見事見つけることができて喜ぶ2人ですが、そのつかの間、手に入れてしばらくすると死んでしまい持って帰ることができなくなったのです。そこで母親の「朝ですよ」の声で目を覚まします。
作者の思惑とは
手に届きそうにもない自分の身の丈に合わないものを入手できたとしても、無理があり維持することは難しいことを匂わせているのではないでしょうか。無理をしないで自分なりの幸運を見つけることが最適といえます。
冒険から戻ると、幸せの青い鳥は家の鳥かごにいた
残念がる彼らが、ふと飼育している鳥かごを何気なく見ると、いつも見慣れた自分たちの家族でもある「青い鳥」がいたのでした。
というのが概説ですが、実は原作にはこの後の続きがあったのです。
幸せの青い鳥の結末には続きがある!?
絵本だと発見しハッピーエンドになっていますが原作は違いました。一体どんな内容になっているのでしょうか?大人になったからこそ感じる、その結末とは?
青い鳥は飛び去ってしまう
深い意味が詰まっていました。願いを叶える神秘的な青い鳥と、一緒にこれからも暮らしていこうとしていた矢先に逃げて、どこかへ消えてしまったのです。なぜ逃げる必要があったのでしょうか?謎を解明していきましょう。
原作の「幸せの青い鳥」のラストについての考察
とても意味のある文章でつづられており、作者がどうしても世に伝えていかなければいけないと思ったメッセージが刻まれていたのです。
なぜ「青い鳥=幸せ」が逃げるというむなしいラストなのか?
幸福時間は儚くて一瞬で過ぎ去ってしまうことを伝えています。長くは続かないものだという作者のメッセージだったのです。ファンタジーの世界では、ずっとハッピーなことが理想です。
むなしいものではなく、生きていれば色んなことが起こるからこそ味わいある生き様になるという想いが込められているのか?理由に迫ります。
「幸せの青い鳥」の考察①現実を受け入れることへの教訓
私たち人類は今よりももっと上を目指そうと野望を追い求める性の甲斐あって急激な発展を遂げられたのです。でも追い求めていると目の前のことに気づかなくなります。
自分の置かれているポジションに担う生活を受け入れ過ごすことで本当の幸いとは何か?を見つけることができると伝えたかったのではないでしょうか。
囲っておくものは幸運とは言えない
夢は自分で掴むものだから達成感を得られます。幸運もすぐ掴めるところにあれば安心はするでしょう。ですがどこに転がっているかわからない未知の存在だからこそ、訪れたときの幸福感は素晴らしいものなのです。
「幸せの青い鳥」の考察②「幸せ」が「常に」あることへの疑問
人生山あり谷ありとあるように、色んな出来事が起こります。幸いは一瞬のもので、ずっとは続かず過ぎ去るものです。だから私たちはまた感じたくて探し求める旅に出かけるのです。それが生きる醍醐味だと伝えたかったのでしょう。
彩り豊かな生き方になる
ずっと平坦な道なりでは退屈なように、人生においてもさまざまな出来事があるから、面白くなるものです。たくさんのことを経験するからこそ内面も磨かれ、生き方そのものも反映されるのではないでしょうか。
多くの人が共感
題材になっている作品が多く世に出ています。多くの人から共感を得ているから生まれるものです。たくさんの人がより良いものを求め彷徨っていることが浮き彫りになる社会現象といえるでしょう。