【青木悠君】身体障害を理由としたリンチ事件の被害者。犯人、家族の現在など

その頃にはサッカーに打ち込むため、他の習い事は止めたそうです。シューズが小さくなって爪が剥がれても「新しいのを買って」と言わない我慢強い子でした。

中学でバドミントンに打ち込んだが一度の不祥事で退部

skeeze / Pixabay

中学では、サッカーでレギュラー入りは難しいと判断し少年の兄が入部していたバドミントン部に入りました。1年生で副キャプテンになり2年になったらキャプテンにと言われていたそうですが、ある時、少年は当時のキャプテンに対して暴力を働いてしまいます。

自分がキャプテンになったら「ああしたい、こうもしたい」とたくさんの考えや思いがあった少年は、何もしない大人しいキャプテンを蹴ってしまったのです。そのことが原因で、少年は退部させられてしまいました。母親とともに、どれだけ謝っても部に戻れるようお願いをしても聞き入れては貰えなかったそうです。

中学3年の時、交通事故で左半身付随となる

fsHH / Pixabay

バドミントンを止めたのは彼にとって不本意でしたが、その頃、通っていた塾も本人の希望で止めています。頭の良い少年でしたが好きで打ち込んでいた事が出来なくなり塾だけを続ける気にならなかったのでしょう。やることが無くなった彼は暇を持て余し夜遊びもするようになったようです。

そのような背景がある中で、中学3年の8月18日の0時35分ごろに彼は交通事故に合いました。同乗していたバイクと車の事故でした。頭を強く打ち重体、頭の右側を損傷していたため良くても左半身が一生動かないと言われたそうです。

必死のリハビリで自力で歩けるまでに回復

低体温療法という治療で意識を取り戻し、8月29日、少年はICUで誕生日を迎え脳外科医の問いかけにピースで答えるまでに回復していました。その後、ICUからHCU(ハイケアユニット)、そして4人部屋へと移りベッド上生活から車椅子、装具を付けて歩行訓練へと進んで行きました。

若くてスポーツをやっていたとは言え、身体の片側が麻痺して動かない状態での歩行訓練は「血を吐くような」と言っても大げさではありません。死に物狂いでリハビリに取り組んだ事がわかります。

青木悠君がリンチされた理由とは

johnhain / Pixabay

何とか歩けるようになり退院した少年は、昼間の時間をリハビリに使えるよう定時制高校に進学しました。

そこで後に少年を殺害することになる空手3段の少年と出会ったのです。定時制の担任から普通高校受験を勧められ、リハビリと並行して必死の受験勉強をしました。定時制の1年生修了を待たずに2月に退学し普通高校の入試に臨みます。少年は見事に合格を勝ち取りました。

青木悠君の全日制高校の合格に対しての嫉妬

geralt / Pixabay

不自由な身体でリハビリをしながら定時制に通い、その上で受験勉強までして合格を勝ち取った少年を良く思わなかった少年A。「障害者のくせに生意気だ」と最初から痛めつける気で少年を呼び出しています。

子供が頑張るためには大人の応援が必要なのです。想像でしかありませんが、不自由な身体になっても尚、全身全霊で少年を見守り支えてくれる母親がいる少年が羨ましく妬ましかったのかも知れません。

Zorro4 / Pixabay

当時この事件の事を知った心ある人は皆、どんな育て方をしたら人が死ぬほどの暴力をふるう人間に育つのか?と思ったでしょう。子供が悪さをしたら親は真剣にキチンと叱ることが必要で、相手に謝罪する姿を親は子に見せなければいけないのです。些細な悪さの段階でキチンと教える必要があるのです。

凶悪少年犯罪に関する記事はこちら

NEXT 青木悠君が亡くなるまでの母親とのやりとり