七生報国がなぜ右翼のスローガンとなったのか?言葉の由来から真の意味を考える

大東亜戦争中「七生報国」という言葉が盛んに使われ、現在では七生報国は右翼団体のスローガンとなっています。しかし、七生報国はもともと軍国主義の言葉ではありませんでした。七生報国の言葉の由来やその真の意味とは?楠木正成が残した「七生報国」の意味を探ります。

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「七生報国」の意味とは?

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現在あまり使われることのなくなった「七生報国」ですが、この四字熟語は、そもそもどういう意味なのでしょうか?まず初めに、「七生報国」の意味をここで理解し、この先の項目を読み進めて頂けたら幸いです。

「七生報国」とは「楠木正成」が残した言葉!

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この言葉は、日本史における「軍事的天才」との呼び声高い、「楠木正成(くすのき・まさしげ)」が残した言葉であると言われています。この一文からでも、少し保守的な言葉なのかもしれないことは、窺えるでしょう。

「七生報国」とは「国の恩に報いる」という意味

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「七生報国(しちしょうほうこく)」とは、七回この世に生まれ変わって、国に忠実に、誠を尽くすことを指します。「七生」とは仏教用語で、「何度も」生まれ変わることを示し、「報国」は、国から受けた恩に報い、尽くすことを言うのです。

「七生報国」は右翼のスローガン

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「七生報国」は、その言葉自体が含む意味が、保守的な思想であると言えるからです。大東亜戦争…今では太平洋戦争と言われていますが、当時から軍隊を鼓舞する言葉として掲げられていました。その印象が、現在まで引き継がれているのです。

「七生報国」と言った「楠木正成」ってどんな人物?

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次に、「楠木正成」とはどのような人物かを、いくつかの歴史的背景を絡めながら、紹介していきます。はじめこそ悪党と呼ばれるも、革新的な「軍事思想家」とも称された楠木正成の功績を、解説していきます。

楠木正成は鎌倉幕府討幕をけん引した名武将

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楠木正成は、鎌倉時代の末期から、南北朝時代に活躍した武将です。後醍醐天皇に召喚されるまでは、河内と和泉を本拠地とした悪党として名を馳せていました。悪党時代から、農民たちと良好な関係を築いていたことでも知られています。

楠木正成「赤坂城の戦い」

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「赤坂城の戦い」とは、鎌倉時代末期の、1331(元弘元)年9月11日に起きた戦いです。正成の軍と、幕府軍全4軍との戦いでした。赤坂城に籠もり、勝利したことで知られています。兵糧攻めに遭い、1か月後に城は陥落しましたが、正成は上手く逃げ切ることができ、しばらく身をくらませました。

楠木正成「赤坂城の奪還」

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