【青木悠君】身体障害を理由としたリンチ事件の被害者。犯人、家族の現在など

暴行を加えた2人の他に3人の少年が居て、止めに入るわけでもなく傍観していました。この3人は不処分になっています。暴力行為を止めないことが罪になるかどうかは、暴力を行っている人や被害にあっている人との関係性も考慮されるようです。

関係者全員が未成年で、友人あるいは顔見知り程度の知人であり、空手3段が暴れているとなればやむを得ないと判断されたようです。

2001年、青木悠君の親が加害者家族に起こした裁判は和解成立

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2001年の8月に少年A、Bと保護者の計5人に対して1億円の損害賠償を請求しています。A,Bが少年院を出た2003年6月に和解協議が行われ両名も出席しています。

その席で、事件当時に被害少年が身につけていた泥だらけのシャツを見せられ、Aは泣きじゃくりBは「申し訳ありません。一生かけて償います」と頭を下げました。5名で計6000万円を支払うことで和解が成立しました。

2004年、青木悠君の親が傍観者家族に起こした裁判は棄却

傍観少年3名とその保護者に対しても計3000万円の損害賠償を求めましたが、こちらは2006年5月15日に大津地裁で棄却されています。3人は見張り役だったことを否定しており、死亡は予見できず通報の義務も無いと主張しています。また、「止めに入ったら何かされると思った」とも証言しています。

3人は直接暴行しておらず制止の法的義務も無いと判断されました。同じ年の12月には大阪高裁でも地裁判決を支持しており、「法的責任は問えない」と判断し訴えを棄却しました。

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最高裁に上告しましたが、2008年2月、「少年らに救護義務があったとは言えない」として訴えを棄却しました。最終的に多数決で決まるのですが、5人の裁判官のうち2人は消防に通報すべきだったと反対意見を付けていました。

青木悠君の家族の現在は?

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事件が起きてから18年という歳月が流れました。事件から1年過ぎた頃からお母さんはHPに日記を綴っています。日記は2007年まで続いていました。おじいちゃんの佃煮屋を継ぎたいという少年の夢を母と長男で引き継いでいるそうです。長男は家庭を持ち、お子さんもいらっしゃるようです。今は家業で忙しく過ごしていらっしゃると思います。

大切な息子を奪われた痛みや悲しみは癒えることは無いかも知れませんが、ある時、長男に言われたそうです。「生きている僕のことも大切にしてほしい」と。その言葉がきっかけになり、裁判が終わった頃から気持ちを切り替えていかれたようです。事件後から時間が許す限り「生命のメッセージ展」に参加しておられ、少年法を廃止する運動に関わっていきたいと書いています。

青木悠君を殺害した少年2人、事件を傍観していた3人の現在は

当時15歳と17歳だった2人の少年は旧少年法が適用されており、刑事裁判を受けること無く中等少年院で2年間の更生教育を受け社会復帰しています。もちろん名前などは一切公表されておらず、現在どこで何をしているか等は一切わかりません。事件を傍観していた3人については「法的責任を問えず」という最終判断が出ており、普通に暮らしていると思われます。

青木悠君の生い立ち

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殺害された少年はどんな子供時代を過ごしてきたのでしょう。お母さんが公開しているHPから辿ってみました。交通事故にあい、良くても植物状態と言われたのに歩けるまでに回復した彼はスポーツに打ち込み身体は鍛えられていたようです。

幼い頃から文武両道の子供だった

少年の母親は育児休暇など無い時代に大手企業に勤めていて、出産後4週間ほどで職場復帰し保育園や祖父母の元で過ごす時間が多かったそうです。当時から母子家庭だったようです。平日は仕事で帰りが遅かったそうですが、土日は母親が父親役もこなしていたようです。

少年が小さかった頃はお母さんが習い事に熱心で、父親が居ない分、将来のためにもなんでも身につけさせてやりたいと思ったのでしょう。絵画も水泳も最初は泣いて嫌がったそうですが、元々運動神経が良く絵画は先生の指導が良かったこともあり写生大会では毎回入選したそうです。

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