内ゲバとは?その意味や実際に起こった主な事件をご紹介!

新左翼は古い左翼を既成左翼と呼び、より急性的で暴力もいとわない革命を思想に掲げた勢力です。既成左翼は日本共産党や社会党でした。新左翼は世界的な論争を巻き起こしたベトナム戦争や、安保闘争に先鋭的な関りを見せて支持を広げました。

中核派、革マル派、革労協など

日本の新左翼には、中核派、革マル派、革労協などがあります。過激なテロリズムや暴力性が高いことから過激派とか極左暴力集団と言われることも。特に上記の3団体は内ケバが激しく、お互いに殺人者を出す「戦争状態」でした。

総じてもとは同じ組織から分裂

もともとは共産党や社会党といった資本主義とは一線を画す社会主義的な思想を持つ保守とは違う左翼団体。それが中国共産党やスターリンの影響で急性的で暴力をいとわない「テロ組織化」していきます。スターリンや毛沢東が掲げた共産主義は戦争以外で数千万の死者を出したと計算されています。

内ゲバの全盛期

この内部暴力の全盛期は1960年代がら1970年代に最も多く発生しています。1969年に左翼内の内部暴力で初めての死者を出しそれ以降毎年死者を出し88年には22人の死亡者が出ています。もともとは同じ組織に属していた組織同士が殺し合いをしていったのです。

1960~70年代に頻発

左翼内の内部暴力で中核派と革マル派は最も凄惨な殺し合いを繰り広げた組織です。この組織も例にもれず根は同じ組織。1960年代にはリンチや殴り合いが目撃され、70年代になると全国の大学で殺し合いの惨劇が繰り広げられました。

殺し合いの状態に

左翼内の内部暴力は1977年に革労協の書記長が敵対する革マル派によって殺害されると最高の緊張を迎えます。革マル派はあらゆる左翼組織に内ケバを仕掛け、自分たち以外の勢力を弱体化させ権力の集中を図っていきました。

有名な内ゲバの事件

内ゲバの中でも社会に衝撃を与えた凄惨な事件を紹介します。連合赤軍によるあさま山荘事件や、革労協書記長内ゲバ殺人事件などがとくに有名ですがそれ以外にも殺人事件や傷害事件は無数に起きています。

新左翼内ゲバ事件

  • 71年、関西大学構内内ゲバ殺人事件:革マル派が中核派2名を殺害される
  • 71年、あさま山荘事件:連合赤軍が同志をリンチの末殺害する
  • 75年、中核派書記長内ゲバ殺人事件;敵対する革マル派によって中核派の指導者が殺される
  • 77年、革労協書記長内ゲバ殺人事件:革マル派が革労協書記長を殺す
  • 77年、浦和車両放火内ゲバ殺人事件:革労協が革マル派4人に火を付けて殺す

川崎市女子職員内ゲバ殺人事件

川崎市女子職員内ゲバ殺人事件は革マル派と中核派の激しい殺し合いという内ケバの中でも、初めて女性が殺されるという象徴的な事件です。この事件は中核派の書記長であった本多延嘉の殺害に対する報復的内ケバであると、中核派の機関誌で報じられました。

革労協書記長内ゲバ殺人事件の全貌

学生運動が盛んだった全共闘時代の事を知らない方のために、革労協書記長内ゲバ殺人事件の全貌を紹介してどのようにリンチが行われ何によって殺害をされたのかを紹介します。今の感覚では狂っているとしか思えませんが、当時の若者の多くは共感していたのです。

革労協の書記長を鉄パイプで撲殺

撲殺とは殴り殺すという意味です。1977年革労協の書記長が運転する車を革マル派が襲撃。鉄パイプで滅多打ちにするという内ケバ事件を起こします。被害者は救急搬送された病院で死亡が確認されます。鉄パイプで滅多打ちにするという衝撃的な殺し方です。

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