女郎屋とは?その歴史や儚くも魅力的な女郎たちの生涯を徹底解説

独特な女郎言葉

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地方から出てきた女性が多くなまりが強いと聞き取れない場合が多くありました。大名や武家相手になまった言葉では高級遊郭で通用しません。そのために独特な女郎言葉を作り少しでも気品高い女性として見られるよう考案されました。

ありんす言葉

語尾で「です」の代わりに「ありんす」と言ったり「してください」を「しておくんなんし」、「さようなら」を「おさればえ」、「なんですか?」を「なんざんす?」などと言い換えて使用していました。現在でも聞いたことのある語尾がありますね。

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女郎屋の歴史とは?

男性のお客を対象とした性産業はいつから始まったのでしょうか?ドラマや映画の題材にも使われることがありますが、徳川幕府が中心です。ですがもっと以前からスタートしていたのです。その歴史をご紹介します。

元々遊女は芸能に従事する女性のことだった

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彼女らは、最初は巫女のように神仏の前で歌や踊りをしていたのですが生活費をえるため、地方へ出かけ宿場や酒場で歌踊りを披露しながら身体も売るようになったことが始まりと説があります。

遊女は古代中国から存在する

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詩経で遊女という漢字が出ていきます。用いられている意味は、川の女神を指していて古代から存在する言葉でした。日本とは違った意味で使われていました。

日本に残された遊女の呼称

万葉集では、遊行女婦の名前が登場しており平安時代に遊女という言葉が生まれました。源氏物語にも登場しています。鎌倉時代に、性産業として生業する女性が出たとされています。当時は売春が主流だったのです。

1584年最初の遊郭が大阪に作られた

豊臣秀吉が大阪城を新築と共に、日本で初めての遊郭を作ります。以前から各地で売春行為は認知されており性病も高い確率で感染していました。現代のように効果のある薬はなく、感染力を縮小させようと一か所に固めたとされています。

京都、長崎、各地に遊郭が作られた

その5年後には京都に設置されたり、当時貿易が盛んだった長崎では外国人を対象とした遊郭を次々と作っていったのです。それに伴い遊郭以外で売春行為をすることを厳しく取り締まっていきました。

長崎遊郭は外人専門の遊女がいた

日本人客用と外人用と分けて遊女を囲っていました。外国人との子供を身ごもった際は、届け出を出せば出産することができ相手である父親は養育の義務があると異例の規約を作りました。

NEXT 1612年に有名な「吉原」が作られた