25日に宮城県金華山沖で目撃されたのを最後に依然として行方不明なままになっている風船おじさんとファンタジー号は果たして無事なのでしょうか、生きているとしてどこにいるのでしょうか。また、風船おじさんはどれぐらいの距離を飛行したのでしょうか。
風船おしさんが進んだのは予定距離の10分の1
実際に飛行した距離は出発地の琵琶湖から最後に目撃された金華山沖までの1400㎞で、目的地のアメリカまでは約1万2000㎞であることから約10分の1しか飛んでいなかった計算になります。海上保安庁がその姿を確認した際、メインの風船2つが萎んでいたことが分かっており早い段階で海に着水だろうと考えられました。
北緯53度・東経百60度地点着陸の可能性
有識者の意見では「最長でも1週間で着水するだろう」との意見があり、25日の捜査機がその姿を確認した際の位置が北緯約40度・東経153度で、そこに風の流れや台風、気圧などの様々な自然条件を考慮し、最終到着地点は北緯53度・東経160度であるとされています。
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風船おじさんのファンタジー号事件その後
当時、風船おじさんとあだ名までつけられ連日、マスコミに取り上げられていた鈴木でしたが、時の流れと共に関心が薄れて忘れ去られていきました。その後、いくつかの検証番組で取り上げられますが、徐々にファンタジー号についての報道は沈静化していきます。
風船おじさんは失踪宣告により死亡扱いになった
捜索願を出して以降、家族は2年に1度、捜索願を更新しており、戸籍上、鈴木は生存していることになっていました。通常、失踪から7年がたつと失踪宣告がなされ法律上は死亡したことになりますが、石塚と家族はその申し立てをしなかったことから、帰りを待ち続けていたことが分かります。
のちに捜索願の更新と同時に失踪宣告の申し立てをするか思い悩んでいたと話しています。希望を捨てなかった家族でしたが、のちに家庭裁判所へ失踪宣告の申し立てをしたことで鈴木は法律上、死亡扱いとなりました。家族にとっては待ちわびながらも前進するための苦渋の決断だったのかもしれません。
風船おじさんの遺体発見のデマ
その後、風船おじさんの遺体がアラスカで発見されたと話題になります。しかしこの情報は事実無根のデマであることがわかりました。ファンタジー号と鈴木の遺留品も見つからないまま、依然生死は不明となっています。
ファンタジー号と鈴木はまるで神隠しに遭ったように遺留品も見つかることなく、失踪宣告により鈴木は法律上の死を迎えました。日本以外にも神隠しに遭ったような事件が数多くあるのをご存知でしょうか。神隠しについて興味がある方はこちらもご覧ください。
風船おじさんの真相!がファンタジー号事件の真実を検証
動機については様々な憶測が飛び交っていて、その多くは鈴木が抱えていた借金にまつわるものでした。彼はなぜこのような騒動を起こし、自身も行方不明になってしまたという結果を生んでしまったのでしょうか。
真相検証①借金返済のため説
鈴木は多額の借金を抱えており、その証拠に行方不明になった後も残された家族は借金の返済をしていたことが分かっています。そして生前、鈴木は負債者に「この飛行が成功すればCMになるから、CM料で借金返済ができる」と話しており、借金返済の為の計画とも考えられています。
真相検証②自殺説
のちに妻である石塚は今回の失踪を「気の長い自殺では」と語っています。実際、多額の借金を抱えており生前「2億円の生命保険をかけている」「5000万円の生命保険をかけている」などと発言が一致こともありましたが自身にかけていたであろう生命保険をあてにしての行動とも言われています。
真相検証③勝手に飛んで行った訳ではない説
突発的な行動の裏には、当時駆け付けていたテレビ局の煽りがあり飛ばざる得なかったという指摘もあります。週刊誌によるとこの日、飛ぶつもりがなかった鈴木でしたが、テレビ局によってアメリカへ行く雰囲気を作られてしまい引けなくなってしまったというもので、同時に今回の飛行計画の無謀さを指摘しています。
また、当時の新聞記事には鈴木が周りを欺き、強行に及んだと書かれていましたが、それも事実ではないとの意見もあります。その後、テレビ局への取材により「無線資格を取ってからの4月以降に出発予定だったこと」と「事件当日の鈴木に対する煽り」、そして「独占取材を見返りとした資金援助」は無かったことを証言しています。
真相検証④風船が割れて落下死・凍死説
出発前、取り付けられていた風船の一部にガス漏れがあったこと、もともと人を乗せた飛行目的で作られていなかったこと、上空の厳しい寒さには耐えられないこともあり、海上で風船が何らかの理由で爆発し、海面に落下死、凍死した可能性もあると言われています。
目的は他にあった?!冒険の真の目的とは
今回の飛行計画の目的は何だったのか。様々な推測がされてきましたが、実際のところ本人でなければ分かりません。その中で、今回の計画を傍で見てきた人物がいます。同志社大学三輪茂雄教授がその人です。三輪教授もまた鈴木に翻弄されてしまった1人でした。
本当は鳴き砂保護を訴えたかった!
鳴き砂とは日本各地に約200か所存在し、そのうち150か所が現在でも音が鳴る浜として確認されています。鳴き砂の仕組みは砂に触れたり踏んだりして大きな力が加わり、それに耐えきれなくなると動き、動くと加わった力が解放されて止まる、その繰り返しの中で砂が一団となって振動し始めて音が鳴るというものです。
環境汚染に敏感な反応をする鳴き砂は自然保護のバロメーターと言われており、近年の海岸の開発、海浜の汚染などの影響で鳴き砂は減少の一途を辿っています。その鳴き砂の保護を訴える目的として鈴木は今回の飛行計画を立てました。
二転三転した計画案
三輪教授は鈴木と会うたびに異なった計画内容を話したり「アメリカから帰ってきたら俺は有名人だ」と話していたと言います。鈴木の無計画さと無謀さに気づいていたのか、三輪は無線免許を取ること、出発地は琴ヶ浜でなければ意味がないことを諭していました。
しかし、蓋を開けてみると出発地点はおろか、無線免許も取得しておらず、挙句の果てには上昇訓練と言って自分を裏切り、アメリカへ旅立ってしまった鈴木に三輪教授は「成功すれば冒険家だが、失敗すればバカモンだ」という言葉を残しています。
出発地は琵琶湖じゃなかった?!
真の目的は鳴き砂保護の第一人者である同志社大学教授の三輪茂雄の活動に賛同し、日本の鳴き砂の保護と壊滅の危機にあったアメリカネバダ州にあるサンド・マウンテンの保護を訴えるものでした。そして出発地を鳴き砂で有名な鳥取県邇摩郡仁磨町(現:太田市)の琴ヶ浜、到着地をネバダ州サンド・マウンテンにしようとしました。
そのため鈴木は当時の仁摩町町長に2度接触をし、今回の計画の趣旨への賛同と経済支援の要請を求めましたが4月の不時着騒動と日米間で飛行許可が下りていないことから正式な文書を通して断っています。そのこともあり急遽、琵琶湖が出発地点とまりました。
風船おじさんの妻・石塚由紀子が闘病の末に死去
鈴木の帰りを待ち続けた石塚ですが、失踪宣告の申し立てが受理されたことによって鈴木との婚姻関係が解消になりました。そして亡くなる前年にポルトガル人男性と再婚をしました。幸せも束の間、その翌年初めに胆管がんが見つかり、闘病の末、翌年その人生に幕を閉じました。
思えば結婚して約半年でファンタジー号事件が起こり夫である鈴木が行方不明になってしまいましたが、最後までその帰りを待ち続けたことから鈴木に対しての愛情の深さが伺い知ることができます。
2000年には「風船おじさんの調律」を出版していた
石塚は2000年「風船おじさんの調律」を出版します。その内容は夫である風船おじさんこと鈴木に思いを馳せながら、なぜ鈴木は今まで誰も実行・実現しえなかった大冒険に出たのかを妻:石塚の目線から紐解いていくものになります。
最後まで風船おじさんの帰りを信じて待ち続けた
ファンタジー号事件以来、家族はマスコミと世間から厳しいバッシングを受けますが、鈴木の生存を信じていた家族は、鈴木が帰って来たときに困らないようにとの思いで引っ越しをすることなく待ち続けました。
また家族は鈴木が行方不明になって以降、多額の借金を2006年の時点でも払い続けていたことから、計り知れない苦労を背負うことになりました。しかし石塚をはじめ家族にとっては鈴木の帰りを信じていたからこそ、乗り越えられたのかもしれません。
風船おじさんは夢とロマンを持ち続けた人だった
周囲を巻き込みながら、ファンタジー溢れる夢を実現させた風船おじさんは、自分の気持ちに素直で、誰に何と言われようと必ず夢を実現させるという強い信念の持ち主でした。誰もが幼い頃に一度は思い描く「風船で空を飛ぶ」という壮大な夢を実現した行動力は私たちに強烈な印象を残しました。
もしかしたら、今もどこかで夢追い人となり見果てない夢を追い続けて、この広い世界をファンタジー号に乗って飛行を続けているかもしれません。そして鈴木を支え、帰りを待ち続けた石塚とその目で見た出来事を語り合っているかもしれません。
また、風船おじさん以外の〇〇おじさんの詳しい内容は、スープおじさんとは?閲覧注意や検索してはいけない言葉の理由などを解説の記事をご確認ください。