フライデー襲撃事件!ビートたけしの襲撃理由やその後!つまみ枝豆は?

事件後、世間が騒ぎ始めたことを受け、記者会見を行いました。その時間は10分程度でした。テロップには釈明会見と書かれていましたが、事件を前面的に受け止めて、言い訳もせず、ただ、起こったことを述べたものでした。世間では、大切な人を守り通したビートたけしはかっこいいと好印象でした。

判決後の記者会見

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懲役6ヵ月執行猶予2年の判決が下された直後に記者会見を行いました。記者の中には判決を言い渡された裁判も取材していた記者がいた程、ビートたけしの裁判は注目を浴びていたことが分かります。

おごることなくと裁判官が最後に言ったことを受けどのように思うか記者に聞かれ、おごっていたとビートたけしは自分のことを言いました。

テレビ番組では

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ビートたけしは、事件後1週間は、テレビに出演していましたが、騒動を起こしたのにテレビに出るのかという世間から批判の声を受け、自粛します。そして判決を受けます。その間、謹慎することになりました。

天才・たけしの元気が出るテレビ

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1985年からビートたけしが社長の役割で放送していた、”天才・たけしの元気が出るテレビ”は、“元気が出るテレビ”に番組名を変更し、社長は出張に行っているという設定にし、ビートたけしと同じ事務所の山田邦子を司会に放送しました。

スーパーJOCKEY

スーパーJOCKEYもビートたけしの代わりに山田邦子を司会にし、所ジョージも回によっては総合司会を代行していました。たけし軍団11人の代わりに、大川興業やダチョウ倶楽部を起用しました。

痛快なりゆき番組 風雲!たけし城

1986年5月に開始した”痛快なりゆき番組 風雲!たけし城”は、スタジオに作られた難関という名のゲームをクリアする番組でした。ビートたけしの代わりには、人形を登場させ、たけしの顔のハリボテを被った影武者がビートたけしの代わりに番組を放送しました。

実はその影武者は、ラッシャー板前がやっていました。ジェスチャーのみで声を出さず、家老役の石倉三郎が通訳をしていました。ラッシャー板前はたけし軍団ですが、事件に参加していなかったので、代役をすることができました。

オレたちひょうきん族

ビートたけしが扮する人気キャラクターのタケちゃんマン7には、ラッシャー板前が代わりを務めて放送しました。その後、タケちゃんマン7は登場しなくなり、ビートたけし復帰後、タケちゃんマン7は腰痛で休んでいたことにしました。

フライデー襲撃事件で活動自粛したビートたけし!FNS夢列島で復帰

FNS夢列島(FNSスーパースペシャルテレビ夢列島)は、1年に1回夏に放送されていた長時間番組で、ビートたけしが7か月間活動を自粛したのち復帰を果たしました。この時、FNS夢列島は第1回目の放送でした。

1987年に『FNS夢列島』のトークコーナーで復帰したビートたけし

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深夜のトークコーナーで、明石家さんまとタモリが、ソファに座ってトークしている中、ビートたけしが遅れて登場しました。3人でソファーに座って、飲み物を飲みながら、タバコを吸いながら、約1時間ほど色々な話をしました。

緊張感溢れる現場の中でビートたけしはフライデー襲撃事件をネタに

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フリートークの生番組だったので、明石家さんまやタモリはもちろん、スタジオには関係スタッフ、報道陣も大勢が緊張感溢れて、張り詰めた雰囲気でしたが、ビートたけしはフライデー襲撃事件の話をします。

自分は酔っていて、蹴飛ばして転び頭を打って気絶していたんだと、トボけて笑いを誘います。

謹慎中の面白ネタ

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復帰のトークコーナーでは、他にも謹慎中の面白ネタを沢山話しています。以前と違い、しゃべったことに批判を受けることなどを気にして少し疲れると語っていますが、1時間のほとんどはビートたけしが話しています。

ゴルフ三昧

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謹慎中の7か月はゴルフ三昧で、休んだのは10日ほどだと語りました。その時に、キャディーさんに一緒に写真を撮ってくれと言われ撮った写真が翌日週刊誌に乗っていたが、あのキャディーさんは誰だったんだと笑わせています。

沖縄

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謹慎中は沖縄にも長くいました。地元の交番には、ビートたけしを見たと20件ほど連絡が入って、自分は逃亡者と勘違いされたことを語りました。また、あるお店の店主の女性は耳元で、裏から船が出るから逃げなさいと言ったそうです。

かつ丼

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警察署での取り調べで、何か食べたいものはあるかと聞かれ、たけし軍団が、”かつ丼だ!”と、ドラマのシーンで出てくる定番を言い出し、かつ丼を頼むと出してくれたのですが、あとで、代金を請求されたと語りました。

裁判

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裁判で、検察の人より、自分の弁護士の方が、自分に厳しかったことを話します。また、ビートたけしの当時の事務所の社長が証人として出廷したのですが、緊張して上手に話してくれなかったことを、「あんな席に呼ばれたことないから」と語り笑いを誘いました。

オフィス北野設立

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所属していた太田プロダクションを辞めて、事件後に兼ねてから友人だったプロデューサーの森昌行が社長を勤め、オフィス北野を設立します。当時の所属タレントは、ビートたけしとたけし軍団と寺島進などがいました。

フライデー襲撃事件の事の発端はフライデーによる過剰取材?

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事件の発端は、嫌がらせとも取れるほどの過剰な取材によるものでした。しかも、その記者は以前よりビートたけしに寄り付き、悪いことは書かないからといって取材していた顔見知りだったのです。

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