そこで後に少年を殺害することになる空手3段の少年と出会ったのです。定時制の担任から普通高校受験を勧められ、リハビリと並行して必死の受験勉強をしました。定時制の1年生修了を待たずに2月に退学し普通高校の入試に臨みます。少年は見事に合格を勝ち取りました。
青木悠君の全日制高校の合格に対しての嫉妬
不自由な身体でリハビリをしながら定時制に通い、その上で受験勉強までして合格を勝ち取った少年を良く思わなかった少年A。「障害者のくせに生意気だ」と最初から痛めつける気で少年を呼び出しています。
子供が頑張るためには大人の応援が必要なのです。想像でしかありませんが、不自由な身体になっても尚、全身全霊で少年を見守り支えてくれる母親がいる少年が羨ましく妬ましかったのかも知れません。
当時この事件の事を知った心ある人は皆、どんな育て方をしたら人が死ぬほどの暴力をふるう人間に育つのか?と思ったでしょう。子供が悪さをしたら親は真剣にキチンと叱ることが必要で、相手に謝罪する姿を親は子に見せなければいけないのです。些細な悪さの段階でキチンと教える必要があるのです。
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Contents
青木悠君が亡くなるまでの母親とのやりとり
既に意識は無く、いつ亡くなってしまうか分からない状態でも少年は頑張っていました。救急搬送されてから亡くなるまでの5日間、必死に心臓を動かし続ける少年の傍らで母親と事件関係者たちの間でどのようなやり取りがあったのでしょう。
青木悠君の事件後①4月1日、犯人逮捕、ICUで面会
「Aの他にBも居て夕方4時過ぎからは他に顔見知りの3人も居た」ことを少年の友人からの電話で知りました。CT写真を見ると医学に素人の母親が見ても、もうダメだと思うほど酷い状態でしたが、「奇跡は起きないか」と医師に尋ねると「もし1%の奇跡が起きても高度な植物人間だ。味も臭いも何もわからない」と言われてしまいます。
青木悠君の事件後②4月2日、カラオケは嘘だと知る
おそらくリンチの現場に居たと思われる少年Cから被害者少年に会いたいと希望があり、ICUで面会しています。ICUのベッドに管だらけの姿で横たわる少年を前に、カラオケは誘き出すための嘘だったことをCは告白しました。
青木悠君の事件後③4月3日、少年2人が謝りに
加害者側5人のうちA・B・C以外の2人と思われますが、それぞれの母親と共に謝罪のため被害少年の自宅を訪ねています。HPの日記を読む限りでは、謝りにと書いてはありますが謝罪だったのか言い訳だったのか分りません。
我が子に助かる見込みが無いことが解って居た母親は「もっと早く誰かに助けてと言っていれば息子は助かったのに」と冷静に語ったそうです。
青木悠君の事件後④4月4日、待合室で具体的な犯行内容を知る
すでに逮捕されている少年Aを覗いて事件に関わったと思われる少年らがICUの待合室に集まり、被害少年がどれほど酷い事をされたのか母親は初めて聞かされました。既に意識朦朧として流涙、口からは泡を吹き失禁している状態の少年を逮捕されたAは笑いながら高々と持ち上げ、頭を真っ逆さまにしてコンクリートに打ち付けたと言うのです。
初めて聞かされた母親にしてみれば立っていられないほどショッキングな内容だったと思います。しかし、後に「死ぬとは思わなかった」と証言している通り、加害少年Aにとっては悪ふざけの域を出ないと思っていた節があります。ゲームのキャラクターのように、どれだけ痛めつけても死んだりしないと思っていたのかも知れません。
青木悠君の事件後⑤4月5日、HCUに移される
ICUからHCUへの移動は普通なら回復の証ですから喜ぶべき事です。しかし彼の場合は違いました。ICUは個室ではありませし重傷者ばかりで面会には制限があります。少年の最後の時間を、少しでも長く家族が共有できるように、一緒に居られるようにとの病院側の配慮でした。
個室になり他の患者へ遠慮する必要が無くなり、母親は叫びました。「悔しかったでしょう」と何度も。そして助けられなかった事が申し訳ないと。少年の目から一筋、涙がこぼれたそうです。動けなくても話せなくても、解っていたのですね。
4月6日、青木悠君は天国へ
頑張り続けた少年でしたが力尽き最期の時を迎えました。
AM4時25分に心臓が止まる
「お母さんを置いて行かないで」と母は泣き叫びましたが、無常にも間もなく警察が来ました。少年の死は暴行の結果もたらされたからです。そのような場合、解剖される決まりです。悲しむ暇なく遺体は解剖へと運ばれ、母親も事情聴取されています。死後、少年の名前が新聞で公表されました。
青木悠君の死から考える加害少年の扱われかた
加害者が少年である場合、成人とは扱いが大きく違います。少年法は「愛の法律」と呼ばれているそうです。未成年には罰よりも更生の機会を与え、更生のための教育に重きを置かれているからです。
旧少年法は1922年に制定され、2001年4月1日まで小さな改変はあっても大きく変わること無く続いてきました。被害者の方は死亡するなど結果が出ると、翌日か早ければその日のうちにも新聞やテレビで名前や住所まで公開されます。では加害者はどうなのでしょうか。
後日の新聞に「顔見知りの喧嘩で頭を打って死亡」と掲載
後日、事件についての警察発表は「顔見知りの喧嘩の末に頭を打って死亡」というものでした。当時の法の元では少年事件は非常にデリケートでしたから、各報道も掘り下げた取材なども出来なかったのかも知れません。
それにしても、この事件で喧嘩というのは酷すます。喧嘩というのは、お互いに互角にやり合うのが喧嘩です。この事件の場合、加害者の1人は空手の有段者です。そして被害者は左半身不随の身体障害者で、互角どころか身を守ることも出来なかったのです。これは喧嘩とは言えません。一方的な死に至る暴行を何故、喧嘩などと発表できたのでしょうか。
裁判で多くの署名を前に裁判所は「分厚いだけで意味がない」
一万人以上の署名の束を前に裁判長の口から出た言葉は「署名などいくらあっても意味がない」というようなものでした。裁判所は法に基づいて判断を下す以外に無いのですが、もう少し思いやりのある言葉を掛けて欲しかったと思います。
被害者の無念を思いやって貰いたかったと思います。警察から提出された書類に「喧嘩」と書かれてあれば、互いにやりあった挙げ句の死だと自動的に思われたとしたらやりきれません。
法務大臣が判事者にも事情があると犯人を養護
第88代法務大臣(野田内閣)であった平岡氏が、少年法について論じるTV番組の中で、「悪いことをした子たちなりの事情がある」というような発言をして犯人養護だと問題にされる騒ぎがありました。これについては後に被害者側に謝罪をしています。
罪を犯す子供には生まれ育ちなど大人からの影響が必ずあり、子供だけの責任ではないという意味での発言だったのでしょうが、テレビ番組という場で、事件被害者の親御さんが居る場で発言すべきことでは無かったのかなと思います。
青木悠君を殺害した犯人は感受性豊かなのか?
「内省力があり感受性も豊かで教育可能性が認められることを考慮し・・」という理由で加害少年は中等少年院への送致が相当と判断されました。感受性という言葉は「外界の刺激や印象を受け入れる能力、物を感じとる能力」という意味で使われます。
未完成、未熟な少年とは言え、感受性豊かな人間が、あのような一方的な暴行事件を起こすものでしょうか。それより先に、皆が読む卒業文集に「殺人で指名手配されている」などと書くものでしょうか。
加害者少年が鑑別所で書いた手紙とは
加害少年の1人が鑑別所から友人宛てに書いた手紙が公開されていますが、ヒマで仕方がないとか「出たら遊ぼう!」とか、「オレが青木を殴ったの、広まってるか?」と自慢するような、反省の日々を送っているとは到底思えない内容に溢れています。
青木悠君リンチ事件と「大津いじめ問題」には共通点があった
青木君の事件から10年経った2011年9月に同じ大津市で中学生の男子がイジメを苦に自殺するという事件がありました。本人が泣きながら教師に電話をかけイジメを訴え助けを求めたにも関わらず、何もして貰えず、自殺後の両親からの事実関係を知りたいとの求めにも極めて不誠実な対応しかしなかったのです。
自殺した少年の遺族が警察に対し、3度も被害届を出しているにも関わらず、被害者本人が死亡している事を理由に受理されませんでした。青木くんの事件と似ていますね。あの時は、一方的なリンチであるのに「知り合い同士の喧嘩」として片付けられました。そして加害者が在籍していた中学は、卒業しているので関係ないと切り捨てました。
日本のイジメ発生件数
文部科学省が発表しているイジメに関する統計データを見ると、児童生徒1000人当りの認知件数が多い順に京都・宮城・山形・宮崎・千葉と並んでいます。これは正直に申告した結果だと思われます。
逆に少ないのは佐賀・香川・広島・福岡で、佐賀などは児童生徒1000人のうちイジメられた経験があるのは3.5人という結果で、これは統計の素人が見てもちょっと変だと感じます。佐賀県では虐められているのは各学校に1人という事でちょっと信じられません。
イジメは子供の専売特許ではない
イジメは子供の世界に限ったことではありません。むしろ大人の世界が子供たちに投影されているのではないでしょうか。大人の世界では「イジメ」という言葉は使われる事が少ないかも知れません。それでもパワハラ・セクハラ・モラハラなどと頻繁に耳にするのではないでしょうか。
子育て中の夫婦間で、職場で、電車の中や果ては病院や老人ホームに至るまで様々な場所で「大人のイジメ」は繰り広げられています。いったい何故なんでしょう。景気が悪いとイジメが流行る?皆が貧乏だった頃はイジメなんか無かった?それとも人間がこの世に居る限りイジメは宿命?
青木悠君は事故に合いながらも必死で生きた少年だった
悪意のある誘いを疑うこと無く生命を落としてしまいました。しかし、生命の保証は出来ないと言われ、左半身の麻痺という後遺症が残っても懸命に生きた彼の姿は、関わった人たちの心にずっと生き続けるでしょう。
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