吉原遊郭の中でも中ランクとされる女郎屋では、現在の価格で5万前後だったりもっとランクが下がる見世では5000円ほどだったりと幅広い値段設定でした。その点、サービス内容が異なっていたようです。
銭湯で性的サービスを行う「湯女」
江戸時代初期から大変繁盛したシステムで、表向きは背中を流したり髭を反ることを仕事としていますが裏では銭湯で男性客に性的サービスを行っていました。湯女が繁盛したことで吉原へ出向く人は半減し人気を二分したとされています。
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歴史に残る異例の出世女郎
彼女たちは、5歳前後から長い年月を得て徐々に男性が喜ぶしぐさや言葉を学び、三味線や踊りなどの教養も身に着けていきます。そんな中でも誰もが驚く大出世を遂げた女性がいたのです。
絶大な人気だった勝山
彼女は湯女としてお客にサービスをしていました。その当時から美しさが際立っており評判だったようです。銭湯での性サービス取り締まり中に逮捕され、美貌の良さから吉原へ移ります。
髪型が女性の中で大流行
上品な髪結いで一層美しい顔立ちが映えたといいます。いつしか江戸の女性たちの憧れの的となり勝山の髪型や着物の着こなし方を真似た女性たちが急増しました。
花魁の道中を考案
厚底の高い下駄を履き、豪華な着物を身に纏って遊郭内を優雅に歩く道中は、映画やドラマでも数多く再現されているのでご存知の方も多いかと思います。有名な足どりは彼女が考案し受け継がれていきました。
花魁が帯を前結びする理由
度々時代劇や映画に登場する華やかな着物を身に着け歩く花魁は、通常の着物と違い帯を前で結んでいますよね。あの結び方はなぜなのでしょうか?さまざまなワケがあって前結びだったのです。理由をご説明します。
自慢の逸品
彼女たちが身に着けている豪華な着物は貢いでもらった高価なものや、自分の稼ぎで購入した自慢の逸品です。誇りある地位まで昇りつけたことを見せつけるため、最もアピールしやすい着こなし方をしていたとされています。
一夜だけあなたの妻です
昔はほとんど前結びされていたのですが結婚し家事をする際に邪魔なので、後ろで結ぶことが主流になりました。花魁のように家事をしない異次元の世界にいる女性を演出をするため、共にする一夜は妻のように接してほしいとの願いが込められています。
脱がせやすい
この仕事はスピードも命です。多くのお客を相手し借金を返さなければいけないので、前で帯を結ぶことで脱がせやすくし再度結びやすいように考慮したとの考えも残っています。
こんなにいた!女郎屋で働く人々
異次元な豪華な囲いの中では、女郎だけでなくたくさんの人々が働いました。裏方で支えそして一緒に女郎屋を切り盛りしていた人々をご紹介します。
女郎屋の主人は楼主
現在の社長の身分となります。ただ現在と異なる点は絶対の権限を持ち状況によっては女郎の命を奪うことも許された存在です。楼主の妻や子供にも同じような強い権限を持っていたとされます。
「遣りてばばぁ」の遣り手
年配で元女郎が占めていました。主に女郎の監督役や監視を任されていて元女郎だからこそ理解できる教育や指導をしていました。誰でも高齢になったら任される役職ではなく、女郎時代にうまく楼主に取り合って交渉したようです。
若い衆
待たされているお客をなだめたり、女郎が機嫌よく仕事ができるように配慮したり、大部屋の屏風をセッティングしたりと現在では夜の街のボーイのような役割をしていました。決して年齢が若い男だけが任されていたわけではないようです。
雇い人
客室の廊下を歩き、お客に時間を告げたり部屋の行灯が消えてしまわないように定期的に油を補充したりと寝ずに動き回りました。不寝番(ねずばん)とも言われていました。
芸者・幇間
宴席を盛り上げるために重要な役割をしました。吉原の裏を住みかとし呼ばれると登場して、ひょうきんに踊ったりして盛り上げます。2人1組のペアで行動し男女の関係にならないよう配慮がされました。
女郎屋にゆかりのある芸能人・桂歌丸
笑点の司会を長年務め国民を笑いに包んだ歌丸師匠。度重なる病に倒れついに天国へ笑いを届けに逝ってしまいました。そんな師匠の生い立ちにゆかりのあるのが女郎屋なのです。
桂歌丸は女郎屋で育てられた
師匠は女郎屋の長男と地主の娘との間に誕生しますが、まだ幼いころに父親が急死します。姑との仲がこじれてしまい母親が出て行ってしまい、祖母タネに育てられます。タネは女郎屋を切り盛りしていたやり手でした。
戦時中に壊れた女郎屋を立て直す
戦後にタネ自らが修復し営業を再開します。食料や物資不足の貧しい時代でも師匠はラジオを持っておりラジオから流れる落語を聞いて育ちます。たちまち夢中になったといいます。
女郎達の慰労会で落語家になることを決意
師匠が中学2年のときに、女郎たちを集めた慰労会で生の落語を聞き、感銘を受けて落語家になることを決意します。せめて中学だけは出なさいという祖母の意思から卒業と共に弟子入りをするのです。
女郎屋にゆかりのある芸能人・松田優作
昭和の名俳優の一人の松田優作氏も複雑な生い立ちをしている一人です。実家が女郎屋を営み暮らしていたのです。どんな暮らしぶりだったのでしょうか?ご紹介します。
自宅の二階を女郎屋にする
母子家庭だった幼少期は貧しい生活を強いられていました。駄菓子などの小売業を営んでいましたが家計が潤うことはなく、空いていた二階で女郎屋を営んでいたのです。
家庭環境は悪かった
物心ついた彼は常に自宅に化粧をした女郎がいて、見知らぬ男を連れてきては傍に寄り添う姿を目にします。同じく自分の母親にも知らない男が傍にいて体を密着させているのを目撃するのです。
荒れていた子供時代
母親ではなく女になっているのを目撃しては、嫌な感情がこみあげてきますが、子供ですから対処法がわからず非行に走ります。クラスメートは彼を遠ざけ友人はいなかったそうです。
俳優の道を目指す
アメリカ留学などを得て日本に戻ったのち、俳優を目指します。子供時代に経験してきた辛さや色々な感情が経験となり多数の代表作に恵まれ、アカデミー賞も受賞する名俳優にまで昇りつめたのです。
女郎や女郎屋を描いた作品
表向きは華美で人の賑わう場所ですが女郎として働く女性たちには悲しくもその時代では仕方なかった儚い半生があることから多くの作品でテーマとして世に出されています。
作品①:映画「さくらん」
8歳で吉原へ連れてこられた少女は何度も脱走を試みますが失敗し、どうせやるならと花魁を目指します。生まれ持った美貌と気の強さでたちまち売れっ子女郎になります。
いつしかお客に恋心持つようになり華美でありながら、思うように行動のできない女郎の儚い半生を鮮やかな色彩でエキゾチックに映像化されています。
作品②:映画「写楽」
浮世絵師と花魁の叶わぬ恋を描いた作品です。燃え上がる2日は逃亡を計画しますが、あっけなく見つかってしまい花魁は薄汚い女郎屋に入れられ、浮世絵師は酷い拷問を受けます。仕事の違う2人なら結ばれた運命だったのでしょうが、女郎という見えないしがらみをうまく表現しています。
作品③:舞台・映画化した「吉原炎上」
吉原で生きた女郎の生きざまを本格的に取り上げた初めての映画で、テレビでも再放送され高視聴率を出す作品です。生きていても苦しく開放とは死しかない女郎の波乱万丈な世界を描いています。
作品④:映画「花宵道中」
家なき子などの子役イメージが強かった安達祐実さんの出世作ともいえるこの作品は、幼いころに親から虐待された傷跡がお酒を飲むと赤くなり花が咲いたように見えることから一躍人気女郎になります。一途な恋する切ない女性を見事に演じています。
女郎になれて幸せだったのか?
自分の思う相手と結ばれることのない自由のない彼女たちは自ら女郎に志願したわけでなく、半ば強制的に吉原に連れてこられ半生を狭い囲いの中で過ごしますが、彼女たちは幸せだったのでしょうか?
今と違う暮らしぶり
貧しい暮らしが当たり前の時代でした。ご飯も満腹に食べることもままならない時代です。過酷な労働を強いられますが確実に食事にありつけられます。女郎にならなければ飢え死にの可能性もあったかもしれません。
借金まみれでも着飾れる
借金を返済するために働き、着飾るためにも借金をするわけですが田舎にいたら身に着けることもできない高価なもの、綺麗なものを見ることができて女性として心躍る瞬間があったのではないでしょうか?
男性を虜にすることも
商品として囲いに飼われた身ですが、さまざまな男性を魅了し褒められることも多い存在です。褒められて嫌な思いをする人間はいません。嬉しい感情や人に愛される安心感は得られていたでしょう。
制限はあるが良い経験
恋愛してはならず、結ばれることも許されない女性としての幸せを奪う職業でもありますが、切なく儚い中にも愛や情熱も経験できた人生だったのではないでしょうか。
儚い女郎達の運命が人々を魅了し続ける
世の男性たちを魅了し楽しませてきた女郎たちの運命は、悲惨で過酷なものでしたが、映画作品などを通し今でも美しく人々を魅了し続けています。辛く苦しい半生でも逞しく生きてきたからこそ、内面が磨かれ人々を魅了させたのではないでしょうか。
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