尼崎脱線事故の本当の原因は?運転士を追い詰めたJR西日本の体勢と日勤教育

史上最悪の国内脱線事故となった尼崎脱線事故はなぜ起きたのか?事故から10年以上たった今もう一度尼崎脱線事故の原因を探ります。なぜ運転士高見隆二郎は狂気的な列車走行をしたのかJR西日本の過失とはなんだったのか改めて検証します。

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「尼崎脱線事故」2005年の悲劇

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通勤通学だけでなく買い物客等で多くの乗客が利用する時間帯に起きてしまった大事故です。大勢の死傷者数をだしてしまったことから日本の歴史上最悪の大事故とも言われている悲劇の事故になります。他、悲劇の事故に関心がある方はこちらを御覧ください。

史上最悪の脱線事故「尼崎脱線事故」

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過去をさかのぼっても、脱線事故が一度もなかったわけではないですが、多くの死傷者を出すことになってしまったこの事故は最も悲惨な事故として人々の記憶にも残っています。4月25日の朝、福知山線の路線で規定の速さを超過した状態で走行し横転をした事故になります。

尼崎脱線事故の犠牲者数

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この事故の犠牲者の数は669名にも及びました。亡くなられた方は運転手を含め100名以上の107名となります。負傷者は562名にも及びました。犠牲者は先頭車両付近の乗客が大半を占めており、脱線した際に車体や車内の部材などに押しつぶされたことや胸部圧迫による窒息死が大半の死因とされています。

尼崎脱線事故の発生現場

朝の早い時間帯ということもあり大勢の乗客が乗車していました。発生現場は、駅と駅のちょうど中間付近にある右カーブの場所です。規定の速さを超えた状態でカーブに進入したことから曲がりきることができずマンションの1階部分衝突しました。

「尼崎脱線事故」事故前の車内の様子

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事故当日の、事故列車の車内は特に変わったようすもなく穏やかな時間が流れていました。音楽を聴いている人・おしゃべりをしている人・本を読んでいる人など各々がいつも通りの自分の時間を過ごしていました。

いつもの通勤風景

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1日の利用者数はおよそ6万人と言われており、大勢の人が使用する路線です。事故当日も特に変わった様子もなく9時ごろだっため大学生や専門学生の通学の時間や通勤の時間帯・買い物へ行くために利用する人などがおり、いつもと変わらない朝の様子でした。

尼崎脱線事故直前「早すぎる」という乗客の声

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朝の9時台という通勤や通学の時間帯だったこともありいつも利用している人の中には事故が起きる直前の速度がいつもより速すぎるのではと違和感を感じている乗客も数名いたそうです。その乗客の違和感は最悪の事故となる惨劇を引き起こしてしまうことになります。

尼崎脱線事故の原因を検証①電車遅延

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日本で起きた脱線事故において、史上最悪で悲劇の列車脱線事故と呼ばれている悲劇ですが、事故は何故おこってしまたのでしょうか。いくつもの不運が重なっておきてしまったなど、様々な憶測が飛び交っている事故になりますがそれぞれの面で原因に迫ります。

「尼崎脱線事故」35秒の電車遅延

折り返し運転をするため該当列車は宝塚駅で、車掌と運転士の位置を交代しています。この交代に3分ほど時間がかかっています。宝塚駅を発車ひたときの列車の遅れはわずか35秒ほどでしたが、通常の運転でも塚口駅で10秒ほどの遅れは取り戻せる程度でした。

「尼崎脱線事故」オーバーランで遅れは1分20秒に

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35秒の遅れを取り戻すために、運転士は速度を上げて走行をしています。遅延を取り戻すことに必死になり伊丹駅では通常位置での停車ができず、停止位置を超えてしまいます。その距離は72mもありました。列車の元の位置に戻しますが、このことで遅れは1分20秒に増えてしまいます。

「尼崎脱線事故」制限速度70キロのカーブで40キロ強のスピード超過

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オーバーランによってさらに広がってしまった遅れで更に焦ってしまった、運転士は列車のスピードを加速してしまいます。結果的に制限速度が70キロとされているカーブに40キロ以上も超過した116キロで侵入したことにより列車は曲がり切れず脱線し列車は横転してしまいます。

尼崎脱線事故の原因を検証②JR西日本の日勤教育

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続いて探っていく事故の原因は、JR西日本の教育体制の問題によって事故は起こってしまったとの見解を示す持っている人もいます。大惨事となる事故を起こすまでになってしまったJR西日本の教育体制とはどのようなものだったのかを追っていきます。

JR西日本のパワハラ日勤教育

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独特の教育体制があり目標を達成できなかったものには処分として実務に関係のない日勤教育という懲罰がJR西日本にはありました。乗務員休憩室などから見える位置に座らせられ作文やレポートなどを一日中させるというパワハラのような教育です。

日勤教育が特に厳しかった大阪・尼崎

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事故が起きた路線の福知山線や大阪では日勤教育は特に厳しかったと言われています。日勤教育の日数や内容はは状況によりそれぞれ異なっていましたが、中には1か月以上も通常の業務に取り組むことができず、周囲の目に触れるところでの教育に精神的に追い詰められてしまった運転士は1人や2人ではありません。

民営化となる以前は、JR西日本は私鉄との競争意識はありませんでしたが民営化された後は安全よりも利用客を増やすことにより採算をとることを優先し、私鉄との競争意識が高くなったことも事故の原因の1つとされています。

運転士にのしかかる過剰なプレッシャー

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JR西日本には、電車遅延などを起こした運転士に対してパワハラともみられる再教育を行っています。オーバーランや電車遅延等で二度と日勤教育を受けたくないとの考えから遅延などに対して過敏に反応するようになってしまうなど、運転士に相当なプレッシャーがのしかかっていたと推測されています。

尼崎脱線事故を起こした運転士「高見隆二郎」

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事故を起こした運転士、高見隆二郎とはどのような人物だったのでしょうか。運転士が悪いという意見が大多数を占めてはいますが果たして、事故が起きた原因のすべてが運転士のみの責任なのかなどを追っていきます。

運転士になって11ヶ月で尼崎脱線事故を起こす

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運転士として列車に乗務するようになってわずか11か月で高見隆二郎は大惨事となった尼崎脱線事故を引き起こしています。運転士としての経歴だけでなく、技術的にも運転士としては未熟であったことが推測できます。

高見隆二郎の夢は「新幹線の運転士」

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高見隆二郎は昔から新幹線の運転士になることが夢だったそうです。学生時代も部活動に真剣に取り組み、JR西日本に就職後も勤務態度も真面目で業務にも真剣に取り組んでいたことが同僚などの話から明らかになっています。

事故10ヶ月前に日勤教育を経験

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尼崎脱線事故の10か月ほど前に、高見隆二郎はオーバーランしたことにより8分の遅延を起こしています。JR西日側は本人から聴取を行ったうえで再教育として、日勤教育を経験しています。そのため高見隆二郎は「電車を遅らせてはいけない」という一種のノイローゼのような状態になったことが原因の1つとも推測されています。

JR西日本の組織としての問題

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次は、事故の運転士である高見隆二郎個人の責任ではなく、運営をしていたJR西日本の組織体制や運営体制にも問題があったのではと囁かれています。JR西日本側の組織体制や教育方法など、運営体制から過失に当たる点を探っていきます。

時間に余裕のないギリギリの運行時間

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事故の起きた路線は、私鉄よりも優位に立つ対策として電車の定時発車を目標としており、ダイヤの本数が多いうえに駅での停車時間は15秒ぐらいでギリギリのダイヤを使用しており余裕のない状態でした。

救助活動を怠ったJR西日本社員

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JR西日本の社員が2名事故が起きた列車には乗車していました。本来であれば救助活動を行うのが当然の処置と誰もが考える中、職場に連絡した社員が上司から下された指示は救助処置ではなく予定通り会社へ出勤しろという命令でした。

とても大きな事故であり近隣住民の人などが懸命に救助活動をするなか、救助ではなく職場に出勤することを優先して命じたことから人の命を軽く見すぎているJR西日本の体質が報道され、JR西日本には被害者や遺族からだけでなく世間からも批難の声が上がっています。

設置されなかった自動停車装置「ATS-P」

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ATSとは自動停車装置となり速度超過等を防いでくれる装置です。本来であれば事故の前年に設置される予定となっていましたが導入されることはなく事故当時は設置されていませんでした。福知山線に自動停車装置のATSーPが設置されたのは、事故が起きた年の6月で事故の1か月後となります。

今なお後遺症と戦う尼崎脱線事故生存者

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尼崎脱線事故から、今年で14年が経過しました。しかしながら事件から14年たった今でも負傷した生存者や被害者遺族などで後遺症や精神的なことなど様々ことで辛い思いをされている方は大勢いらっしゃいます。

襲われる罪悪感とPTSD

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事故の起きた列車に乗り合わせ奇跡に助かった人の中には、近くに乗り合わせていた人々が亡くなってしまい自分が生き残ったことに罪悪感で胸がつぶされる思いをして精神的に不安定になるPTSDを患っている人もいます。

失われた手足

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この事故では大勢の負傷者が出ています。軽症で済んだ方もいらっしゃいますが、中には手足を切断せざるおえなかった方や切断は免れたものの手足に障害が残ってしまった方もおり、普段の生活での苦悩や社会復帰などの道のりで傷を負った方がたくさんいます。

心の傷を抱える遺族

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心の傷を背負っているのは事故に巻き込まれた方だけではありません。事故で亡くなった方の遺族の方もまた自分の大切な家族がなぜこのような悲惨な事故に巻き込まれ命を落とさなければいけなかったのかと心の傷を負っています。

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