雫石慰霊の森は日本最恐の心霊スポット!心霊体験談と悲劇の事故の真相

1971年にこの事故は起きました。その時点では過去最悪の飛行機事故でした。その後1985年に全日空機の墜落事故があり被害者数は更新をされましたが、最も悲惨な航空機事故の一つです。過去に合った飛行機事故を簡単に紹介します。

  • 1982年:全日空機が空港手前で逆噴射し墜落24人死亡
  • 1987年;大韓航空機が北朝鮮工作員にて爆発。115人死亡
  • 1985年:日本航空便が御巣鷹山に墜落520名が死亡する史上最悪の事故

1985年日本航空便が御巣鷹山に墜落

東京羽田空港発の大阪丹波空港行の日本航空123便が墜落した事故。単独の飛行機事故では最悪の被害者数を記録しています。不適切な修理が原因で操縦不能に陥り上空で迷走した末に群馬県にある御巣鷹の尾根に激突しました。

事故当時の雫石慰霊の森はまるで阿鼻叫喚の地獄だった

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全日空機は上空5000mで空中分解しました。スピードは秒速340mというとんでもない速度です。人間の体は「肉の塊」レベルに粉々に壊れてしまっていました。遺体の回収作業というのは実際には火箸で飛び散った肉を回収する作業でした。

事故当時森の中は地獄絵図と化していた

事故現場となった慰霊の森周辺は正に阿鼻叫喚の地獄と化しました。人の肉片がそこら中に散らばり歩くことが困難なのです。腕があり足があり胴体があるのです。しかも季節は真夏の盛りです。すぐに匂いも鼻をつくようになったといいます。

遺体は原型を留めておらず、肉塊となっていた

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遺体の回収は困難を極めました。洋服や着物やストッキングがあちこちの木に引っかかってる。そして人間の物と連想させる「肉片」があたりに散らばっている。飛行機事故の多くはこんな状態だといいます。そして例の森はその中でも特に凄惨だったといいます。

遺体の収容はかなり困難を極めた

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ほとんどの遺体は衣服を身に着けていなかったといいます。爆発と落下の衝撃で衣服がはぎとられてしまったのです。子供の遺体が発見される。マニキュアを塗った腕が発見される。そしてそこら中が真っ赤に染まっていたといいます。

頭が地面に突き刺さった遺体

肩から先が地面に突き刺さった遺体があったそうです。捜索に当たった警察官は2人でそれぞれの足を掴み、土の中から遺体を引き抜いたといいます。衝撃の物凄さを語るエピソードです。明るくなって視界が開けるとそんな遺体があちこちにあったといいます。

【観覧注意】事故当時の衝撃映像

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事件当時の映像がユーチューブにアップされているのでここでも紹介します。かなり凄惨な光景がはっきりと写っています。苦手な方は閲覧には十分注意してください。気分が悪くなるような映像が連続しています。

遺体の回収と田んぼの落ちた自衛隊機とみられる機体

遺体の回収をしている現場の映像が出てきます。遺体そのものは出てきませんが恐らくそこから運び出したのであろう穴と、遺体をくるんだと思われるござが出てきます。そしてござから穴の中に何かを埋め戻しています。

 

遺体安置所で涙の対面

こちらの動画ではムロにくるまれた遺体が運ばれる映像が残されています。そして遺体安置所で家族との涙の再開が記録されています。遺体の損壊が激しく身元の判明が非常に困難だったといわれています。

御巣鷹の事故の悲惨さも紹介しましょう

雫石慰霊の森の航空機事故と並ぶ最悪の被害を出した航空機事故。実際に世界最悪の単独飛行機事故となった御巣鷹の尾根へ衝突した事故の悲惨さも紹介しましょう。この事故でもやはり被害にあった方の遺体は相当に破壊されていました。

あんなの人間の遺体やない!

御巣鷹の尾根へ衝突した飛行機には524名乗っていました。生存したのは4名。520名が命を奪われました。遺体のほとんどが破損し首と胴体がつながっている遺体の方が少なかったと身元確認に訪れた家族は証言します。ほとんどの遺体が部分遺体。「あんなの人間の遺体じゃない」そんな悲痛な叫び声も聞かれました。

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