また法で争うこととなったのですが、土地移転の登記は無効であるとし西日本殖産のままにすると確定したのです。当然、反社会組織員である男は強要容疑で逮捕されることになりました。
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ウトロ地区の歴史・ウトロ地区問題とは?④
ウトロ町内会が京都府に要望した買取騒動
2007年に、住民たちは安全面の改善を願い公営住宅の建設とウトロ記念館を設立してほしいと申し出たのです。このことから京都府がこの地区を買収するよう意向を示したのです。
ウトロ街づくりプラン
大規模な集会を開き、住宅の老朽化や地区の環境などを話し合います。今後どのようにして自分たちは生活していったらよいか意見を交わしていき、国や行政を動かせるよう抗議を進めました。
ウトロ記念館の建設要望が見送られた
地元の新聞記者がこの出来事に対し取材を行い新聞にも取り上げられる問題になっています。ですが京都府からすると記念館を建てるほどの大きな理由、人々に見てほしい歴史等が見当たらないとして見送られることとなりました。
今でも建設に向けて活動している
計画は着々と進んでいて資金を集めるための募金活動も行われています。これには、在日という差別を受けながらもたくましく異国の地で生きてきた住民たちの半生の歴史を残すために必要だと考えられています。
ウトロ住民が土地の所有権の一部を入手した
土地所有者が土地の税金滞納によって差し押さえになり宇治市が所有することになりました。のちに住民らが設立した財団により一部の土地所有権が認定されたことから、住まいを保護できるという明るい光が差し込めることになったのです。
韓国政府が高い関心を持つ
国際会議が韓国で行われた際、ウトロ住民4名が同席しこの地区の住宅問題や環境を強く訴えました。このことをきっかけに政府は高い関心を持つようになり、出資を出すことに決めたのです。
ウトロ地区住民から韓国への手紙
韓国政府の援助を得たことで、土地の一部を買収し住むことの確保ができたのです。そのお礼にと住民たちは手紙を書き記したのです。これまで暮らしてきた土地にこれからも暮らしていけることを感謝しますと文字に託し母国に送ったのでした。
ウトロ地区の現在は?
多くの争いがあり、注目を集めた地域でもありますが現在ではどのようになっているのでしょうか?平和に暮らせるときがやってきたのでしょうか?現状を明かしていきます。
ウトロ地区住環境改善検討協議会で公営住宅の建設が決定!
長い年月の不法占拠問題が解決せず治安の不安を心配する声もありました。このまま放置は余計に治安悪化になりかねないとし、環境整備のための話し合いが行われ続け、やっと公営住宅の工事施工が決まったのです。
2016年には市営住宅に向けて家屋の取り壊しが始まった
ハイスピードで環境整備が行われており、今ある家屋の取り壊し作業に追われます。多くの人々が新しく安全な住宅への引っ越しを熱望していて、今か今かと完成する日を待ち望んでいたのです。
2017年12月ウトロ市営住宅が完成された
約1年後に真新しいピカピカの住宅が完成し、約40世帯の人々が引っ越しをしたのです。鉄筋コンクリートなのでバラックのような倒壊の恐れもありません。安全に快適に住める環境を手に入れることがやっと可能になったのです。
2019年中に2号棟が建設される
次の施工も着々と進み、今まで寂れた薄気味悪いイメージの地区に新しい風が通り抜け明るい街並みへと変わりつつあります。草間みれだった道路もキレイに舗装され住みよい環境に変わったのです。
約180人の人々が新しい住宅で新生活を始めることとなります。
ずっと住んでいきたい
生活環境はお世辞でも良いとは言えないこの地区ですが、住めば都で住民たちはこの地区を愛しできればずっと住んでいきたいと願っています。彼らは団結しあって数あるトラブルから守ってきました。
そんな歴史も含めて故郷でもあり愛着ある土地になっています。
ウトロ地区の治安は?危険?
この地区で不安視されるのが治安面です。現在のところはどのような環境なのでしょうか?薄気味悪く昔から争いが多かったためにイメージが悪くなっていますが、事実に迫りたいと思います。
治安は普通。人気がない。
明るい日中も人気がなく静かです。ただ建物や看板が時代を思わせる古さや荒れようなためスラム街を連想させ、怖いというイメージが付きまといますが、実際のところは特に目立った犯罪もトラブルもなく普通の街並みという印象です。
祖国愛に溢れている
至る所に古びた看板が掲げられており、ウトロに対する愛やこの地に住み続けたいと切に願う文章が目立ちます。居場所のない住民たちは頼る身寄りもなく、ただこうやって訴えるしか道がなかったのではないでしょうか。
生きるパワーを感じます。
見た目が衝撃
サビたバラック小屋や倒壊してしまい形もないまま放置されている家屋、子供が隠れてしまいそうなほど伸び切った雑草などの衝撃な見た目から薄気味悪さがあり、治安も悪そうに見えてしまいます。
ウトロ地区の一部には高級車も
倒壊した家屋が立ち並ぶ一角には高級車セダンやワンボックスカーが停車しています。一部の過程は富裕層がいるようです。格差が激しい地区なのでしょうか。高級車が一層目立ちます。
経緯を除けば治安が普通
現在に至るまでの経緯があり、その内容が他の地区と異なり濃かったために、世間から注目されてしまいました。ですが、住んでいる人も高齢の方が多く比較的安全な地域なのです。
彼らの生活苦
元々飛行場や工場建設のために日本にやっていた彼らは、飛行場などが消えてしまえば職も失います。そのため大変貧しく生活苦だったようです。
自給自足
近隣の干からびた土地を耕し、自分たちで野菜などを育て生計を立てていました。ですが元々野菜を育てられるような肥えた土ではなかったため、思うような出荷もできなかったようです。
砲弾の破片拾い
隣は自衛隊施設になっているため、演習場へ出向き砲弾の破片を拾い集めては鉄くず業者に売ってお金に変えていました。常に危険と隣り合わせです。
資源ごみ集め
空き缶や新聞紙はリサイクル業者へ持って行くと僅かながらお金に変えてくれます。よくホームレスが袋一杯に空き缶を入れて抱えている姿を見かけますが、同じことをして生計の足しにしました。
ウトロ地区出身の芸能人はいるのか?
テレビで見かける芸能人え出身者はいるのでしょうか?在日韓国人も多い芸能界なので、出身者ももしかしたらいるかもしれませんね。実際はどうでしょうか?ご説明していきます。
安田美沙子がウトロ地区出身だという噂
おっとりした京都弁を話しお料理上手な彼女は、スレンダーな体型を武器にグラビアタレントとして多く活躍してきました。現在は一児のママとなり普段の子育てや日常をアップしたブログが人気ですね。そんな彼女は噂が多いです。
安田美沙子の生まれは北海道札幌市
あくまで噂であって本当は母親の実家がある北海道の札幌市で1982年に誕生しています。札幌市と宇登呂は距離が遠いので言い間違いから出た噂でもなさそうです。そして小学校入学を機に京都丹波市へ引っ越します。
安田美沙子の出身地は京都府宇治と公表
ウトロも宇治市内にあるため出身ではないかと言われていますが、広い市でもありますしこの地区に住んでいたという断定はできないでしょう。父親の仕事の都合で宇治市に引っ越してきています。
ウトロ出身なら出生も同じ
この地区出身であれば、朝鮮や韓国の子孫が住むエリアなため、出生もこの地区のはずです。でも札幌市なので違う可能性の方が高いでしょう。
ウトロ地区の怖い話、2chで話題の「赤いTV」とは?
住みよい街作りが進み不法占拠問題も落ち着いてきたのですが、この地区は怖いイメージを持つ人が多いことがわかっています。それにはある出来事が注目を集めたことから起こっているのです。
テレビ視聴中に夜景が真っ赤に?
事の始まりは2chの主はウトロ地区に住んでおり、「関西テレビ見てたら夜景が真っ赤になった」と興味深い内容のスレッドをスタートしたことからでした。夜空が赤く染まってしまったことからテレビの故障を疑ったのですが違いました。
不気味!赤いペンライトを持った老婆
不思議に感じていたところ庭に気配を感じた主は、窓から外を見渡すとそこには赤いペンライトを持った老婆が立っていたのです。あまりの急な出来事だったことから主は気絶物だと状況を伝えます。
大声を出したら家の周りを取り囲まれた!
この迷惑行為をなんとかやめてもらおうと、主は大声をだして追い払おうとしましたが難なく失敗し、自宅の周囲を囲まれてしまったのです。あまりの恐怖に家のなかで身を縮こませて退散するのを待ちます。
窓を割れたスレ主!その後、音信不通に
なんと退散どころか窓を割られてしまったと書き込みがあったのです。その後何の応答もなくなってしまったことから安否の心配をする書き込みが連日続きました。色々な憶測だけが先走りスレッドは賑わったのです。
約一か月後にスレ主の生存が発覚
やっと主が書き込んでくれました。ガラスを割られた後、バッドを持ちながら家の中に男が入ってきたため、わき目もふらず外に逃げ出し交番へ行ったそうです。
後に親子だったと判明
なぜ庭にいて赤いペンライトを持っていたのか、なぜ主を狙ったのか、親子で狙ったのがどうしてなのか、疑問ばかりが残りますが真相は明かされませんでした。
ウトロ地区に関連する書籍
歴史を風化させないため、この地区に関することが書き記された書籍があります。彼らは日本人のために遥か海を越えてやってきました。帰りたくても帰れず日本を住みかとするしかなかった事情もあります。
知られざるコリアンについて詳しくわかる書籍たちをご紹介します。
ウトロー置き去りにされた街
戦時中に日本のために労働をした彼らは、帰りたくても母国に行けず暮らし続けるしかなかったこの地区の写真100枚と共に終わったはずの戦争でも、彼らの中では終わっていない戦後の生活を文章も交えて書き記した一冊です。
知っていますか?在日コリアン一問一答
在日で暮らす人々の文化の違いがわかる一冊になっています。国によって異なる結婚や教育、就職問題などかた始まり、食事のマナーもわかりやすく解説されています。異文化に興味のある方にとって面白い内容になっています。
ウトロ地区は寂れた街から徐々に新しい街へ
今までは寂れた薄気味悪いイメージが強く近寄りがたい地域でしたが、現在では一変し道路整備も整い市営住宅の建設も進んでいます。これからもっと住みよい環境へと進化を遂げるでしょう。
新しい風が吹き込み、明るく住みよい街となってきた歴史はまだ始まったばかりなのです。
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