【月ヶ瀬村女子中学生殺人事件】差別や村八分がきっかけとなった悲しき事件

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村の人間は、丘崎誠人の両親に朝鮮の血が流れているというだけで、侮蔑した態度をとっていました。「朝鮮が!」と罵倒する人間もいたということです。丘崎家が農家でなかったことや、区入りを果たしていなかったことも相まって、村人は彼や彼の家族を「よそ者」扱いします。これは、一家が村で暮らし始めて30年経っても変わりませんでした。

公民館の火災の際に丘崎誠人が犯人と疑う

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丘崎誠人が小学三年の時、集落の公民館が全焼するという大きな火事がありました。この時、丘崎と彼の姉が火遊びをしていたという目撃証言と、「誠人、逃げ!」という声を聞いたという村人の話しから、丘崎が放火犯であると疑われます。結果的に、この件は「管理の不手際」ということで決着しました。

しかし、この火事以降、丘崎に対する風当たりは強くなります。親たちは、彼と遊ばないよう自分の子供にに言い聞かせ、また、何か事件が起こるたび、真っ先に丘崎の仕業と疑われるようになります。

理不尽な事の押し付けも

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丘崎家が村八分の憂き目にあっているのは、区入りしていないからです。にも関わらず、区への負担金は支払うよう求められたり、労働奉仕への参加も義務として強制させられたとのことです。彼らは、これらを果たしても、集会などの村の運営に関わることには、参加させてはもらえません。

月ヶ瀬村女子中学生誘拐殺人事件の動機は?村八分?

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丘崎誠人が殺人犯となり、一人の少女が命を奪われてしまった、その原因は、彼が25年間の人生の内に抱え込んだ重たいものと、被害者の少女の些細な行動にありました。あの日、丘崎が人の心を失った理由をまとめます。

幼い頃からいじめられて育ってきた

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出自や家庭の問題、そして村の古い慣習がもとで、丘崎の生まれ育った環境は、あらゆる面で劣悪でした。彼は周りの大人から、白い目で見られ、悪口を言われ、あらぬ疑いをかけられながら、子供時代を過ごしました。

被害者の態度がきっかけで村への憎しみが溢れ出た

そして事件の日、彼の中で溜まりに溜まった鬱憤が爆発しました。丘崎は顔見知りだった少女に親切心から声をかけます。しかし、それに対する彼女の反応は、予想外に冷淡なものでした。少女に無視されたことへのショックと、村人に対する積年の憎しみが重なり、少女を傷つけてやろうという衝動が彼を突き動かしたのです。

丘崎誠人のその後

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逮捕された丘崎は、殺人鬼として大々的にニュースで取り上げられます。マスコミにかみつく彼の姿は、連日テレビに映されました。その後の裁判、そして、彼の最期はいかなるものだったか。月ヶ瀬村の事件の結末を見ていきます。

裁判では上告せず無期懲役確定

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裁判によって、村人による差別や村八分の実体、それによる丘崎の過酷な生い立ちが明らかになりました。しかし、それらは結局、何の罪もない少女を殺めたことに対する、情状酌量の理由にはなりませんでした。2000年6月14日、大阪高裁において、彼は検察の求刑通り、無期懲役の判決を受けます。

そして、罪を認めて以降、決して弁解や責任転嫁をしてこなかった丘崎は、上告を勧める弁護団に反して、訴えを取り下げ、刑が確定しました。

塀の中で自殺

2001年9月4日、大分刑務所にて刑に服していた丘崎誠人は自殺を図ります。自分のシャツを独房の窓にかけ、首を吊っているところを刑務官に発見されたのです。意識不明のまま病院に運ばれましたが、それから4日後に死亡が確認されました。遺書はなかったそうです。

村八分はいまだにある!?田舎暮らしにひそむ闇

事件の背景にあった悲惨な差別や村八分は、月ヶ瀬村にしかない特殊なケースでありません。田舎や田舎暮らしの良さが語られ、地方がIターンやUターンを推進する一方で、移住者が住民のコミュニティから排除されたり、格下に扱われるというトラブルは各地で起こっているのです。このような現代に残る村八分の事例を紹介します。

ゴミ収集所を使わせない

山梨県のとある集落では、東京から移住してきた夫婦がゴミ収集所を使わせてもらえないというトラブルが起こりました。夫婦は引っ越してきた際、役所で自治体のルールを詳しく確認し、規定通り有料のゴミ袋を購入しました。しかし、いざゴミを出そうとすると、住民から「組に入らないと、収集場所は使えない」と注意されます。

それならば組に入らせてくださいと頼むと、「よそ者は組に入れない」と断られるのです。夫婦は役場に相談します。ところが、役場の人間もその組の人間であったため、まともな対応をしてもらえなかったと言います。

自治会費は払わせるが参加はさせない

奈良県天理市のある地域に移住してきた夫婦は、1992年から2012年までの間、1万数千円の自治会費を支払い続けていました。ところが、自治会はこの夫婦を地域の集会や祭りに参加させず、市の広報誌や回覧板も届けようとはしませんでした。この地域に昔から住んでいる神社の氏子ではないという理由でです。

夫婦は自治会費を払うのをやめました。その後、夫婦の母親が亡くなり、自宅で葬儀が行われた際、周辺の住民は誰一人参列してくれなかったとのことです。

他にもあった!村八分が原因となった凄惨な事件

村八分にあってしまうと、時間では解決しないと言われています。法的に訴えるという方法もありますが、司法の判断がどうあれ、人間関係にしこりを残し、状況の改善は難しいです。村八分の挙句、引っ越さざる負えなくなったり、自殺してしまうケースもあります。

そして中には、月ヶ瀬村の事件と同じように、住民に追い詰められた結果、復讐的に殺人を犯してしまうという事件も存在します。ここでは有名な二つの事例を紹介します。

日本の犯罪史に残る虐殺事件

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1938年、岡山県津山市にある村で起こった事件です。感染症である結核を患った男性が村八分の憂き目にあいます。結核は当時不治の病です。自暴自棄になった男性は、彼を蔑み、忌み嫌う村人に復讐します。日本刀や散弾銃を用い、殺した住民の数は30人に及びました。

日本史上最悪とも言われるこの大量殺人事件は、「津山三十人殺し」と呼ばれています。以下の記事で詳しく紹介していますので、是非ご覧ください。

2013年に起こった事件

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山口連続放火事件は2013年7月21日に起こりました。山口県周防市の集落で、住民同士の諍いが起こり、当時63歳の男性が相手の一家5人を殺害、その後家を放火したというものです。犯人の証言によると、彼は集落の住民から村八分のような嫌がらせを受けていたと言います。

月ヶ瀬村女子中学生誘拐殺人事件は村八分が起こした悲しき事件

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学校でのいじめと同様、閉じられたコミュニティは、時として立場の弱い人間や、集団の意にそぐわない人間を排斥し、攻撃することがあります。人の心は周囲の人間によって健全性を保たれます。よりどころを失い、追い詰められた人間は、時として人の心を失ってしまうのです。

殺された女子中学生には何の罪もありません。彼女の命を無残に奪ったことは、許されることではないでしょう。しかしながら、彼女が殺されたことは犯人にのみ原因があると言えるのでしょうか?月ヶ瀬村の事件に関しては、今一度議論が必要であると言われています。

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