としがみさまは年を配る!お正月にやってくる神様を迎える行事の意味も

としがみさまとは神道の神様の一人であり、としがみさまが家庭に訪れると一つ年を取ると言われています。としがみさまとはどのような神様なのか、日本のお正月と深い結びつのある神様の役割や、お正月の行事に隠されたとしがみさまとの深い関係など詳しく解説していきます。

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お正月はとしがみさまを迎える日

近年この名を知る人はぐっと少なくなっていますが、昔は誰もがあたりまえに認め、各家々で大切に崇めていた存在でした。そもそもお正月行事とは、福の神を迎えるためにある儀式です。

では最初に、こちらのどういう神様なのかという基本のお話から始めていきましょう。

としがみさまとは

としがみ(年神)さまは、主に大歳神社を中心に祀られている日本に古くから存在する神様です。来訪神という「異界から人々の世に訪れて、福を与えてゆくもの」という性質を持つとされています。

そんなありがたい神様に来ていただこうと、人々は大掃除に苦労しながら家を清めるのです。

としがみさまはお正月にやってくる

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歳末になると神様は家にやって来ます。来年も家族みんなで無事過ごせるようにと、人間にひとつ年をとらせるのです。

年をとる、というと嫌な顔をする人もいますが、それは一年を無事過ごした証であり本来とてもめでたいことなのです。死んでしまった人は、もう二度と年をとることはできませんから。

としがみさまには様々な名前がある

こちらの神様、名前は決まったひとつだけでなく、恵方神、正月様、おおとしのかみ、おとんど(歳徳)さん、年若さん…。地方によってさまざまな呼ばれ方をしています。

ただどの場合でも恵や徳など前向きなイメージの文字が当てられているあたり、人々から大いに歓迎される神様であることがわかります。

としがみさまをお迎えする行事がお正月だった!

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お正月と言えばしめ飾り、門松、鏡餅などが思い浮かびますが、これらは本来神様のために用意していたものです。

めでたい日を飾るためのきれいなインテリア、または単なる保存食と思っていませんでしたか?この国のお正月行事の基本形は、神様のために作られたものだったのです。

大掃除はとしがみさまをお迎えする準備

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神様はケガレを嫌います。ですから気持ちよく家に来ていただくため、日本人昔から大掃除をしてきたのです。お風呂にも入って身ぎれいにしておきましょう。

ただし元旦以降は掃除や入浴を控える習慣もあります。福が流れてしまうという通説ですが、風邪をひかぬよう、また三が日ぐらい家事を休もうという、気づかいも含んでいると言われています。

としがみさまは「恵方」からやってくる

近年は恵方巻の定着化が進み、「恵方」という言葉を聞く機会がぐっと増えました。恵方とは、陰陽道によって決められている方角のひとつを指します。

ゆえに毎年変化してゆくもので、数え方には干支が当てられています。一年で最も良い方角とされており、その方角を向いてすることは「万事に吉」となるのです。

としがみさまは各家庭に健康と幸福をもたらす

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新年にもたらされる福といえば、家内安全・健康長寿です。家を災いと病から守り、食べるに困らないよう生業を守り、次の新年までの一年のあいだ家族を守ってくれます。

誰にでも共通する素朴な願いであることから、歳末の神は全国各地で広く信仰されるようになったのです。

としがみさまを迎える準備とは

お正月が本来、行事というより儀式であったことは説明しましたが、それはつまり、今まで何の気なしに扱っていた門松やしめ飾り、おせち料理にも大切な意味があったということです。

次からは定番の年始アイテムの本来の用途をひとつずつ説明していきましょう。

門松はとしがみさまの依り代

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年末になると玄関に松の飾りを用意するものですが、これは「あなた様ををお待ちしていますよ」という、歓迎のための目印の役割でした。

最近はこだわる家庭も少なくなりましたが、松飾りは師走の13日から準備し始めるものであり、大晦日だけ取ってつけたように飾るのは神様に対して無礼であるという考え方もあります。

しめ飾りで家に神域を確保

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しめ飾りや神社でもよく見る注連縄ですが、これは結界の役割です。不浄を嫌う神のため、魔や厄がそこに立ち入らないよう清らかに保つ必要があるからです。

昔の日本ではこのように、人と神の住む世界に境界線を引くのは基本の習わしでした。

おせち料理はとしがみさまへのお供え物

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元来、おせち料理は季節の変わり目ごとに用意するお供え物でしたが、時代の変化と共に変化し、やがて一般的には、最も重要視されていたお正月にふるまう料理だけを指すようになりました。一品ずつに長寿や幸運の意味が込められていることは有名ですね。

またそこに用意するお酒(お屠蘇)にも邪気払いの薬酒として大切な意味がありました。

としがみさまは小正月に帰っていく

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年末から新年をあたたかい家庭で楽しく過ごしたと福の神も、お正月が終わるころには帰らなくてはなりません。

「小正月」という言葉を聞いたことはありませんか?その日を最後に新年の神は去ってゆきます。来方神はいずこより訪れ、いずこに去っていくものなのです。

小正月とは

小”正月”とつきますが三が日のうちにある行事ではなく、1月の半ば、毎年必ず15日と決まっています。

これより以前は松の内とされ、玄関や部屋に飾りを置きますが、小正月の日(地方によってはその前日)になったら外すのが習わしです。この日からお祝いも終わっていよいよ普通の日常が始まるのです。

としがみさまが帰る日にどんど焼きで見送る

「さて、取り外した飾りの数々をどうするかといえば、小正月のうちに地域・または神社で焼いてもらいます。立ち昇る煙と共に神はあちらの世界へ帰ってゆくのです。

どんど焼き(祭り)とも呼ばれ、この煙で焼いた団子や餅を食べると健康でいられるとされています。また灰も厄除けの効果があるといい、家の敷地にまいたりすると良いのだとか。

としがみさまは年に2度来る!

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「神様はお正月に来たるもの」と先に述べましたが、本来は厳密に言えば少し違います。もともとはあたらしい年に来訪する神様でした。

「…何が違うの?それがお正月のことでしょ?」…もちろんそう考えられたことでしょう。ですがご存じの通り、この国はかつて違う暦の上で動いていたのです。

としがみさまがやってくるのは正月だけではない

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あたらしい年を迎えた時にやってくる、その点に相違はないのです。では何が現代と違うかというと「新年」の定義です。

現在は1月1日と新年がイコールとなっていますが、昔の日本では12月31日までのあいだに、もう1度「新年」が存在していました。そう、365日のあいだに2度やってくるものだったのです!

としがみさまが訪れるのは正月と七夕

かつてあった2度目の新年は、七夕でした。そして神はこの時にも訪れるものでした。かつて日本人は農耕を中心とした民族だったため、暦も大きく耕作期と収穫期に分けて考えていました。

この半年ごとのサイクルをそれぞれ1年と捉えていたのです。これを春秋暦と呼びます。

昔は年に2回年を取っていた!?

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かつて日本人の年齢は、新年を迎えた時に加齢する、という方式で数えられていました。ということは現在でいえば1年に2回年齢が加算される状態です。

春秋歴で100歳の老人は、実はまだ50代…なんてことも。日本書紀における天皇の年齢はありえないご長寿ばかりですが、春秋歴を採用していたためという説があります。

としがみさまと数え年

上記のように、かつて新年と成長(加齢)は密接に関係していたのです。決まって新年に年齢が増すことを、日本では数え年と呼んでいます。今でも厄払いなど神社の行事はこの考え方を採用しています。

一方、誕生日に年をとる現代の考え方は満年齢と呼ばれています。

としがみさまが来ると正月に年を取る

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要するに数え年は、全員が同じ日にいっせいに誕生日が来ている状態といえます。

日本中の人間の誕生パーティーでもあるわけですから、新年がいかにめでたく重要な日であったかよくわかりますね。この神様が人間に年をとらせる神様として扱われるのはこの点が起因とされています。

数え年とは

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昔の日本に0歳という概念はありません。生まれてすぐに1歳と数えますので、大晦日に生まれて新年を迎えた赤ちゃんは早くも2歳です。その上もう半年後にある2度目の新年を迎えれば、生後半年で3歳児に?!

…あまりに乱暴なカウントの気もしますが、1~2歳程度の違いなんてかつては誤差程度にしか考えられていなかったのでしょう。

満年齢が採用されたのは明治時代

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