【金屏風事件】自殺未遂後の中森明菜の記者会見。近藤真彦との関係など

金屏風事件とは、平成元年、人気アイドル中森明菜の自殺騒動が発端で起きた異例の記者会見です。結婚確実と言われた中森明菜と近藤真彦の仲が決定的にすれ違ってしまった一件でもあります。中森明菜のトラウマと言われる金屏風事件と真相の考察など詳しく解説します。

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金屏風事件とは?

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人気芸能人同士のカップルで結婚が近いと常にワイドショーではいわれていた最中に彼女が自殺未遂を起こし、騒動になってしまったことでケジメ会見として開いた背景が金屏風だったことから、このような呼び方となって残っています。

なぜ会見がトラブルとして残っているのか、それは人気芸能人同士で当人の意思だけではどうすることもできない切ない事情があったのでした。詳しくご紹介していきます。

金屏風事件の概要

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事の騒動は平成元年7月11日の夜に起こります。彼のいない自宅で、中森明菜がバスタブで自殺を図ったのです。血まみれになった姿を帰宅した彼に発見されます。人気絶頂の2人のトラブルはマスコミが殺到し、大騒動となります。

活動休止を余儀なくされた彼女が騒動後に初めて姿を出した会見は、復帰のような晴れ晴れしいものではなく、異様な雰囲気だったことが概説です。どうして背景が金だったのかは後ほど詳しくご説明していきます。

中森明菜が交際相手の近藤真彦の自宅で自殺未遂

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左手首を自分で切ったとされますが、なぜ交際相手の浴室でそのような行動を起こしたのでしょうか?お付き合いが順調にいっていたら、死は頭をよぎらないでしょう。2人の間に隙間風が吹いていたのは確かといわれています。

芸能活動を休止すると発表した彼女でしたが、マスコミの前に姿を現し自らの口で説明をするのです。表では彼女の強い意向で開かれた会見となっていますが、発言はたどたどしく言葉を濁す場面もあり異様な雰囲気を醸し出すのです。

未遂から半年後、金屏風の前での異様な会見

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断絶されてしまった神経どうしを縫い合わせるために約6時間もの大手術を受けます。相当な心のダメージだったことが見受けられます。さらに傷が深かったら、もしくは発見が遅れていたら違った結果となっていたでしょう。

死を選ぼうとした人間が、なぜおめでたい席で使われる金屏風で会見をしたのか、それにはとある人物の陰謀があったからと言われています。まずはこのトラブルの中心人物について、詳しく見ていきましょう。

金屏風事件の中心人物①中森明菜

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現在テレビで姿を見かけることはなくなり、ひっそりとディナーショーなどの活動をしているようですが、当時は大人気で見かけない日はないほどでした。そんな彼女の紹介からみていきます。

中森明菜のプロフィール

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1965年に東京都大田区で6人兄弟の5番目として生誕します。16歳の高校生のときに何回も挑戦してたオーディション番組に3回目でやっと合格し、天海祐希や反町隆史らが所属している大手事務所研音に入ります。

そこから一気にスター街道を突き進むことになります。

1982年歌手としてデビュー

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2枚目のシングルレコードが大ヒットし、一躍人気トップアイドルに君臨します。抜群の歌唱力で次々発売するレコードは飛ぶように売れました。どこか儚げな表情で歌う姿は強く引き込まれる魅力があったのです。

自ら髪型や衣装、メイクなどを決める徹底ぶりでステージに込める熱意は素晴らしいものだったようです。人気と共に活動範囲を拡げ女優デビューも成功させます。寝る時間もなかったほどの忙しさでした。

1980年代を代表する人気アイドル

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