遺族の中には当初事故を起こした運転士に憤りを感じていましたが、事故の原因が明るみになっていくにつれてその怒りは徐々にJR西日本の安全管理等の体制に向かっていきました。大切な家族の死を無駄にしないために、被害者遺族は事故から14年たった今でも事件を風化せないために様々な方面と戦っています。
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祈りの杜となった尼崎脱線事故現場
列車が衝突したマンションは1階部分が駐車場となっており、電車の1両目はこの駐車場に入り込むように衝突しており、2・3両目はマンションの側面につぶされるように衝突しています。この場所はいまどうなっているのでしょうか。ここでは、尼崎脱線事故現場が今はどうなっているのかを紹介していきます。
2018年9月「祈りの杜」完成
事故が起きた現場のマンションと隣接地をJR西日本が取得し2016年から整備を行っていました。1年半の整備を終えたのち2018年9月に被害者の方のご冥福を祈る慰霊碑と、被害者遺族・関係者の方のための献花台が設置されった祈りの杜が完成しました。
事故現場とは思えない大きな建造物
祈りの杜は、事故を起こしたJR西日本がマンションと周囲の土地を購入し事故を風化させないために慰霊碑等を置いている慰霊施設となります。しかし、その施設の大きさは事故現場とは思えないほど大きな建造物となっています。
保存されたマンション
事故現場となったマンションは、事故後しばらくして住人は全員退去しています。慰霊施設建設のためマンションの土地を取得したJR西日本ですが、マンションはそのまま保存された状態で祈りの杜は建設されています。
JR西日本「尼崎脱線事故」後の取り組み
大惨事となった尼崎脱線事故を起こしたJR西日本ですが、JR西日本側の体制なども問題視されてきました。事故の後のJR西日本側はどのように変わったのか。事故後の取り組みについて紹介していきます。
社内にとどまらない第三者評価システム「DNV GL」
JR西日本は今まで社内で行っていた安全管理を外部の「DNV GL」に委ねて第三者による安全管理体制を2015年から導入しています。専門的知識を持つ第三者に監査に同行してもらい安全管理体制の運用とレベルアップを図ることを目的としています。
国土交通省は、この脱線事故をきっかけとして2006年に運輸安全マネジメント評価を取り入れています。社内のみの評価では身内に甘くなるという懸念があったため、JR西日本は身内による監査ではなく第三者機関による安全管理評価を導入しました。
日勤教育の見直し
利益を優先していたために日勤教育はミスをしないように精神的に追い詰めさせるような懲罰的な日勤教育から、技術を見直す実践的な教育へ変更されたとされています。危機管理をもって安全管理に努めるように体験をしてもらうなど改善はしているようです。他スパルタ教育に関する事件に興味がある方は下の記事をご覧ください。
JR西日本は現在では「安全こそ最大の使命」との企業理念を掲げ、事故の教訓を繰り返し伝えるための研修を全社員に実施させており安全取り組みの強化や、ヒューマンエラー非懲戒などの新しい制度を打ち出し新しい教育制度を取り込んでいます。
計画運休の導入
JR西日本は、安全への取り組みとして台風などの自然災害が予想される場合などに事前に運休を決める計画運休が導入されています。当然予想のため、計画運休を行ったが空振りに終わることもありますが、利益よりも客の安全を考慮した取り組みとも言えます。
2018年の台風の際にも計画運休を実行しているJR西日本ですが、この計画運休はJR西日本だけでなくJR東日本や他の私鉄でも追随していき徐々に安全への取り組みが全国へ広がってきています。
尼崎脱線事故以外の大きな鉄道事故
尼崎脱線事故以外にも日本での鉄道事故はいくつかありますが、ここではその中で4つの事故を紹介します。紹介する3つと比べて尼崎脱線事故がいかにも大惨事の事故だったのかが見えていきます。
西成線列車脱線火災事故
1940年に起きた事故になります。これは駅員の誤操作という完全な人為的ミスとなる事故で脱線して横転した後に燃料のガソリンに引火して火災が発生してしました。この火災により189名の方が焼死してしまい、69名の方がケガをされています。
本来であれば、分岐器には安全装置がつけられており列車が通過している途中には分岐器が固定されているため線路を切り替えることができませんが、事故が起きた西成線んには当時この安全装置は設置されていませんでした。また、火災により焼死したのが189名にも及んだのは朝のラッシュ時のため、避難が困難だったことが原因と言われています。
八高線列車正面衝突事故
1945年に起きた列車同士の正面衝突事故になります。この事故もまた連絡不備という人為的ミスとなり事故が起きた場所が橋の場所だったため車両は川に転落しています。正確な死亡者はわかっていませんが、約105名の方が亡くなったとされています。
この事故は終戦からわずか9日後の混乱期に起きた事故で、通勤の人だけでなく疎開先から自宅に戻る人などで電車の中は満員だったとされています。満員電車が川に転落したことから多くの乗客が川の濁流にのみこまれた悲劇となります。
八高線列車脱線転覆事故
八高線は先ほどの正面衝突事故以外にも1947年に列車の転覆事故が起きています。このころの日本の列車は乗車率300%とも言われており、列車の屋根の上に乗客を乗せて走行する状態が通常化していたとも言われています。
下り勾配のある場所でカーブを曲がり切れずに脱線し6メール下の畑に転落しました。木造だった客車が大破しその結果として184名の死亡者と495名ほどの重軽傷者を出す大きな事故となりました。客車が木造であったことから電車の脆さが問題視され鋼製車体へ改造されるきっかけとなったと言われています。
桜木町事故
1951年に桜木駅の構内で碍子交換中に誤って切断され、架線に接触したことにより電車が炎上した事故になります。当時は、乗客が中から手動で扉を開ける装置が設置されておらず死亡者106名を出した事故になります。この事故がきっかけとなり非常ドアコックを乗客が開けれるように法律が改正されました。
人々が安心して過ごせる空間へ
JR西日本は、尼崎脱線事故が起きた当初は利益優先のためかなりの過密ダイヤで運行をしていました。遅延による焦りが招いたともされる事故だったため、事故の後はダイヤの見直しを図っています。
急病人の手当てや、台風などの災害によって致し方無く遅延等が生じてしまうのは難しいことですがちょっとした心構えや体制の見直しなどで防ぐことのできる事故はたくさんありますので、安心して過ごせる空間の提供を望みます。
新しい制度の導入などで乗客の安全の確保
計画運休の導入や、ゆとりのあるダイヤに改正したことで人の命の重要性と安全性を最優先としたJR西日本の取り組みです。尼崎脱線事故の大惨事を教訓として、他の路線でも徐々に計画運休等を行い乗客が安心して過ごせる空間づくりを行っています。
電車だけでなく、バスも含めて公共交通機関を利用する人の人数は数え切れません。乗客の安全を守ることは運転士だけではなく運営会社の責務であると考えられます。乗客の日常を守るための、技術の向上や研修の充実度だけでなく運転士の精神的・体力的苦痛を減らすことも会社の責務であると言えます。
絶対にやってはいけない!!
尼崎脱線事故は最初、置石が原因では?と囁かれていたこともありますがこれは誤りだったと訂正されています。置石とは、線路上に石を故意に置くことです。実際にも置石が原因で起きた事故は過去にもいくつかあります。
軽い気持ちが悲劇を起こす
小さい石なら大丈夫だろうという軽いいたずらのような気持ちで行ってしまったことが重大な事故につながってしまうことがあります。決して置石などをして電車の通行を妨害してはいけません。これは、電車だけでなく一般の道路などにも言えることですので頭に入れておきましょう。
制裁を受ける
置石などをおき列車の運行を妨害した場合、刑事責任を問われる可能性があります。小さい石でも列車が石を踏むと大きな音がしたり振動が起きたりするので、列車は運行を止めて確認をする必要がありますので、利用者への影響は出てきます。
また、程度にもよりますが列車の車体を破損させたり、甚大な被害をもたらしたりすると賠償金の請求命令が下されることがあります。どのみち軽い気持ちのいたずらだとしても犯罪行為をすることは許されることではありません。
「尼崎脱線事故」悲劇を繰り返さないために
尼崎脱線事故は運転士の技術不足や・精神的プレッシャーからくるものだけでなく、会社側の組織体制にも問題があったことからいくつもの不運が重なってしまった事故となります。しかし、不運では済まされない事故であることは明らかです。
亡くなってしまった方のご冥福を祈り、また亡くなられた方の遺族と事故でケガをされた方の心と体に追った傷のことをしっかりと胸に刻みもう二度とこのような悲劇が起こることのないように願います。