日本語で「人種隔離政策」と呼ばれる、この制度・政策は、南アフリカ共和国で1991年まで続いていました。少数の白人が、大多数の有色人種を差別し、隔離し、支配するための仕組みです。
黒人などの有色人種は、白人と関わることを許されず、地位や身分は常に白人より下とされ、参政権も与えられていませんでした。この状況に耐えかねた民衆が運動を起こし、ついにアパルトヘイトの政策は撤廃されるのです。
タイヤネックレスのターゲットは白人側の黒人
アパルトヘイトをめぐって、白人と黒人との対立はいがみ合いに、いがみ合いはやがて戦闘へと発展していきました。そして、1980年代中ごろ、そんな戦闘が激しさを増す中で、この刑が実行されました。
場所は政策により隔離された、非白人の居住区。ターゲットとなったのは白人側に加担したとされる黒人です。彼らは同じ黒人である住民から「裏切者」とみなされ、見せしめとしてタイヤネックレスの刑を受けました。
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世界が目撃した最初のタイヤネックレス
タイヤネックレスの存在は、ある衝撃的なニュースがきっかけで、全世界の知るところとなりました。それは、反アパルトヘイトの戦いの中で起きた事件であり、実行したのは差別主義に立ち向かった英雄と呼ばれる人々、犠牲となったのはまだ若い24歳の女性でした。
1985年マキ・スコサナ(24歳)の生処刑
1985年7月20日、南アフリカのハウテン州ドゥドゥザの町で手りゅう弾による爆破事件が起こりました。この爆発により、反アパルトヘイトの活動家の青年4人が亡くなります。当時24歳だったマキ・スコサナさんという女性は、この4人の葬儀に参列していました。
その葬儀の真っ最中に、彼女は自警団に引きずり出され、報道陣のカメラの前でタイヤをかけられ、そのまま処刑されたのです。当時この様子は、テレビの生中継で伝えられました。
手りゅう弾による爆破テロ事件に関わった疑い
自警団は、彼女が爆破テロに関わった、白人側のスパイだとみなしました。そして、周りにいた大勢の人がそれに同調し、公開処刑に参加したのです。後に、スコサナさんは無実であったことがわかりました。
世界に衝撃を与えたタイヤネックレス映像
テレビで生中継された映像は、すぐに世界中からの注目を集めました。この衝撃的な公開処刑によって、南アフリカの悲惨な現状と、タイヤネックレスという非道な行為が、国外にも知れ渡ることとなったのです。
ネルソン・マンデラの妻ウィニー・マンデラがタイヤネックレスをあおる
非人道的な行為だとして、国際社会や人権団体から非難を受けるタイヤネックレスですが、差別主義と戦うという正義のもとで行われ、武器を持たない民衆の抵抗手段として正当化されていたという側面がありました。その証拠に次のような話が伝えられています。
アフリカ民族会議(ANC)はタイヤネックレスに反対
ネルソン・マンデラは差別主義反対の立場で運動を起こし、アパルトヘイトを撤廃に追いやった活動家です。その後、アパルトヘイトの無くなった南アフリカで大統領に就任し、ノーベル平和賞なども受賞しました。
彼が率いる政党である「アフリカ民族会議(ANC)」は、タイヤネックレスの刑について、公式に反対の立場をとっていました。しかし一方では、差別主義の体制と戦うための「必要悪」だとして、党員の大多数は黙認の姿勢を取っていたと言われています。
マンデラの妻ウィニー・マンデラ問題のスピーチ
「私たちは銃を持たない。しかしマッチ箱とガソリンはある。一緒に手を取り合い、マッチ箱とネックレス(タイヤネックレスのこと)でこの国で自由を勝ち取ろう!」
ネルソン・マンデラの妻は、熱狂する支持者の前でこのように演説しました。彼らに味方した国際社会や人権団体を、ともすれば、敵に回してしまうかもしれなかった発言です。
タイヤネックレスは脱アパルトヘイト運動から私的処刑へ
タイヤネックレスはアパルトヘイトの体制との戦いの中で生まれました。非人道的な見せしめ的処刑方法は、一方で民衆たちの武器としての役割を担ってきた側面があります。しかし、民衆が勝利し、アパルトヘイトが撤廃された後も、南アフリカでは私刑としてのタイヤネックレスが、受け継がれてしまいました。
2015年10代少年5人がタイヤネックレスに
2015年の事例です。10代の少年5人と30歳の男性が、バーで口論になり、その後少年らは男性を襲撃し、殺害してしまいます。そのことを知った地元住民の何人かが、少年らに対しタイヤネックレスを執行。5人のうち3人が重傷、1人が死亡したとのことです。
2018年2人の強盗犯がタイヤネックレスに
2018年の事例です。2人組の強盗犯が高齢の女性の家に浸入し、女性を守ろうとした居候の男性を殺害して逃走します。その後、女性宅の近隣住民がこの強盗らの居場所を突き止め、2人をタイヤネックレスの刑に処しました。
今でも終わらないタイヤネックレス
自由と権利を勝ち取る手段としての、大義名分をもって執り行われていたタイヤネックレスは、今でも、復讐や私的な制裁の手段として、形を変えることなく、残り続けています。まさしく「負の遺産」であると言うことができます。
南アフリカ以外の国にも波及したタイヤネックレス
1980年代の南アフリカ共和国で生まれたタイヤネックレスは、その方法が世界中に知れ渡ると、他の国でも執り行われる事例ができます。多くの場合が、市民や反体制団体または、反社会的勢力の、制裁や報復の手段として実行されたもののようです。
コートジボワールで大学生が強盗をリンチに
1990年代の初頭、コートジボワールのアビジャンの大学生らが住む寮に、強盗が押し入りました。学生らは、自分たちの手で強盗を捕らえ、タイヤネックレスの刑を執行しました。地元警察はその様子を見守ることしかできなかったそうです。
ナイジェリアにてイスラム教徒の怒りによって
2006年9月、ナイジェリアで少なくとも1人が、タイヤネックレスにより死亡しました。預言者ムハンマドの風刺漫画が描かれたことに対し、イスラム教徒が抗議を激化させ、事態に及んだとのことです。
麻薬組織の報復手段として
ブラジル、リオデジャネイロのある麻薬組織は、報復や見せしめの手段としてタイヤネックレスを行っています。2002年6月、ブラジル人ジャーナリストのティム・ロペスは、スラム街の取材中にこの組織に拉致され、拷問を受けたのちタイヤネックレスにより殺害されたと伝えられています。
エンタメ作品の中に浸透するタイヤネックレス
タイヤネックレスはショッキングな行為ではありますが、それ故に、フィクションの中では観客の心を動揺させ、作品に惹きつける効果を発揮する材料ともなるようです。タイヤネックレスが行われるシーンがあるドラマやゲーム、漫画を紹介します。
海外ドラマの悪役が使う
アメリカの刑事ドラマ『ザ・シールド〜ルール無用の警察バッジ〜』のセカンドシーズンにて、劇中、悪役のメキシコ人兄弟が、敵対する2人の若者を殺す手段として、タイヤネックレスを使いました。
人気ゲームの1シーンで
ミリタリー系シューティングゲームとして人気の高い『コール・オブ・デューティ:モダン・ウォーフェア3』の中に、敵勢力が村人をタイヤネックレスで処刑するという場面があります。ちなみに、プレイヤーの行動次第では、村人を救うことが可能です。
日本の人気漫画にも
ビックコミックスピリッツにて連載された、花沢健吾のゾンビ漫画『アイアムアヒーロー』にて、タイヤネックレスにより黒焦げになった遺体と、その遺体がゾンビとなって襲ってくる様子が描かれました。主人公はタイヤネックレスについての知識があったようで、劇中のセリフで解説をしています。
タイヤネックレスの衝撃画像
タイヤネックレスは、想像するだけで身の毛もよだつような所業ですが、見せしめとしての役割通りというべきか、インターネットを通じて、全世界の人が、その様子を画像として見ることができます。
「Necklacing」と検索すると出てくる黒こげの遺体とタイヤネックレス
日本にいる我々も、簡単に閲覧できるものです。モザイクなどの処理もなく、悲惨な状態の遺体の画像が映し出されます。「検索してはいけない言葉」の一つにも数えられており、見ると気分が悪くなったり、精神的なショックを負ってしまう可能性が大いにありますので、検索する際は自己責任でお願いします。
検索してはいけない言葉の一つとしては、以下の記事で紹介している「コトリバコ」も有名です。興味のある方は是非ご覧ください。
背筋の凍る公開私刑タイヤネックレスは今も続く
差別主義を打倒するため起こった運動は、非道な私刑方法であるタイヤネックレスを生み出しました。それは、虐げられてきた民衆が自分たちの身を守り、権利を勝ち取るために必要な武器だったと、彼らは主張します。
しかし、残念ながら、この負の遺産は大義を失った現在においても、怒りや歪んだ正義感、ともすれば享楽を糧として、人々の間で行われ続けているのです。ネットに晒されるタイヤネックレスの画像は、人間の心に眠る残酷さを、リアルに伝えているのかもしれません。
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