市川一家4人殺人事件の全貌|犯人関光彦の生い立ちや生き残った長女の現在も

「市川一家4人殺人事件」は未成年死刑囚による殺人事件です。この事件の詳細、19歳の犯人関光彦の生い立ちから事件後の心境の変化、被害者長女とその家族に行った残忍な犯行の全貌を詳しくまとめました。

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市川一家4人殺人事件とは?

今回起きたこの事件は日本の犯罪史上の中でもその残虐性、未成年の少年が行った犯行という点で数多くの人々の記憶に未だに残っています。ここではこの事件の簡単な事件内容について見ていきます。

19歳の未成年が起こした強姦・強盗殺人事件

この事件は千葉県の市浜市で起きた強姦を伴う殺人事件です。犯人の年齢が当時19歳の未成年だったこと、そして強姦の上での殺人だった事から少未成年犯罪史上でも稀にみる非常に残虐な事件として世間を大きく騒がせましたこの事件を次から紹介していきます。

市川一家4人殺人事件の犯行の全貌

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この殺人事件がなぜここまで残虐だといわれるようになったのか、それは犯人の少年が犯行時に行った行為の内容と異常ともいえる犯人の精神構造にあります。ここでは今回の事件内容の全貌について見ていきます。

はじまりはフィリピン人ホステスの監禁

この事件は関光彦死刑囚が馴染みのフィリピンパブで働いていた従業員のホステスを連れ出し、2日間の間自宅内で監禁したということから始まります。仲の良かったホステスを何の前触れもなくいきなり監禁するという行為に犯人の異常性を感じてしまいます。

ホステスたちは2日後に監禁から逃れ店に戻る事ができ、監禁された事実を打ち明けます。話を聞き激怒したホステスの雇い主は知り合いの暴力団員に話し、この日以降から関氏は暴力団員の影におびえながら生活をすることになります。

そしてこの後関死刑囚は苛立ったという理由だけで路上を歩いていた20代半ばの女性に強姦をしています。苛立ちという幼稚な動機だけでここまでの犯行を行うというだけでも非常に恐ろしい人間だということが分かります。

この時点で犯人の現代社会ではありえないほどの凶暴性が伺えて来ます。しかしこの男が本当に恐ろしいと感じられる点は、この後に行われる常軌を逸した強姦殺人事件とサイコパスともとれる言動、行為の数々でした。

長女に車で衝突・強姦して個人情報を奪う

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パブの事件の後、犯人は今回の事件の被害者家族の長女と出会います。二人の出会いは長女が1992年2月12日、自転車で買い物をしていた彼女の自転車に自動車でわざと衝突したことがきっかけです。

当初は警戒していた長女でしたが、病院に連れていってもらった事で警戒が解けていき、油断したところで車で長女の自宅まで送り届けるという話を承諾してしまい、自動車に乗り込んでしまいます。そして自動車が人気のない道に差し掛かった時、事件は動き始めます。

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被害者の少女は突如ナイフを向けられ、犯人は抵抗を見せる彼女の体を切りつけて脅し始めます。そしてそのまま少女は関死刑囚が住んでいた自宅のアパートに拉致されてしまいます。この時点で相手が油断したとたんに本性を現すという犯人のサイコパスともとれる異常な精神構造が見えてきます。

その後関死刑囚は自宅のアパート内で2度にわたって少女を強姦し、その後彼女の所持品から個人情報を手に入れるという狡猾な一面も見せています。強姦された少女は部屋を出ている隙を見計らい何とか逃げ出すことに成功しています。

金の工面のため、被害者長女宅に押し入った

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その後目を付けられていた暴力団員から呼び出され、けじめと称して200万円を要求されています。この時はなんとかお金は払うとその場を収め、要求された金銭を用意することはありませんでしたが、実際のところ200万円のお金のあてはありませんでした。

その後は暴力団員におびえる日々を過ごしていましたが、とうとう金の工面がどうにもならなくなってきたところで、関死刑囚は以前強姦した際に手に入れていた長女の個人情報から長女の自宅に強盗をして金銭を手に入れることを計画したのです。

現場宅の下見を何度もしていた

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犯人は下見を何度も行い、長女宅に何時ごろに誰がいるのかを探る為に何度も電話もかけるなど強盗に入る前の下準備も周到に行っていました。そして電話から午後の時間に留守にしていることが多いことを確かめ、犯行時間を午後に設定しエレベーターの監視カメラの位置も把握していました。

最初の殺人は被害者長女の祖母

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犯人は金品を探し始めますが中々見つからなかったようで、場所を見つけるために寝ていた祖母を起こし脅し始めます。しかし祖母は強盗の脅迫に対して気丈に振る舞い、金品のある場所を教えませんでした。

その後緊張からかトイレに向かった関死刑囚の隙をついて祖母は警察に電話をかけようとしますがすんでのところで見つかってしまい、首を絞められて殺害されてしまいます。その後バッグから10万円を盗んでいます。

2番目の殺人は被害者長女の母親

次の犠牲者は被害者宅の長女の母親でした。母親と長女が買い物から帰宅し、鉢合わせをしてしまいます。その直後母親は地面にうつぶせにさせられ、背中に数回包丁で刺され殺害されてしまいます。

母親の死体は一緒に帰宅してきた長女を脅迫し母親の死体を掃除させるという行為を実の娘に無理やりさせるという残忍極まりない手口に、異常さが現れていると感じます。さらにはこのすぐ後に保育園から帰ってきた妹と長女の3人で夕飯を食べるという異常な時間を過ごします。

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更に犯人が常軌を逸しているのはこの後で、祖母の部屋で就寝している長女に対して再び強姦を始めるのです。現場でその家族を強姦をするという行為に、背筋のおぞけが止まりません。しかし被害者の数は、さらに増えていくこととなるのです。

3番目の殺人は被害者長女の父親

3人目の被害者は被害者家族の父親で、包丁で重傷を負います。そしてその状態の父親に通帳の場所を教えるように脅し自宅の通帳の場所を聞き出した後、今度は私欲の為に父親の事務所にある通帳も盗もうと考え、そして事務所へ通帳と印鑑を受け取らせに長女を向かわせている間に殺害したのです。

最後の殺人は被害者長女の妹

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その後事務所の通帳を受け取りに行った際の長女の様子を怪しいと感じた社員が電話をかけてきたことをきっかけに犯人がまだ幼い女の子を包丁で刺し、さらには背中を刺され苦しむ妹を見た犯人はなんと長女に向かってとどめを刺すように命令します。

この殺人を手伝わせるという残虐極まりない行為には本当に憤りを感じざるを得ません。またこの行為を犯人は無自覚に罪の意識なく言い放ったという点も、他人に対しての共感性が全くないという犯人の異常な一面が見て取れます。

父親の会社からの通報により事件が発覚

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妹は最終的に関死刑囚によって絞殺されてしまい犯人によって長女は包丁で切り付けられ、殺される一歩手前まで追い詰められてしまいます。しかしその瞬間突如家の扉から警官隊が突入してきたのです。

どうやら先ほどの電話を不審に思った社員が警察に電話をかけ、通報を受け駆け付けた警察官が長女の家の外から事件を目撃し事件が起こっていると判断、その後被害者宅に警官隊が突入したのです。

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犯人は長女に包丁を持たせ脅しているふりをするように命令したものの精神が疲弊しきった彼女は床にへたり込んだまま動きませんでした。この時点でもまだ他社を利用して自分が逃れることを考えるというのは、救いようがないと言わざるを得ません。

犯人が長女を怒鳴った瞬間突入した警官隊によって逮捕されることとなりました。こうして長女と今回の事件以外の強姦事件を含めた5度の強姦、そして何の罪もない家族4人を殺害した吐き気がするほどの残虐な事件は終わります。

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市川一家4人殺人事件の犯人・関光彦の生い立ち

ここまで少年犯罪史の中でも最悪の部類に入る事件の内容を見ていきましたが、では犯人は一体どのような人生を送り、なぜここまでのモンスターになったのでしょうか。これまでの経緯について見ていきます。

父から虐待を受けて育った

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関光彦死刑囚は父、母、弟の4人家族の長男として生を受けます。父は酒とギャンブルに夢中になる典型的な荒れた父親でした。母に対しても暴力を振るい、その行為は弟、そして関死刑囚にまで及びました。

そんな環境の中、週末や長期休暇の間には父方の祖父の家におり、彼は祖父に対しては非常に強い尊敬の念を抱いていました。しかし家庭内の境遇事態は変わらず、自宅にいる間は父親以外に母親からも虐待を受ける少年時代を過ごしていました。

母弟と共に極貧生活を送っていた

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辛い家庭環境の中少年時代を過ごしてきた関光彦死刑囚ですが、経済面でも非常に厳しい生活を強いられていました。父親が闇金融など数多くの期間から借金を抱えていたため、自宅に借金取りが連日取り立ての為に訪れる生活に耐えきれなくなった母と弟と共に家を出ました。

その後は母親一人で子供二人を育てる非常に貧困した生活を送っており、関少年は狭いアパートの中家族3人での貧しい生活を送ることとなります。しかし鬼のような父親と借金から逃げたものの、酷い環境が変わることは在りませんでした。

貧乏が原因でいじめに遭っていた

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小学校に転入後、貧しい家庭だったことからランドセルもなく風呂敷で登校し、全く同じ服で登校していた関死刑囚ですが、クラスメイトはそんな彼をいじめの標的にし、つらい少年時代を過ごす事になります。

学校では連絡網を作成する為に生徒の電話を聞いた際に家庭に電話がないと話すと生徒はおろか担任の先生にすらも馬鹿にされて笑われるといった事もあり、味方であるはずの先生にすら笑われるというのは関死刑囚の心にどす黒いものを残したのだと思います。

高校中退後に祖父のうなぎ屋を手伝っていた

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いじめの日々だった小学校を卒業後中学校に進学した関光彦死刑囚は不良生徒と付き合いだすようになり、非行の数々とシンナーの乱用や母に暴力を振るうようになりました。そんな荒んだ中学校生活を卒業後、彼は野球の名門校に進学しようとするも失敗し、堀越学園の普通科に進学をします。

堀越学園では学校を休まず成績優秀な優等生として学校生活を送っていたものの、中学時代の不良生徒との関係は続いており、かつての父親と同じように酒と煙草に溺れ、そして母への暴力はさらに強まっていきました。そして高校2年時に恐喝事件によって停学処分を受け、結局高校は2年で退学しています。

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その後はアルバイトを転々としながら違法な薬物に手を出すなど荒んだ生活をつづけ、最終的に祖父の経営するうなぎ屋を手伝うようになります。しかしそこでも数々の問題行為を繰り返していました。

荒れた生活の中で犯罪を繰り返した

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このように酷い家庭環境と困窮した生活だった関死刑囚ですが、高校中退後もその心は変わらずむしろさらに荒んでいきます。祖父のうなぎ屋で手伝いをするものの問題行為を繰り返した関死刑囚は祖父にそのことについて問いただされます。

その事に逆上した彼は就寝中の祖父の顔面を蹴り左目を失明させるという暴行事件を起こします。祖父はこの事件で糖尿病の影響で失明していた右目と共に両目を失明してしまいます。この頃から他人に対しての思いやりと言う物が欠如していることが分かります。

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