トーヨーボール事件はなぜ起きた?
この事件は一般の少年が、関東連合という暴走族グループに襲撃を受け、凄惨なリンチの末に命を落とすという悲惨な事件です。加害者は犯行当時未成年であったことから少年法が適用され、事件の凶悪性と比較すると非常に軽微な刑で釈放され社会的な波紋を呼びました。
ショック!凄惨を極めたリンチ
トーヨーボール事件では被害者の少年は非常に衝撃的で凄惨なリンチの末に亡くなっています。この記事ではリンチの内容にまで触れています。不快になるような表現があるので注意して読み進めてください。
東京都大田区にあるボーリング場の駐車場が舞台
事件があったのは東京都大田区にあるボーリング場の駐車場です。被害者はこの駐車場で友人たちとダンスの練習をしていました。暴走族とは関係がない一般の少年たちです。襲撃してきた暴走族は敵対組織と勘違いしていました。
暴走族の襲撃
暴走族は約20名で徒党を組んで襲撃したといわれています。対立する別の暴走族グループに制裁を加えることを目的に襲いました。後日判明することですが、集まってダンスをしていた少年らは暴走族とは関係がない赤の他人。勘違いからの暴力で被害者は命を落としました。
逃げ遅れた被害者
暴走族グループの襲来でパニックになり散り散りに逃げだしました。鉄パイプや金属バットを持っていたからです。逃げ遅れたのは被害者の男性1人。その後、舌が半分ちぎれ、頭部がバスケットボールサイズに腫れ、誰だかわからないほど顔が変形した姿で被害者は亡くなります。
暴走族の抗争と戦い方
彼らには決まったルールなんてありません。相手を襲って潰す。殺害までは考えていないようですが、戦意を完全に喪失させ二度と立ち向かってこないように叩きのめします。結果として死んでしまうのは何とも感じないようです。
トーヨーボール事件の登場人物たち
この事件に加わった関東連合の加害者たちと被害にあった少年のことを紹介します。加害者の中でも主犯格の石元太一は事件の残虐性から、少年法で保護する対象か否かの議論になり、多くのメディアが犯行当時から実名を晒した報道に踏み切りました。
犯行グループ・関東連合
犯行に加わったのは地元の暴走族の連合体。ブラックエンペラー、マッドスペシャルという暴走族が中心となった関東連合です。事件があった2000年代には地下組織で一定の勢力を確保し、ヤクザとも単なる暴走族とも違う「半グレ」集団として非道な行為を繰り返していました。
首謀者
この事件の主犯格とされるのが石元太一です。事件発生当時の彼のの年齢は18歳。その他に柴田大輔、伊藤リオンが中心的な役割を果たしたといわれています。16歳から26歳までの不良少年たちが暴行に加わりました。総勢は20名に上り直接リンチに加わったのは14人です。
石元太一はどんな人物?
10代のほとんどを少年院に入所して過ごした彼は、生粋の悪だといわれています。父親もヤクザですから家庭環境に問題があったのか、遺伝子に悪の組織が組み込まれていたのかもしれません。事件にかかわった伊藤リオンを悪の道に誘い込んだのも石元太一です。
被害者
被害にあったのはすし職人を目指す18歳の少年です。彼の名前も写真も公開されていますが、暴行に加わった加害者の多くの少年が、未成年という理由で実名を公開されることなく保護され、加害者の人権が必要以上に擁護されています。その観点からこの記事では被害者の少年の名前は記載しません。
恐怖のトーヨーボール事件!悲惨な暴行内容とは
深夜に駐車場でダンスの練習をしていた被害少年を含む仲間たち。ここに車やバイクで暴走族の一団が襲撃を仕掛けてきます。被害少年は車に乗り込み逃げようとしましたが、慌てて縁石に乗り上げ動けなくなってしまいます。その車を囲む半グレ集団。フロントガラスを割り、車から彼を引きずり出します。
1時間半にも及ぶ暴行
駐車場で顔を踏みつけ、殴る蹴るの暴行を加えます。金属バットを使ったという証言もあります。その後マグライトで頭部を殴打し車の荷台に押し込み移動します。移動した空き地でもリンチが続きました。ハサミで舌を切るという想像もつかないような、むごく恐ろしいリンチを加えます。
勘弁してくださいと懇願
被害者の少年は関東連合のメンバーに囲まれ「勘弁してください」と懇願したそうです。しかし、その願いは聞き入れられることはありませんでした。被害者少年が死に至るまで加えられたリンチの内容を紹介します。
- 頭部を路面に打ち付ける
- 凶器で顔面を殴る
- 至近距離でエアガンを乱射
- 頭髪をライターで焼く
- 舌をハサミで切る
- 荷台に詰め込み移動
- 意識のない被害者を病院の関連施設にポイ捨て
瀕死の状態で置き去りに
1時間半にも及ぶ暴行の末被害者は動かなくなります。動かなくなった被害者を車のトランクに押し込み、総合病院に併設された看護寮の玄関前に放置します。たまたま通りかかったタクシーの運転手に発見され緊急で治療が行われましたが、くも膜下出血、脳挫傷により助かりませんでした。
被害者は大きないびきを
被害少年は放置された現場で意識がなく大きないびきをかいていました。これは、頭蓋内出血により脳内が圧迫されている症状です。放置されることなく治療していれば最悪の結果は避けることが出来たかもしれません。
本人と判別できないほどの暴行痕
被害少年の父親が本人確認のために病院で彼と面会をしました。しかし、あまりの変貌した姿に父親は「わからない」と答えるしかなかったそうです。顔の形が無かったのです。常識では計り知れない恐ろしいリンチが行われたのです。ご家族の心境を考えるとやり切れない思いが沸きあがります。
トーヨーボール事件驚愕の真相!人違いで殺された!?
被害にあった少年は関東連合とは関係ありませんでした。関東連合と当時敵対していた全狂連というグループとも関係がありませんでした。まったくの勘違いから襲われ命を落としたのです。少年にとっては悲劇でしかありません。
関東連合には対立グループがいた
関東連合が当時対立していたグループは全狂連という暴走族グループでした。全狂連は50’sアメリカンスタイルの「オシャレな不良」という触れ込みの組織。全盛期には全国に支部を置き数千人規模のメンバーがいたといわれています。
被害者は全くの無関係!?
不良少年の利己的な自己顕示欲によって被害者の少年は「勘違い」という全くふざけた理由で最悪の結末を迎えたのです。到底許せる問題ではありません。しかし、少年法に守られた彼らの多くは実名も写真も公開されることはありませんでした。
カラーギャングとは?暴走族とも違うその正体とは!
女優三田佳子の次男も関与していた?疑惑のトーヨーボール事件
トーヨーボール事件が世間の注目を集めたもう一つの理由に、女優の三田佳子の次男が関与していたことがあげられます。三田佳子の次男とはどんな人物なのか、そしてどのように事件と関わっていたのかを紹介します。
三田佳子の次男は覚せい剤中毒?
三田佳子の次男、本名高橋祐也は高校生の時に覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後2018年までに4度の逮捕歴があります。その都度三田佳子は会見を開き息子の弁明をしてきました。高校生の時に数十万円の小遣いを渡していたことが分かると「度を超した過保護で甘やかしすぎ」という批判が世間から集中しました。
高橋祐也の逮捕歴
高橋祐也は高校生の時から通算して4度の逮捕履歴があります。そのすべてが覚せい剤によるもの。覚せい剤からは「足を抜くことが出来ないのだ」という事が良く分かります。4度目の逮捕時は36歳になっていましたが母親の三田から1日15万円の小遣いをもらっていたそうです。
- 高校在学中に覚せい剤取締法違反で逮捕
- 2000年自宅の地下室で覚せい剤パーティーを開催したことが発覚
- 2007年コンビニのトイレで覚せい剤吸引
- 20018年渋谷の焼き肉店で覚せい剤取締法違反の容疑
犯行現場には女優三田佳子名義の車
事件現場で目撃された車両にチェロキーという外国産の高級4WD車がありました。この車の名義が三田佳子だったのです。凄惨なリンチ事件として注目を集めていた事件が、更に炎上して一斉にメディアに取り上げられました。
三田佳子の次男は関東連合に所属!?
三田佳子の次男の高橋祐也は関東連合に所属してリンチ事件に関与したのか?噂が噂を呼び半ば既定事実のように報道がエスカレートしていきました。実際には関東連合に所属する人物から小間使いのように扱われていただけに過ぎず車は貸し出されたものでした。
緊急記者会見まで!
三田佳子は自身の車が事件に使用されたことに関して「誰かに盗まれた」と釈明します。泣きながら信じてくださいと訴える姿がテレビで報道されます。結局は次男が関東連合の知人に貸し出していたことが発覚。事件への直接的な関与はなかったものの被害者家族から民事訴訟を起こされています。
関東連合とはどんな組織なのか?
関東連合は世田谷区や同杉並区の暴走族が連合を組み1970年代に結成されたアウトローの組織です。1980年~1990年にかけてはほとんど活動が休止し、名前だけは有名な半ば伝説の連合体でした。1990年代になると再度集結した暴走族チームが関東連合を復活。当時勢力を伸ばしていたチーマーと激しい抗争を繰り返しました。
2000年代には渋谷の非行グループの頂点へ
渋谷にあった多数の暴走族、チーマーを従えた頂点のグループへと成長。各チームやイベントサークルの「けつもち」として後ろ盾になることで金銭的な収入源を確保します。またそれらのイベントと大企業を結び付け事業化へと発展。単なる不良少年の集まりから、ヤクザに匹敵する暴力性を備えた「半グレ」集団へと成長していきます。
暴力団とは一線を画す
関東連合と暴力団は違います。暴走族が暴力団構成員になることや暴力団の後ろ盾を得て暴走行為をしていたのに対し、関東連合は暴力団とは距離を置き、時には全面的に対立をしました。六本木では「暴力団と正面から対立した唯一の組織」だといわれています。
組織犯罪対策部の専従班設置
2010年のいわゆる海老蔵襲撃事件を契機にして警察組織の組織犯罪対策部に対関東連合専従班が設置されました。組織犯罪対策部は旧称を捜査4課、暴力団対策課です。暴力団のような組織的な犯罪集団や銃器の密売、外国人犯罪を取り締まる専門組織。これによって関東連合は事実上息の根を止められ解散となります。
トーヨーボール事件被害者家族の悲しみ
抗争を引き起こしていた不良少年のグループには何の関係もなかった被害者の少年。将来の展望に胸を膨らます18歳の少年がある日突然、目も当てられないほどむごい姿に変わって家族に元に帰ってくる。家族の苦渋は察するに余りがあります。
損害賠償請求
被害者の家族は損害賠償として、少年一人当たり500万円という損害賠償請求をします。多くの少年たちが「出所後働いて返します」「とりあえず用意できる金額が…」という形でうやむやにします。なんともやるせません。