【つくば母子殺人事件】真相や犯人野本岩男の動機、事件に残る謎とは

運河で浮かび上がった際、3体の亡骸は袋に入れられており外に出ないようしっかりと口が結ばれていました。この1つの結び方が特殊で米を俵形にして保存しておく際、藁をとめておくために結ぶ方法だったのです。

一般的に知られていない

ビニール袋での包装が浸透したため、熟練した農家の人しかできない結び方と言われているのです。逮捕後の容疑者に結び方を再現させたところ、3つともに通常の縦結びをし俵結びはできなかったそうです。

辻褄が合わない長男の殺害時間

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司法解剖したときに、男児の胃からチョコレートが発見されています。これは消化が早いとされ1時間程度で消化され胃からなくなります。容疑者が供述した殺めた時刻と、男児が食べるのを見ていた彼女の友人が覚えている時刻と異なるのです。

ただ亡くなる前に食べていたのか、容疑者の時刻が違っているのか謎を残しています。

つくば母子殺人事件には共犯者がいた?

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確実な裏付けが見つかってはいませんが、この2つの曖昧な点から共犯者がいる可能性がゼロとは言い切れないのではないかと言われていますが、真相は闇に包まれています。

つくば母子殺人事件に共犯者はいたのか検証

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警察が動いたことで事は終結したと思われますが不可解な点が残り、今も光を浴びのうのうと過ごしている影の罪人がいたとしたら世間はまた衝撃を受けるのではないでしょうか?

俵結びの残す謎

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昔から伝わる結び方ができなかった容疑者は、なぜ実際の犯行では1つだけ結ぶことができたでしょうか?3つもある袋のうち1つだけというのも不思議な点です。完全犯罪を狙うとしたら全てこの古風な結び方にして捜査難航を考えるのではないでしょうか?

顔見知りの共犯?

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この結び方が農家限定とされており、熟練した50歳以上の農家の人しか習得していない結び方です。容疑者は農家の生まれなので実は身近に共犯者がいたのではないでしょうか?

野本は自分がやったとしか供述しないため、真相は謎に包まれたままとなっています。

つくば母子殺人事件の裁判の行方は

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第三者からみると何も問題のない幸せ家族像だったため、見えない暗い影が世間の注目を良くも悪くも集めました。身勝手な理由から3人もの命を奪った残虐な騒動の判決の行方についてご説明していきます。

3人殺害に関わらずつくば母子殺人事件の判決は「無期懲役」

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3人もの尊い命を殺めたことで極刑しかないと検察側に言い渡され死刑と言われます。ですが弁護士は、妻からも殺してほしいと言われていて、計画的犯行ではなく更生の予知もあるとして無期懲役を主張します。

異例の無期懲役

医師という立場でありながら、人の命を奪ったことは極めて残忍だと前置きしたうえで、今回の事は計画性がなく衝動的に起こしたものであり、本人も深く反省しているとして最高裁は無期懲役を言い渡し異例の結果となりました。

つくば母子殺人事件の減刑の決め手の1つは優秀な弁護士?

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容疑者は優秀な弁護人に依頼をし、計画ではなく衝動的だったとする見解を弁護します。また多くの周りから慕われていることを訴え誰も悪いことを言う人物がいなかったことも減刑の理由と言われています。

多くの弁護料を払った?

お金を出すことに躊躇しない男なので、罪を軽くしたい一心で優秀な弁護士を探したと思われます。実績のある有力な弁護士では多額の弁護料がかかります。でもお金の感覚が狂っている彼では大した金額ではなかったかもしれません。

悲惨な生活だったのはずの妻は「悪妻」よばわり

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現代では彼女に対し同情の声が集まりますが、生活のためとはいえランジェリーパブで働いたことは、当時からすると週刊誌の格好の題材となり、面白おかしく書かれてしまいます。このことも容疑者が同情を受ける材料になったかもしれません。

現在の風潮と異なっていた

不倫はもともといけないことです。現在の芸能人は不倫疑惑が発覚すると会見など開き謝罪をし自粛するのを見かけますが、昔は違いました。性に奔放な夫を陰で支える妻という風潮が強い時代でした。

嘘も事実のように書いたマスコミ

生活費のために少しでも自給の良いバイトをと思い働いていた彼女を、世間の注目を集めるターゲットとしたマスコミが多数いました。初めは哀れな被害者として取り上げられたにも一変し、みだらな性欲ある女性のスキャンダルとして取り上げたのです。

友人や知人、患者からは3000もの減刑の嘆願書が寄せられた

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大学時代からの友人や知人は容疑者のことを明るくて温厚な好青年と称し、病院内の上司や患者は優しくて誰にでも熱心な先生だったと多数の声があがり、3000超の減刑を訴える書類が裁判の資料として提出されたのです。

こういったことが合わさったことが死刑を逃れたのかもしれません。

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