飯島愛の死を占い師「木村藤子」が予言した?謎に包まれた本当の死因は?

芸能界で生き残っていくためには、どこか飛び抜けた才能を持っていた方が長く活動できるとされています。それだけ厳しい世界なのですが、彼女は自分のような何も特技のない人間は消されるからその前に引退したいと決意を固めていったとされます。

冷静に自分を分析

化粧が剥がれるように何も特技のない人間は生きていけないと冷静に判断をし、人気を博していながらも人気が落ちてから姿を消すよりも美しく良いイメージを保たれたままの幕引きを選んだのでしょう。

新たな開拓をスタート

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タレントとして自分が商品で活動するのではなく、事業をしたいと両親には打ち明けていたようです。彼女の中でどんな内容で事業を行っていくのか、頭の中で膨らんでいて新たなスタートとして動き出そうとしていたのです。

飯島愛の死因は病死!

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突然の死だったことから色々な噂が流れましたが、死因は病死が有力です。なぜなら彼女には夢があり、その夢に向かって歩み出したばかりでした。2つの大きな事業をご紹介します。

飯島愛引退後ラブグッズ新規事業立ち上げ

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若い女性が気軽に手にとれるようなラブグッズ事業を立ち上げたばかりでした。コンドームを持つことは自分の身を守るためであり、全然恥ずかしいことではないし、ラブグッズも手軽に女性たちが手に取れる場所を提供したいと周りに夢を語っていたのです。

もっと性について知るべき

日本では恥ずかしこと、話してはいけないことという暗黙のルールのようなものがありますが、彼女は積極的に若い世代の男女と話す関わりをもち、男性の女性に対する接し方や女性は自分で身を守っていくことなどを、冗談を混ぜながら時には厳しく話していたといいます。

飯島愛が積極的に行ったエイズ啓発運動

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エイズウイルスを身近な問題として考えてもらい、拡めないためにもコンドームの重要性や検査の必要性を積極的に訴えていました。

エイズのイベントにたくさん参加していたことからエイズ説も出ましたが、エイズ検査を受けたことを公表しており陰性であると明かしています。

彼女の名言

かつてテレビ番組でエイズ検査を受けた収録があったとき、結果が陽性でも「私はエイズらしく生きる」ときっぱりと言い切り結果がどうであれ、自分の人生を楽しむことを宣言しました。

夢と理想にあふれた飯島愛の引退後

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引退後の自分の居場所を見つけたばかりの彼女は、やりたいことに奔放しやる気に満ち溢れていました。そんな最中の死は自殺とは考えにくく、彼女も予期せぬ病死であったと言えます。

飯島愛の生い立ちと過酷だった過去

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繊細な性格で、自分のことよりも誰かのために行動をする優しい性格だった彼女は、どのような人生を歩んできたのでしょうか?ここで一度振り返ってみましょう。

飯島愛の家族構成と生い立ち

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両親と弟2人の5人家族で育った彼女は大変躾が厳しく厳格な家庭だったようです。成績は優秀で大人しい少女時代を過ごします。中学1年生までは勉学に励み成績も学年10番以内をキープするほどでした。ですが転機が襲います。

褒められることのなかった幼少時代

常に勉強ができて当たり前、良い子でいることが当然とされていた彼女の過程は、温かい家庭とは程遠いものでした。精一杯、彼女なりに頑張ったテストでも成績の良い子と比べられ、努力が足りないと言われ「頑張ったね」と言われることはなかったのです。

彼女は何でもいいから褒めてもらいたい、認めてほしいその心が片隅に常にありました。

飯島愛非行に走る

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そんな寂しさを祖父が癒してくれていました。ですが最愛の祖父が亡くなったことで精神バランスを崩し、両親からの重いプレッシャーから逃れるように非行の道へと進んでいくことなるのです。

高校に入学しますが非行は止まらず中退し、家で同然で当時付き合っていた彼氏と同棲をスタートさせます。

いばらの道だった

お金欲しさに万引きを繰り返したり、夜な夜な遊びに繰り出していた彼女は、当然身の危険もありました。レイプされ体も心も傷つき、愛を求めて彼氏に寄り添うも暴力を振るわれ生活費を稼いで来いと言われるなど辛い道が続いたのです。

飯島愛AV女優に

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生活のためとして六本木でホステスとして働き始めたのち、スカウトされてAVの道に入ります。ホステス時代に「みんなから愛されるように」と源氏名をつけてもらったことから、飯島愛としてデビューすることになったのです。

それが彼女の飯島愛としての人生のスタートでした。

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