世界のシリアルキラーランキングと日本の連続殺人鬼!最悪最凶の殺人犯は?

キラーピエロの名前でよく知られる彼は先天的疾患から父親から虐待を受けるも、父親に愛されたいと努力を重ねるが実らず。ホモと罵られて育ち、その通りになってしまった事を隠そうとしたことから彼の罪が始まっていきました。偉大な父に愛されようとした結果がこれというのは、やるせないものがあります。

キラーピエロの最後の晩餐

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彼は死刑前日、最後の晩餐としてケンタッキーのフライドチキンやポテト、ダイエットコークなど、彼の過去の成功をなぞるようなメニューを希望したと言います。法を犯す前の彼は大手靴会社で優秀な業績を収めエリアマネジャーとなりケンタッキーでも3店舗ものマネジャーを任されるほどの敏腕ビジネスマンだったといいます。

シリアルキラーランキング第2位④トミー・リン・セルズ

殺人に快感を覚えアメリカ国内の24以上の州を渡り歩き老若男女関係なく70名以上を自身の欲望のままに殺害したのが彼です。罪悪感や欠片も無く殺人の快感を喜々として語る彼は昨今の殺人鬼の中でも群を抜いて危険な人物といえるでしょう。

幼い頃からネグレクトにあい、親しくしていた近隣男性は小児性愛で事件を起こし逮捕され、酒も麻薬も親族から勧められ覚えるという倫理感が欠如した大人達に育てられた結果、倫理感が全くないというのはある意味自然と言えるでしょう。

平気で恩を仇で返す

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彼の犯罪の中には意気投合した女性に家に招かれるもその彼女の家で金品を強奪し目撃してしまったその女性と息子を殺害したり物乞いをしていた彼を不憫に思った女性と食事をした後殺害したりととにかく恩を仇で返す事が多かったのです。自分の事しか考えてなく罪悪感が欠片もない、サイコパスの典型といった感じでした。

シリアルキラーランキング第1位⑤テッド・バンディ

彼は上記のシリアルキラー達とは一線を画す、元祖シリアルキラーの名に相応しいとんでもなく凶悪な殺人鬼です。彼の他とは違う点は非常に犯罪が計画的で緻密に考えられたうえで行われていたという点です。彼は自身の身体的特徴を理解、利用し捕まることなく4年の間で30名以上の被害者を出しました。

彼は人が苦痛に悶える姿を見ることに至上の喜びを感じておりたくさんの若い女性を強姦、殺害、さらには遺体までも弄んでいました。彼の裁判を行った弁護士の一人は「彼は残酷な悪魔の定義にぴったり当てはまる人物」と話していたそうです。

天才的な二面性

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彼が逮捕、死刑になったとき殺人鬼がいなくなりほっとする声が上がるほか、彼が亡くなったことを悲しむ声も上がったと言います。たくさんの女性たちが彼を心の拠り所にしておりその最期に心を痛めていたのです。実態は、彼女たちも彼の獲物に過ぎなかったのですが、彼の人を騙すその技量は舌を巻くものがあります。

日本を震撼させたシリアルキラーたち

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遠い外の世界のお話のように聞こえてしまいますがシリアルキラーは何も外国だけの存在ではありません。ここ、日本でも身の毛がよだつような事件を起こす人物は存在しておりました。ここでは、日本人シリアルキラーを3名ご紹介させていただきます。

日本のシリアルキラー①大久保清

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1971年の3月から5月という僅か2か月の間に150人近くの女性に自家用車から声をかけ、10人と肉体関係を持ち、8人を殺害したという超プレイボーイシリアルキラー。両親から異常なまでに溺愛されており犯行時に乗っていた自家用車も両親に買ってもらった当時の最新スポーツカーだったといいます。

幼少期から同年代のの女児に対してわいせつな行為を行いトラブルになるたび両親に擁護されていたというかなり問題ありな生活をしていたようです。ちなみに彼の事件はビートたけし氏が彼を演じることでドラマ化されております。

数々の映像化

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前述のドラマ化の他にも彼の事件は映画や小説という形で取り上げられており1994年の再ドラマ化では文化庁芸術作品賞も授与されています。それほどまでに彼の事件は日本国民にとって衝撃的で忘れられない事件だったということかもしれません。

日本のシリアルキラー②小平義雄

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彼が起こした事件は「小平事件」と呼ばれ語り継がれております。その内容はというと、太平洋戦争に敗戦し食糧が乏しい情勢の中女性を食糧や就職口を餌に山林に誘い出し強姦・殺害するというものでした。

ちなみに余談ではありますが前述したシリアルキラー・大久保清はこの小平と手口や女性をターゲットにしていたことなど類似点が多かったため「群馬の小平」と呼ばれていたらしいです。さらに余談ですが、こちらの事件はなんと1967年と1969年に2階も映画化しております。

裁判の撮影や録音に影響をもたらした

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この時代の裁判は現在とは大きく異なり、裁判の様子の撮影や録音が一切規制されていませんでした。しかし、彼と彼の弁護人が撮影・録音・インタビューの禁止を申し立て、それが受理されたことでそれ以降の裁判の様子の撮影などに制限が付くきっかけとなったと言われています。

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