市川一家4人殺人事件の全貌|犯人関光彦の生い立ちや生き残った長女の現在も

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その後も犯罪行為をやめることはなく、前方の車の速度が遅いことに腹を立て運転中にわざと走行していた車に自分の車をぶつけ、乗っていた相手の顔面を何度も殴るといった異常ともいえる事件を起こしています。

フィリピンパブ女性と結婚していた

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関死刑囚は仕事仲間といったフィリピンパブで勤務していた女性と恋仲になりその後1991年にその女性と結婚をしています。しかし結婚した女性とはフィリピンにいる姉の病気の容態を見に行くために帰国した後、日本に帰国してくることはありませんでした。

ここまで見ると関死刑囚のどす黒い心の形成は酷い家庭環境、学校でのいじめと中学校以降の非行に走った数々の犯罪行為に問題があったように思えます。しかしそれで今回の残虐な事件が正当化される訳はなく、彼自身の問題も多くあったことは疑いようのない事実です。

市川一家4人殺人事件の判決

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ここまで事件の内容、そして犯人の荒んだ家庭環境と経歴について見ていきました。ここからはこの犯罪で未成年である犯人の死刑判決後に関して、犯人自身の心理も併せて見ていきたいと思います。

「未成年が死刑になるはずがない」と高を括っていた

どうやら犯人の高慢な態度は逮捕後も変わることはなく自分は未成年だから死刑になることはないと考えていました。現在も度々議論の的になる少年法を彼は知っており、自分もその範疇に収まっているために安全圏内にいると主張していたのです。

実際に彼は未成年犯罪の中では非常に残虐な殺人事件の一つである女子学生を殺害後コンクリートで固めて遺棄した事件でもでも犯人は死刑になっていないと話しており、犯人が心底自分のことしか考えていない罪の意識を持たないモンスターだとこの発言を聞いて感じます。

関光彦に下った判決は死刑

しかし裁判の判決は彼の思惑を外れ死刑となります。死刑判決を受けたその後、彼は死刑の執行を待つまで勾留される事になるのですが、次から事件後の犯人自身について見ていってみたいと思います。

市川一家4人殺人事件後の死刑囚・関光彦

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こうして逮捕後、死刑判決が下った関光彦死刑囚ですが、その後の死刑執行までの間、彼は一体何を考え、何をしていたのでしょうか。ここでは関死刑囚の判決後から刑の執行について見ていきます。

裁判のやり直しを求め、再審を請求

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関死刑囚は裁判所の死刑という判決を不服として死刑判決のおよそ1年後には再審の請求をしています。彼は専門医療機関による精神鑑定や精神面での脳の精密検査を行い、それを証拠として提出したのです。

しかしこれらの証拠からは精神の異常性や心神喪失だったことは証明できず、再審は却下されることとなります。犯行の内容から少なくとも自分の意思でこの凶悪な犯行を行ったものだと判断されたのです。

第2審が行われた2001年、死刑が確定

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しかし結局のところ死刑判決が覆ることはありませんでした。彼は事件に対しての罪を償うという気持ちはなく、第二審が行われた2001年に死刑が確定します。当初は未成年であること、犯人の家庭環境や生い立ちなど同情されるべき点もありましたが、今回の事件の凶悪性を考慮し未成年犯罪の中でも非常に稀な結果となったのです。

死刑が近ずき、関光彦に心境の変化が現れた

死刑判決を受けた関光彦はとうとう自分自身に対しての心境に変化が見られるようになってきました。彼は生き恥をさらしたくはない、家族に迷惑をかけたくはないと人生をあきらめたような発言が増えていきます。

そして被害者家族の納骨を行ったお寺の住職宛に写経を送るといった贖罪ともとれる行為を行ったり、時には関光彦の母に頼まれて来た住職と面会をしたりもしていました。その際に住職から見た関光彦は自分の犯した罪に苦悩しているように見えたと語っており、死が近づいてようやく罪と向き合うようになったのではないかと感じます。

2017年12月19日関光彦の死刑が執行

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そして2017年に関光彦の死刑が東京の拘置所で執行され、事件から20年以上が経っての処刑となりました。この死刑までに体重が120㎏にまで増えており、これは噂では弁護士が死刑の執行を逃れられる可能性があるからと体重を増やすように指示されたからだと言われています。

死刑囚・関光彦の最後の言葉

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最期に発した言葉はこれまで担当していた弁護士に向けた言葉だといわれており、裁判記録は先生の元へと言い残しています。非常にたんぱくな最期の言葉に、人生を完全にあきらめた様子が伺えるように感じます。

また、事件に関して被害者家族に対しての謝罪といった発言は発せられず、本当に彼自身は反省をしていたのか、疑問だけが残ります。どす黒い心の中を真に理解することは誰にもできなかったのです。

市川一家4人殺人事件の被害者長女の現在は?

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こうして犯人の死刑によって結末を迎えた市川一家4人殺人事件ですが、この事件の被害者少女は何をしているのでしょうか。ここでは被害者家族の長女の現在が果たしてどうなったのかについて見ていきます。

事件後は母方の実家で生活し美大へ進学

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生き残った被害者家族の長女は事件後は両親の知人の家に住んでいたようで、その1年後には母方の実家のある熊本に移り住んでいます。高校を卒業した後は夢だった美術系の大学に進学し、キャンパスライフを送っていました。また事件については前に進みたいから忘れたと話しており、前に進む強い姿がそこにはありました。

2004年に結婚しヨーロッパへ

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長女は美術系の大学を2000年に卒業し、その後死刑判決が下される前から交際していた男性と結婚をしました。そしてかねてから家族の夢だったヨーロッパでの暮らしを実現させるために現在はヨーロッパで暮らしています。ヨーロッパの地でも家族と共に幸せな生活が続くことを、心から願うばかりです。

市川一家4人殺人事件の加害者家族の現在

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生き残った被害者は現在幸せな生活をしていることが分かりましたが、では加害者の家族は事件後どのような生活をしていたのでしょうか。ここでは加害者家族の祖父、母と弟の事件後について見ていきます。

祖父のうなぎやが潰れた

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犯人に関しての負のイメージは死後もいまだに存在しており、事件後うなぎ屋はつぶれてしまっています。その最たる原因は孫の関光彦が起こした事件によるイメージダウンからくるものであるとされています。

うなぎ屋に金を払うと犯人の弁護士へ金を支払う事になると噂になり、うなぎ自体の評判は良かったのにも関わらず犯罪者の血縁者の店に金を払いたくないと客足が遠のいていってしまうこととなったのです。

母親と弟

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事件後にはどうやら二人で身を寄せてひっそりと暮らしているようで、事件に関しての誹謗中傷は母と弟に少なからず向かっていったことが伺えます。関光彦は死してなお家族に迷惑をかけ続けていたのです。

弟の見た感じは非常に穏やかで礼儀正しい性格だったそうで、弟と兄はあくまでも他人で、犯罪者の家族だとしても家族には罪はありません。だからこそこ弟の兄とは正反対な性格はより一層辛く感じてしまいます。

市川一家4人殺人事件の本「19歳」が出版された

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実は関光彦の事件の内容を新聞記者以外にも文通、面会で調べていた作家の男性がそれらをまとめて本として出版していました。ここではその本が出版されるまでの取材の経緯やその内容について見ていきたいと思います。

死刑囚・関光彦は東京新聞の記者と文通していた

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実は著書を出版する作家の男性以外にも新聞記者の男と文通によるやり取りをしていました。文通を始めた頃は比較的普通の文体だったそうですが、拘置所での生活が長引いてくるにつれて関死刑囚の精神状態の異常さに気づき始めました。

手紙の中では正気を保つことが出来ないといった内容の文面もあり、この手紙の内容から死刑といういつ来るかわからないが確実な死が近づいてくること、そして何年もの独房での生活によって精神状態が不安定になる時期があったことが分かります。

永瀬隼介氏から見た死刑囚・関光彦

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そしてもう一人の文通相手の作家永瀬隼介氏はこのやり取りから『19歳』という本を書きます。出版に際して文通、面会で事件に関しての取材を何度も行い、犯人の性格やその心の闇についても調べるといった経緯を挟んでの出版でした。

この著書は関光彦死刑囚本人も読んだようで、本の内容に関して虚偽の文面があると話しています。著書内には死刑判決を受けた時の自身の気持ちについても書かれており、虚偽があるとの指摘はあるものの、事件を知るには十分な内容になっています。

市川一家4人殺人事件・関光彦の死刑は賛否両論だった

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今回の事件の犯人である関光彦の死刑には、当時世間の間では賛否両論が巻き起こっていました。ここでは未成年の犯罪者の死刑に対しての意見について、世間の声と共にどのようなものだったのか見ていきたいと思います。

終身刑の方が重いという声も

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死刑って「執行」そのものよりも「毎日執行に怯えながら過ごす苦しみを与える事」に意味があるんじゃないかと思う。 終身刑だとそんな緊張感は無く、雨風凌げて冷暖房完備食事付きでダラダラと寿命まで生き長らえるだけ。そんなので被害者遺族の心は救われるのかな?(引用:Twitter)

ほとんどの意見ではやはり事件の内容から死刑なのは当たり前であり、未成年という点は考慮されないといった意見が多数を占めていました。世間の声は未成年犯罪での死刑に対して事件内容の残虐性を重要視しているように思えました。

しかし世間の意見の中には死刑で終わらせるのでは罪を償うということにはならない、終身刑で人生全てを懸けて罪を償うべきという意見も存在しました。確かにこの意見も間違っている意見ではなく、非常に難しいところではあります。

死刑は少年犯罪の抑止に繋がる

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私は死刑制度に賛成してる。 被害者の想いとしてどうしても加害者を死なせないと仕方ないことってあると思うし、死が持つ抑止力も大きいと思う。(引用:Twitter)

また、死刑という制度自体が未成年者への犯罪を抑止する手段だと考える意見もあります。確かに今回の事件も自分が未成年だからと死刑にならない事を見越したような犯人の発言があったことから、そのような未成年に警告のような形で死刑制度があることを見せておくのは意見としては間違っていないと思います。

他にもあった!未成年の起こした凶悪殺人事件

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ここまで市川一家4人殺人事件について見ていきましたが、実はこれ以外にも未成年が起こした殺人事件は数多くあります。ここではまず神奈川県の進学校の生徒が起こした凶悪な殺人事件について紹介していきたいと思います。

未成年が起こした時間に興味がある人はこちらをどうぞ。

いじめを発端とした首切り殺人事件

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この事件は神奈川県の高校で起きた未成年による殺人事件です。生徒の通っていた高校の名前からサレジオ事件と呼ばれており、犯人の少年は中学生当時殺害した少年からいじめを受けていました。そして放課後唐突に今まで受けたいじめを思い出し復讐の為に登山ナイフでいじめをしていた少年の首を刺して殺害します。

その後時間をかけて殺害した少年の首を切り落とし、さらにその首を蹴飛ばすという異常ともいえる残虐な行為を行います。先ほど紹介した事件の犯人との共通点としてはいじめを受けていたという点が挙げられ、幼少期の心の傷は残虐な心を生んでしまうきっかけになると考えられます。

犯人の少年の逮捕後とその後

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犯人の少年は犯行後警察に逮捕されて少年院に入るものの、少年院から出所した後はしっかりと更生を果たし大学に進学して大学院の修了過程まで獲得します。そして司法試験に見事合格して弁護士となっています。

しかし弁護士となって数年後少年の個人情報がネットを通じて公開されるという問題が起きます。その後は殺害した少年の遺族にあてて謝罪の言葉を述べた手紙を送った後、弁護士を止めており、音信不通となってしまいました。

宮城県で起きた未成年による連続殺人事件を紹介

神奈川県での未成年による首切り殺人事件について見ていきましたが、次に見ていくのは宮城県で起きた18歳の少年による連続殺人事件です。強姦は伴わないものの、事件の残虐性は前述した連続強姦殺人事件に匹敵するものです。ここではこの宮城県での殺人事件について見ていきます。

石巻市の民家で少年が3名を殺害

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この事件は当時18歳だった少年が民家に侵入して交際中の女性とその姉、知人の3名を包丁で刺し、2名が死亡し交際していた女性1名が重傷を負いました。犯人はその後重傷を負った女性を自動車に乗せ逃走を図るものの、警察によって同日に身柄を確保されています。

犯人は当時交際していた女性に何度も暴力を振るっており、交際の破局後も何度も復縁を迫るなど粘着質な性格でした。そして交際女性の姉が自分と彼女との仲を引き裂こうとしていると思いこんだ犯人は姉への強い殺意から交際女性宅に侵入し、犯行に及ぶという非常に幼稚で許しがたい犯行動機でした。

事件後犯人の少年は死刑判決を受ける

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逮捕後犯人の少年はその犯行の残虐性から死刑判決を受けます。最初に紹介した事件の犯人と同様に未成年であるものの更生の余地なしと裁判所は判断したのです。そしてこの事件の犯人は宮城県にある拘置所に死刑囚として現在も収監されています。

今回の事件も市川一家4人殺人事件の犯人と精神面で共通した点は多く、特に動機の幼稚さと他人に対しての冷徹なまでの接し方などが挙げられます。やはり凶悪犯罪者とは何かしらの共通した精神構造の中で生まれてしまうものなのかもしれません。

日本で2人目の未成年が死刑になる重大な事件だった

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ここまで未成年による凶悪な殺人事件を紹介していきましたが、いかがだったでしょうか。この事件は日本の未成年者による犯罪の中では史上2番目の死刑執行が行われたという点からも分かる通り、非常に残虐で恐ろしい事件です。

このような重大な未成年による犯罪が今後二度と起きないように、少年法という法律を変えなければならない時代に来ているのかもしれません。今後の少年法の改正を願い、今後このような残虐極まりない事件が起こらないことを切に願います。

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