やがて明治時代に入ると法令により現在の満年齢が義務化されました。
配給のバランスや出生届の制度を向上させるためでしたが、理由の一つに「満年齢の方が数え年よりちょっとだけ年齢が若くなる。なんだか得した気分だし、気持ちも若返って明るくなるから」という、ちょっとほほえましいものもありました。
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としがみさまは農耕の神様
家庭や健康を守る神様というほかに、はまた別の神様としての一面も持っています。それもまた日本人の生活と切り離せない重要な要素である、農耕です。
季節と共に来訪する福の神。日本の幸福は生産と強く結びつけられたものでした。
としがみさまは豊穣の神様
田畑を豊かにし、苗から病を避け、確かな実りをもたらしてくれる豊穣の神。それが年の神のもうひとつの姿です。
この国において特に重要であった稲、その命を守り育んでくれるとされていました。そのため地域によってはお供え物に米俵を用意するところもあるといいます。
年は稲の実りのことを指す
この神様が指す「とし」とは人の長寿だけでなく、稲の実り、穀物を指すものでもありました。食は健康、ひいては長寿と直接的な関係を持っています。
広義で言えば「人の一生を豊かに保ってくれる」神様なのです。何から何まで我々にとっては良いことづくめで、よほど人間を深く愛していると思われます。
としがみさまはご先祖様
家に訪れるのはかつて暮らしていたからではないか?良くしてくれるのは家族だからではないか?そう考え、新年に訪れる神様とは先祖様そのものである、と考える人々もいました。
こういう思想は仏教の浸透が進んだことが原因ですが、先祖を想い尊ぶ気持ちがあったからこそといえます。
漫画「日本昔ばなし」のとしがみさま
誰もが子供の頃、一度は見たことがあるまんが日本昔ばなし。その物語の中にはとしがみさまが登場する回もあります。
ですが日本中で広く愛され敬われてきた実際の神様と、このお話に出てくる神様の境遇はどうにも事情が違うようです。では以下から簡単にあらすじを記していきましょう。
としがみさまは嫌われ者!
このお話における神様のお仕事は、決まった日に村の家々を尋ね、村人に「とし」を配ってまわるというものです。
神様が来るということは、当然人間は、一歳年をとってしまうということ。そのため老けるのを嫌がった村人たちに毎年冷たい態度を取られ、避けられていました。
としがみさまから隠れたおじいさんとおばあさん
特に、村はずれで暮らしていた老夫婦の嫌がりようといったら激しいもので、これ以上老いるのは嫌だ!どうにか神様から年を貰わないようにできないか、と毎日頭を悩ませていました。
そして二人が決めたのは「としがみさまが家を訪れる頃に姿を隠そう。竹やぶの中でやりすごせばいい」という作戦でした。
結局なにをやっても年は取る
そして訪れた神様は無人の家に大慌て。探し回ったものの見つからないので、やがて諦めて配るべき「とし」をポイッと捨てて帰ってしまいました。偶然にも「とし」は竹やぶの中へ、運が良いのか悪いのか、隠れていた老夫婦に届いてしまったのです。
結局ふたりは今年も年をとってしまいました。人は老いに逆らうことはできない、というお話です。
としがみさまに負けない!おもしろキャラの神様たち
日本の神様はとっても個性的で、どこか人間くさい愛嬌を持つものも少なくありません。ここからは、古事記や日本書紀などに登場する神々のちょっとユニークな小ネタをお教えしましょう。
神話とは決して清らかで堅苦しいものでなく、下ネタや色恋話も意外なほどに多いものです。
露骨にエッチなイザナミとイザナキ
我が国創生の神、伊邪那岐が妻にささげたプロポーズの台詞は「僕の体には一部分だけ余計な出っ張りがあるんだ!君にも一部分だけ引っ込んだところがあるね!ちょうどいいから差し込んでみようよ!」でした。
なんというか、まぁ…独特なセンスですが、妻・伊邪那美なんと快諾。こうして二人は夫婦となり、日本という国が作られました。
女の誘惑に負けて裏切ったアメノワカヒコ
国を統べるよう命じられたアメノワカヒコという神がいました。統治者たるオオクニヌシに国を譲るよう迫るものの、彼の美しい娘、シタテルヒメと恋に落ち、あろうことか任務を放棄してしまいます。美女の誘惑に負け、まんまと懐柔れてしまった人間くさい神様です。
なお以下の記事にもアメノワカヒコと同じ日本神話の神が登場します。
日本各地の来訪神たち
日本国内以外にも、世界ではたくさんの来訪神が認められています。2018年、この来方神にまつわる行事がユネスコから無形文化財に認定され、国内でも一大ニュースとなりました。
旅をする神、と言われてもぴんと来ない方もいるでしょうが、次の話を聞けば「なんだ、こういうことだったのか」と腑に落ちていただけると思います。
なまはげ(秋田県男鹿市)
全国的に高い知名度を誇る男鹿のナマハゲ。年に一回人々の家を巡り、あの「悪い子はいねが!」という独特の怒号でやましい心を追い払います。
鬼と混同されがちですが、元来は福の神であり、むしろ病魔や災厄を退ける力があります。彼らが着ている蓑、これが落ちた藁を拾うとご利益があると言われています。
パーントゥ(沖縄県宮古島)
仮面をかぶり、人々に泥を擦りつけることによって厄を避けるというのがパーントゥです。新築の家には積極的に訪れ、泥だらけにしてしまうそうですが、家人はありがたいと大いに喜びます。
なおこの泥、ンマリガーという井戸の底に沈殿したものを使用し、これが強い臭気を放つため、泥を塗られたら数日は臭いが取れません。
見島のカセドリ (佐賀県佐賀市)
神の使いであるつがいのにわとり役が、竹を家々に打ち付けて悪しき霊を払う。それが見島のカセドリです。カセドリに扮する者は顔を伏せていますが、見ることができた者には幸福が訪れるとされています。
山形にも同じ名前の、加勢鳥というよく似た祭りがあります。
マレビト信仰
この国に限ったことでなく、集落を訪れる異邦人を神として歓待した記録多く見受けられ、マレビト信仰と呼ばれます。
来訪者がもたらす産物・知恵・技術、時に子宝を「福」に見立て、集落が閉塞してゆくのを防ごうという風習でした
避けるべきとされてきたケガレ
神たちが嫌う不浄、いわゆるケガレのお話をしましょう。忌むべきもの、病、心身に変調をきたすもの、そして人のあいだでうつるとされている概念です。
ケガレは個人だけでなく集落全体を滅ぼしかねない危険な伝染病のようなものです。
「穢れ」と「汚れ」の混同
ケガレは”汚れ”と必ずしも同一のものではありません。ケガレは掃除や洗濯では落ちず、儀式などの手順を踏んではじめて浄化されるものです。
不安、恐怖、おぞましい、忌まわしい、けがらわしい…。そういった観念そのものであり、またそのように気持ちがとらわれている状態を”ケガレ”になります。
死、血液、女性という誤ったケガレ
たとえば死や血液が不浄なのでなく、死んだり血を流したるする状態こそがケガレです。
よく女性=月経があるから穢れと言われますが、これも間違いです。月経ですぐれない体調をケガレとし、弱った者が海や山なに近づいては危ないという配慮がありました。母系社会を基礎とする日本に月経を忌む風習はありません。
ケガレは「気枯れ」
ケガレとは精気が衰えること、つまりエネルギー低下状態を指します。人は弱ると普段はやらないような罪や失敗を犯してしまうもの。そのような時、我々は儀式やお祓いで心身の平常を取り戻すようつとめてきたのです。
なお以下の記事にはお祓いができる場所についての特集があります。
お正月はとしがみさまをお迎えする大切な日
この記事をすべて読んだのであれば、次のお正月には正しくとしがみさまと向き合うことができるはずです。無事新年を迎え、ひとつ年を取ったといのはそれだけで寿ぐべきこと。
これからも末永くしあわせに過ごせるように、年末年始は家と体調を整えて、気を引き締めて福の神をお迎えしましょう。
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