのような長い期間、漂流をつづけた船の詳しい事故情報や漁船に関する情報を紹介していきましょう。
1926年の良栄丸遭難事故
この漁船はかつてマグロ漁に使われえていた互選になります。当時も現役で活躍し、乗組員12名を乗せ、三崎漁港を出発して銚子沖100キロのところで漁を行っていました。事故当日は12月5日のことで、冬の寒さ厳しい時期でした。
そして、海上にて事故が起こります。エンジンが故障しそうだが効かなくなった漁船は、季節風に巻き込まれて銚子沖1600キロの地点まで名がさえれてしまったのです。当時の漁船設備には、無線装置などなく、救助を呼ぶこともままならない状態でした。
乗組員は、事故に見舞われながらも船上で漂流を決め、事件発生から4か月間もの間船内の食料や漁で取れた魚を食べて生活していたそうです。そして、何度か来る周辺の漁船や貨物船に信号を送り救助を待っていました。
しかし、その信号もむなしく事件から約3カ月が過ぎた3月5日、いよいよ食料が尽きます。それ以降は、船体に生える海藻や魚を取って食していたそうですが、3月9日にとうとう機関長が亡くなります。
機関長が亡くなった以降は、次々の乗組員が亡くなっていったそうです。そして、ある日シアトル沖で一隻の漂流船が発見されました。それが良栄丸でした。事故発生から10か月後の10月31日のことです。発見当時、船内の人はすでにミイラ化していたそうです。
通常ここまで詳細に船に何が起こったか、乗組員が全員なくなっているケースで判明するのはまれなことですが、これら起こったことが克明に記されている日誌が、漂流船から見つかったそうです。
デマについて
この事件は数多くの人に衝撃を与えた事故でした。しかし、その情報が流れた当時、色々なデマも混ざり情報に誤りがあるものもあります。上記で説明した内容が真実ですが、その他デマ内容のものもあるので、解説しておきましょう。
そのデマの内容には色々あるのですが、漂流している間に乗組員の間で発狂した人が殺しあった事実や、仲間の死体を切り刻んだ、あるいは悶死したなどの情報がありますが、それらはデマです。
ネット上に出回ったその情報の出どころは、主に児童向けのミステリー小説などで事実無根の情報が錯綜したことにより、それ等が流布されて色々なデマと相まって伝わってしまったそうです。
現実の幽霊船④ジョイタ号
ジョイタ号アメリカがかつて保有していた船になります。この船名は、スペイン語で宝石という意味で、1931年に作られた船になります。かつてはアメリカ海軍で使用されていたのですが、終戦後売却に出されて、個人のプライベートヨットとして使われました。
太平洋のメアリー・セレスト号事件
このヨットは、発見時奇妙な姿で発見されることとなります。その姿、真相から太平洋のメアリー・セレスト号とも呼ばれる事件なのです。その詳細をお伝えしていきましょう。このヨットは、1995年10月、乗組員5人乗客20人を乗せて航行をしていました。
行き先はサモアのアピア港。出発地から約430キロも離れた土地を目指しての航路となります。そして、その航行の最中に忽然と姿を消すのです。突然姿を消した船はどこに行ったのか、発見は同年11月に行われました。
発見場所は、同じくサモア海上で、船体は多少傾いていたものの、祷文航行できる状態での発見だったそうです。しかし、その発見さ入れた船内の様子はとても奇妙な後継でした。というのも、船内は先ほどまで日常生活が行われていたかのような状態だったのです。
船内にある食料や、衣料品、客の荷物でさえそのまま残っている状態。無線機なども存在していたそうです。生活用品も使われた跡があり、明らかに先ほどまで利用していた形跡までもあります。
にもかかわらず、船内には人一人いないのです。そして、航海日誌もなく、その真相は一切不明。奇妙な状態で姿を現したこの事件は、まさにかつてのメアリーセレスト号を彷彿とさせるものだったのです。
その後も真相原因の追究や、船体の調査など数々のことが行われましたが、結局、船長傷病説などいろいろな噂はありますが、どれも確固たる事件の真相にはたどり着けていません。真相は今もなお不明のままなのです。
4年後に発見された瓶の中にあったメモ
この奇妙な事件が起きて4年後、この事件がとある発展を見せます。それがかつてのジョイタ号に乗っていたであろう人からのメモの発見です。このメモはニュージーランド海洋にて発見されました。
そして、漂着したメモにはこれまた奇妙な内容が書かれていたのです。それは奇妙な物体が我々を連れ去ろうとしている、という内容でした。メモ発見後、ジョイタ号がUFOによる襲撃と連れ去り説が唱えられるようになったのです。
現実の幽霊船⑤キャロル・ディアリング号
アメリカで建造された貨物船になります。この船は当時石炭を運ぶ貨物船として活躍していました。そして、この事件は、その石炭を運んだ帰り道の航路で起こったものになります。1921年当時、燃料補給を追えて出発したこの船は、幾度となく人目に触れていました。
灯台船などいろいろな目撃者がいる中、その後忽然と姿を消したのです。様々な目撃があったにもかかわらず、数日の間に何が起こったというのでしょうか。
漂流の原因は未だ不明
漂流から見つかった船を調べても、メアリー・セレスト号と同様な状態で見つかったこのキャロル・ディアリング号は、その消息理由はわからなかったそうです。当時見つかったのは、ノースカロライナ州のハッテラス岬。座礁中のところを発見されました。
すぐに救助隊が編成されて船に向かわされましたが、悪天候で調査が実施されたのは2月4日のこと、発見から1カ月後のことでした。そして、その中には完全に放棄され、航海日誌や日用品、救命ボートのない船と変わり果てた姿がありました。
乗組員全員姿を消しており、不可解な状態でしたが、なぜか厨房には食事が残され、おそらく食事準備中に何らかの事故などが起こり非難したのだろうといわれています。しかし、いまだ詳しい原因は不明のままです。
バミューダトライアングルが関係?
この船が座礁した原因は、一説によるとバミューダトライアングルが関係しているのではないかといわれています。バミューダトライアングルとは、何らかの原因で船や航空機が消息を絶つ間の地域として有名な地域です。
その名を聴いたことのある人は多いでしょう。その海域で何らかの異常に見舞われこの船も座礁したと考えられているのです。しかし、そんな状態に見舞われながらも食事前の状態がきれいに残っているのも不思議な話。
幾つもの仮説が挙げられたこの事故ですが、まだまだ詳細な原因解明には至っていないようです。
現実の幽霊船⑥レゾルベン号
木材などを運搬する役割を担っていた貨物船です。ウェルズとカナダを間を航行していました。発見当時、この船では奇妙な光景が広がり、荒廃した状態ではありながらも、今なお謎を波乱だ船として伝わっています。
発見時の調理場では…
イギリス軍によって1884年に漂流しているところを発見されました。当時イギリス軍は、発見したこの船に対して信号を送り応答を待っていましたが、何の反応もなかったそうです。そして、乗組員数人で船内を調査に乗り込みました。
すると、目の前に広がった後継には不可解なものがありました。船は荒廃しているにもかかわらず、争いなどが起こった様子もなく、さらには調理場に火がついていたのです。テーブルには食事の準備もされていました。
にも拘わらず、乗組員1人も発見できなかったのです。まるでさっきまで誰かが調理をしていたかのような状態にもかかわらず、誰人地居ない状態に調査員は恐怖と不可解さを感じたと言います。
乗っていた人々の行方は知れず
乗客、乗組員ともに調査時には発見されることのなかった船ですが、唯一の手掛かりとして救命ボートと、船長が蓄えていた金貨が無くなってたのです。しかし、その手がかりもむなしく、今なを船員の行方は判明していません。
現実の幽霊船⑦SAYO号
こちらの船に関する話は近年になって発見されたヨットに関するものです。発見は2016年で、フィリピンの沖合で発見されました。損傷の激しい船体とマスト、全長12メートルもあるヨットが沈みかけていたところを発見されたのです。
発見した漁師たちは、そのボロボロになった船体に乗り込んであるものを発見。その後すぐに警察に通報して、警察よりヨット内部を操作したそうです。
ボロボロのヨットの中にいたミイラ
発見して捜査のはいったこの船内の中には、なんと机に突っ伏すような形で息絶えたミイラ状態の遺体が残されていました。残されたミイラはかつて姿を消した冒険家である、ドイツ出身のマンフレッド・フリッツ・バヨラト氏その人だったのです。
死因は心臓発作の可能性が高いといわれています。過去20年間、このヨットを使って世界中を冒険しており、2016年より以前では、Facebookを使用して情報更新や連絡をしていた人もいたようです。
しかし、ある時を境にぴたりと更新が止まり、連絡もつかずその後帰らぬ人となってしまったようなのです。
現実の幽霊船⑧シー・バード号
発見されたのは1750年のアメリカロードアイランド州。発見当時乗組員はおらず、完全に放棄された状態で見つかったといわれています。発見当時の状態は非常に奇妙な物だったといわれています。