【玄倉川水難事故】DQNの川流れの理由とは?概要と生存者の現在も紹介

玄倉川水難事故は1999年に死者13名を出した水難事故です。受難者たちの横暴な態度で、別の意味でも世間を賑わせました。今回は玄倉川水難事故の詳細や世間からの批判を浴びた救助者の言動、生存者たちのその後についてやこの事故から学ぶアウトドアの教訓などを紹介します。

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「玄倉川水難事故」とは?

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この一件は、今から20年ほど前に神奈川県の川で起こったものです。一度に多くの人が亡くなり、当時かなり大きなニュースになりました。レジャーなどで川のある場所へ行く方々はぜひこの件を知り、自然の恐ろしさについて再認識してください。

死者13名の水難事故

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この一件が起こったその日、川に遊びに来ていた一行の約7割の尊い命が奪われてしまいました。川の事故で出る死者数としては最多クラスでした。被害にあった一行の死者はいずれも同じ会社に勤めていた社員とその家族でした。

社員同士での楽しいはずのイベントが大惨事へと繋がってしまったのです。

「DQNの川流れ」とも呼ばれる

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この一件の別名として、こういった名前が使われています。被害者を揶揄する響きがあり、あまり好ましい表現ではありませんが、こう呼ばれる理由がちゃんとありあすので後々ご説明します。

玄倉川水難事故の概要

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大惨事となったこの一件ですが、なぜこんなにもたくさんの尊い命が失われてたのか、この一件がどうして起こったのかについてご紹介していきます。

1999年8月14日神奈川県の玄倉川で事件発生

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21世紀がはじまったばかりのこの夏は記録的な猛暑で雨も多く、各地で豪雨による災害が起きていました。事故のあった日も昼過ぎから降り始めた雨がどんどん強くなり、川の水位をあげていきました。

この日、キャンプ地に指定されていない川の中州にて県内の会社に勤めていた社員およびその一家がテントをはりアウトドアを楽しんでいました。川の中州にはそのほかにも多くの人がおり、賑わっていました。

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大雨によって川上流にあったダムの放流予告のサイレンが鳴り、ほとんどの人はその場を退避しましたが、被害者となった一行の中ではそれらを聞いて避難したのはほんの数人のみで、他の大多数はそれらを無視しました。

増水した川の中洲にキャンプ客18名が取り残された

事故のあった川の上流にはダムがあり、その造り上、大雨の際には放水の必要がありました。そのため放水予告やダムの管理人によって再三の忠告が行われましたが、一行は退避しませんでした。

警察からのすら注意すら無視し、むしろその場で邪魔をするなという旨の暴言を吐き、一行は翌朝までその場での寝泊まりを続け、完全に孤立しついに中州も水に沈む事態へ発展しました。

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ここへきて先に避難していた一部の社員が消防へ連絡し、救助を要請します。しかし時すでに遅く、川はプロの救急隊員でさえ近づけないほどに増水し、川幅も普段とは比べものにならないほどになっていました。

レスキュー隊の必死の救助もむなしく13名が流されて死亡

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お盆の時期のため人員不足だった中、決死の救助を試みた隊員たちでしたが、うかつに手を出せば自分たち諸共流されてしまいそうな悪天候で思うように行動できず、生き残ったのは5名のみという大惨事となってしまいました。

玄倉川水難事故はなぜ起きたのか

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この一件が起こってしまった背景には、様々な要因があります。ここではその要因を整理していきましょう。

事件発生場所はお盆の人混みで賑わうダムの下流

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この件が起こる前の川の中州には宿泊許可された場所ではなかったにもかかわらず事故当事者たち以外にもテントを張っていた人たちがいました。

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