今から24年前の1995年に神主に就任した犯人、その後神社協会からもその能力の高さや人脈の広さを認められるなど、大変裕福で円満な生活をしていたわけですが、それゆえにカジノやギャンブル、そしてホステス通いなどの私利私欲が働いてしまったのです。
一つ分かっていただきたいのですが、神社や寺で務めている関係者や一族は皆、このようにお金を私利私欲のために駆使しして豪遊しているわけではないのです。この富岡一族が少しイレギュラーであることを理解しておいてください。
父親が富岡茂永を官司から解任
その金使いや多くのトラブルを見かねて、神社の関係者周囲から問題視されて、前神主の父親により強制的に辞退、すなわちクビにさせられるわけですが、このことを反感に感じてこの事件の大きな引き金となってしまうのです。動機が逆恨みのようにも思えてくるのではないでしょうか?
あまり内部事情に詳しくない我々一般人がこの話をざっと聞いても、なんとなく辞退、クビになるのは当然のように感じるはずです。それだけふさわしくない行いを働き続けているのですから、自業自得と言えるのです。
解任の逆恨みがここから始まっていく
強制的に神社関係者や親族から神主を辞退させられた犯人。しかしそれは当然の結果と言えますが、彼からしたらそれは裏切り行為のようにとらえたのかもしれません。そして代理で任せられる姉や父親に恨みが募っていくこととなるのです。
犯人以外の一族関係者がまともであったかと言われたら、何とも言えませんが、やはり犯人の逆恨み、そしてそのお金と権力に溺れた人格がこの事件を引き起こした大きなポイントになるのではないでしょうか?
解任後は官司不在が続き神社本庁を脱退することに
半ば強制的に解任された後は代理として姉が務めましたが、正式な神主として認められてはいないので、神主不在がしばらく続きました。そしてその不在に不満が溜まってきた神社はついに、事務組織である神社本庁から抜けてしまうことになるのです。そしてそれを機に被害者の姉を正式に神主として就任させるのです。
つまりこの富岡家という一族だけではなく、神社自体そのものも疑問視されているのです。神聖な神社なのにも関わらず、私情を持ち込みすぎていると言えるのではないでしょうか?こうしたこともこの事件の要因となっていると考えられます。
富岡長子が21代目官司へ
先ほどお話しさせていただきました通り、神社の事務的組織から脱退したのち、その神社は独断のような形で姉であり被害者となる長子を、正式な21代目の神主に就任させるのです。このことが大きな導火線となって犯人の怒りに触れてしまうこととなるのです。
長年に当たってその神主という立場を取り戻そうとあらゆる手を尽くしてきたと思われる犯人は、このときついにそれが未来永劫叶わなくなってしまったのです。そして悲惨な事件を起こすこととなってしまうのです。
2001年ごろから富岡茂永が怪文書を送りつける
事件が起きた同年に正式に神主として就任を果たした被害者の姉ですが、それまでもずっと代理としてその神社の長として経営していきました。その間の今から18年前である2001年ごろから犯人は神社や姉に何度か怪文書を送り付けているのです。
そこからいろいろな嫌がらせが続けられており、2006年には脅迫するように犯人が死んでも怨霊となり呪い続けて、永遠にたたり続けるといった内容の手紙を送り、それが原因で一度犯人は逮捕されているのです。このように事件が起きるはるか前からトラブルが続いていたのです。
富岡茂永は2800通もの手紙を神社関係者に郵送していた
被害者の姉の誹謗中傷や神社自体の事を色々な文面で書かれた、なんと2800通あまりもの手紙を神社の関係者や神社の事務組織に郵送していたそうなのです。この数からみても犯人の私怨は相当なものだったことが分かります。
このたくさんの手紙も、被害者の姉が何度も申請したのにもかかわらず、正式に神主と認められなかった理由になるかはわかっていません。ですがこういった内部事情を把握していた協会が、被害者の姉の事を簡単に神主として認めることができないのは、わかるような気がしますよね。
富岡長子のブログで中傷文は公開されている
弟から執拗なまでの中傷文や嫌がらせは長年に続いたわけですが、その間被害者の姉は自身のブログ内でその文面を公開されているのです。これは戒めや公に公開するといった狙いがあったためでしょうが、この行為もまた犯人の反感を買ってしまったのでしょう。
Contents
ついに富岡八幡宮事件が発生
ここまでの記事では被害者の姉と犯人の弟の生い立ちや、関係性、いきさつについてまとめていきました。神社に携わる一族、そしてその神社の長としての立場やお金と権力が大きな要因であり、それを巡っての実の兄妹間でのトラブルが発端となったことは分かっていただけたのではないでしょうか?
そうしていよいよ遂に日本を揺るがす凄惨な事件が都内で発生してしまうのです。ここからは実際に起きた日のことについて時系列に沿ってまとめていきます。是非その場面をイメージしながら読んでみてください。
富岡八幡宮事件の当日の動き
こちらの見出しでは事件当日の動きを説明していきます。この日どんな犯行が行われたのか、その時被害者や犯人はどうしていたのか、その時の様子をなるべく詳細にまとめて皆さんにご紹介していきます。
富岡長子の帰宅を狙った計画的な犯行
突然の怒りが殺意と変わってしまった衝動的な犯行もから起きてしまう殺人事件もありますが、これはその反対で計画的な犯行と言われているのです。なぜなら犯人の弟は、被害者の姉がその時間帯に車で帰ってくることをあらかじめ把握していたのです。
その帰ってきた瞬間をまさしく襲撃したのです。ひとえに殺人という行為は非人道的行為であり大変重い罪なのでありますが、衝動的な犯行よりも計画的な犯行のほうが悪質であるとされているのです。このことも恨みが溜まりに溜まっていることが伺えるのではないでしょうか?
富岡長子は逃走するも殺害される
一度はその狂気に満ち日本刀の凶器を振るった実の弟から逃走を試みるも、最後には首元を切られてしまい殺害されてしまうのです。この時はよほど憎しみや私怨が大きかったのか何度も串刺しにしたそうです。
富岡茂永の妻は運転手を襲った
3人目の妻である真理子もこの事件に加担していたのです。彼女の動機は長年による親族からのいじめや誹謗中傷。そして夫である犯人の不遇によるものと考えられます。真理子は被害者の姉の専属ドライバーをナイフで襲ったのです。怪我を負ったものの、殺されることはなく「お前だけは許してやる」そう言い放ち、ドライバーを逃がしたそうです。
富岡長子を殺害後、妻を殺害し富岡茂永自殺
その時の神主だった実の姉を殺害した後、間もなく自分の最愛の妻である真理子をナイフを刺して殺害したのち、自らもそのまま自害しました。この時もともと二人で自殺を計画していたのか、妻が殺されることは予期されていなかったのかはわかっていません。最期には憎しみや私怨が伝わってくる何枚もの手紙を残したのです。
富岡八幡宮事件のその後は?
凄惨な事件はいよいよ終焉を迎えたわけなのですが、その後の神社や関係者はどうなっていったのでしょうか?気になるその影響や後継ぎなどのことについてこちらの見出しで解説していきます。是非その後の事についても読んでみてください。
丸山聡一・権宮司が宮司代務者に就任
もともと神主を務めていた兄も妹も亡くなってしまったため、以前から参謀として務めていた丸山さんと言う方が代理で神主に就任することになったのです。令和となった2019年現在も変わらずその立場で就任しているそうです。
富岡八幡宮事件が起こる前は15万人が参拝にきた
事件が起きる前は年明けになると海外の観光客も多く足を運び、約15万人もあまりの参拝者が訪れたそうです。その数はかなり大規模なもので日本有数の立派な神社であることが伺えるのです。読者の皆さんの中には一度訪れたことがある方がいらっしゃるのではないでしょうか?
富岡八幡宮事件後は4分の1に
やはりこれほどまで奇怪で凄惨な事件が起きたということもあってか、その悪影響はかなり大きいものとなりました。なんと以前の1/4まで参拝者が減少してしまったのです。当然のことでしょうが、日本を代表する神社ですから、どこか寂しくも感じてしまいます。
息子秀之の現在
息子も父親やその姉と同じ道をたどるように、着々と神社に勤めるための資格を有するために勉学を惜しまなかったそうですが、親の影響や親族同士のトラブルにより神主としては認められず、また勤務状況も良くなかったので、同じく父親の道をたどるようにクビになってしまうのです。現在はユーチューバーらしいのですが、真相は謎のままです。
相撲と大きく関わりのある富岡八幡宮
今回の事件の舞台となった富岡八幡宮。実はこの神社は日本の文化、日本のスポーツとも呼べる相撲と歴史の中で大きく関わってきたのです。二つの関連性やどういった歴史があるかを皆さんにご紹介していきます。
相撲禁止が解禁された地が富岡八幡宮の境内
今でも暴行問題や不祥事発覚など度々耳にする相撲界ですが、江戸時代初期では商業的なスポーツとして広まっていったこともあり、この時もいろいろな問題があったようです。このことから一度禁止する令が出されるのです。
時は流れると、江戸時代の中期には現代のように厳格なスポーツとして、改めてまた相撲が開催されることを認められることになったのです。その時に開催された地が今回の舞台となっているこの神社の境内だったそうです。
横綱力士碑があり横綱就任式も執り行う
明治時代から横綱になった力士たちの四股名などや実績などが書き記された記念碑が作られるようになり、現在でも歴代の横綱たちの記念碑が建てられているのです。また新しい横綱が生まれた際にはこの地で就任式を行うのです。そのためかなり名の知れている神社だということが改めて認識できるのです。
富岡八幡宮事件のような事件は珍しいことではない
よくサスペンスドラマや推理小説のテーマになっている遺産相続や後継ぎを巡っての、今回のテーマの様な殺人事件は決して珍しいことではないのです。誰よりも信頼できる親族や身内の間でも。そういった財産やお金や権力が絡むとたちまちそういったトラブルが起きてしまうのです。
相続問題で殺人事件に発展した三重の事件
亡くなった親の相続を巡るトラブルが原因で殺人事件に発展した三重県の事件も、今回同様に親族や身内での揉め事が発端となってしまったのです。お金や財産が関わると人が変わるとはよくいったものです。
このような事件を避けるには相手との関わり方を見直す必要が
このような事件を避けたり、トラブルを未然に防ぐためには、相手との関わり方を一度見直す必要があります。このことも自分の願望や欲の達成だけを視野に入れるのではなく、きちんと相手と話し合いしてお互いの落としどころを考えて、両社が納得のいく結果を目指していくのがポイントとなります。
神社で起きたその他の事件
今回の事件の舞台となっているのは歴史ある富岡八幡宮という神社なのですが、神の信仰をするための神社で起きた日本の事件は他にもあるのでしょうか?こちらの見出しでは神社や寺で起きた事件についてまとめてご紹介していきます。
赤城神社主婦失踪事件
今から21年前の群馬県にある赤城神社で起きた事件で、代の通り参拝に訪れた主婦が突如失踪してしまうという事件なのですが、実はまだ発見できておらず未解決なのです。事件当日の主婦の格好もかなり派手な配色で、更には赤い傘を持っていたりと、派手であったのにもかかわらずという大きな謎が付きまといました。
彌彦神社事件
これは今から60年以上も前の新潟県にある神社で起きた事件です。詳細は初もうでで餅つきなどにきた参拝客が溢れるほど多く、ドミノ倒しのように人が次々と倒れてしまって、神社の垣根まで粉砕してしまうほどの大事故だったそうです。
赤坂日枝神社内巫女強姦事件
今から11年前の東京都内赤坂にある神社で起きた事件です。詳細は実際の巫女が被害者となった大変凶悪な強姦事件です。そして容疑者もこの神社の神主の息子ということで、今回取り上げている事件のように当事者も神社関係者となっているのです。
富岡八幡宮事件のような事件が怒らないことを願う
今回は我々の記憶にまだ新しい、日本の大都市東京都内にある神社で起きた富岡八幡宮事件にスポットを当てて皆さんにご紹介していきました。犯行の動機や発端となる要因が、その神社での地位やお金などの遺産や権力を巡る、身内トラブルであったことは分かっていただけたでしょうか?
神聖な神社とで起こった、凄惨な悲劇。被害者である妹や犯人である兄や、神社関係者それぞれがしっかりと向き合って話し合いなどをしていれば、もしかしたら発生しなかったかもしれません。人はみな「物」に執着しすぎると身を滅ぼす事になるのです。
大阪二児餓死事件に関する記事はこちら
つくば母子殺人事件に関する記事はこちら