【西口彰】事件の概要の判決、犯人の生い立ちとは?家族・被害者の現在も

1964年1月に逮捕された西口は、同年11月に検察側から死刑を求刑されます。翌1965年1月に福岡地裁にて、「人も神も許すことのできない凶悪犯罪者である」と言われ死刑判決が出ました。弁護士は控訴しましたが福岡高裁は棄却。

1966年には何故か西口自身が上告を取り下げており、そこで死刑確定となりました。その戦後稀な犯罪の凶悪さ、本人の動機の薄さから、検察からは「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」、裁判長からは「悪魔の申し子」と形容されたと言います。

西口彰のその後は?

その後、西口は4年という速さで死刑に処されました。常に余裕を見せていた彼は、どのような様子で死刑台に向かったのか。そしてその最期の言葉はどのようなものだったのか。彼の手記も紐解きながら解説します。

1970年、死刑執行

西口は刑務所の中で「罪は海よりも深し」という手記を、ノート8冊に渡り書き記しました。そのノートの一番最後にはこう記されています。

私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください。当然の制裁でありましょう。長いことお騒がせいたし恐縮です。失礼いたしました。(出典:オワリナキアクム~又ハ捻ジ曲ゲラレタ怒リ~)

このノートのタイトルからもうかがえるように、彼はどこかロマンチスト的であり、死刑を恐ろしく思っていないような節がありました。死刑の執行は1970年の12月11日早朝。人の感情や表情の機微に敏感だった彼は、看守の表情から今日が死刑の日だと確信していました。

最期の言葉

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絞首台の前へ立った西口は胸の前で十字を切り、

大変お世話になりました。遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン(出典:NAVERまとめ)

と言い残し、絶命しました。享年44歳でした。生前何度も刑務所に入っていた西口は死刑についても詳しく、「首吊りだけは嫌だ。俺は自ら命を絶つ」と言っていましたが、その隙も与えられず、法の下に裁かれたのです。

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また、戦後に死刑について議論を生んだ恐ろしい事件に「おせんころがし殺人事件」というものがあります。こちらはその罪の重さに戦後初めて2つの死刑判決が下された事件で、死刑廃止論反対派がこの事件を持ち出すことが多くありました。興味のある方はこちらの記事をご覧ください。

西口彰の家族その後は?

西口の逃走開始から死後まで、その家族はどのような思いを抱え、どのように過ごしたのでしょうか。西口には妻と3人の子供がおり、そして逮捕前は両親も健在でした。まず、西口は逃走中、家族に何度か手紙を書いています。最初の指名手配時は、以下のような手紙を妻あてに送っています。

捕まって世間に笑われるようなことはぜったいしない。死ぬつもりだ。(出典:日本猟奇・残酷事件簿)

長男への手紙

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先立つ不幸許して下さい。今度は本当に御迷惑をかけました。胸が一杯で何も書けません。御幸に御元気で何時迄も御幸にね。馬鹿な彰を許して下さい。この道を選ぶより外はなかったのです。(出典:オワリナキアクム~又ハ捻ジ曲ゲラレタ怒リ~)

狂言自殺の現場には長男あてに、このような手紙を書き置いていました。そして死刑確定後、長男は21歳で結婚。西口はそれを獄中で知り、非常に喜んだと言います。また、服役中に西口はカナリアを飼っており、その鳥たちは長男に引き渡され、彼の遺骨を海に撒く際に空に放たれたという、まるで小説のようなエピソードもあります。

西口を生んだ両親のその後

西口の母親は、西口の服役中に亡くなっています。それについて西口は「母よりも後に逝けるのがただひとつの救いだ」と述べました。父親は、西口の犯行が自分のせいだと悔いて、警察署内で泣き崩れたと言います。

一連の犯行の直前、西口は母親に「全てやり直したい。一緒に暮らそう」という手紙を送っていましたが、父親はそれを息子のいつものやり口だと言い、母親を西口の元へは行かせませんでした。あの時西口の元へ行き一緒に暮らしていたら、こんな罪は犯さなかったのでは…と、父親はいつまでも泣いていました。

西口彰に狙われながらも逮捕のきっかけを作った少女のその後は?

この事件で何より驚くのは、西口逮捕の決め手となった古川氏の長女るり子さんの存在です。るり子さんは、ご存命なら現在66歳。数年前TVにこの事件が取り上げられた際、るり子さんの姉、愛子さんが出演されていました。

敢えてお姉様が出演されたことを考えると、るり子さんは現在は取材等を断り、平穏に暮らしているのだと推察されます。

西口がるり子さんに送った異常な手紙

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また、西口は逮捕から5年後、なんと16歳になったるり子さんに以下のような手紙を出しています。

その折は大変迷惑をおかけし、まことに申し訳ございませんでした。るり子さんも高校生に成長なさって、朗らかに、毎日元気にお過ごしのこととうかがっております。決して皮肉ではございません。できたら今後、るり子さんと文通をしたいと思いますが、唯「こはい人」と言った感じだけを残しているのかもしれませんネ。(出典:Grand-Earth)

そして、手紙には押し花が添えられていたそうです。もちろんるり子さんは返信をしませんでしたが、殺すつもりだった一家の、自分を逮捕へ追いやった少女へ文通の申し込みをするという不可解さは彼の異常な一面を浮き彫りにしています。

西口彰の生い立ち

その罪の多さや重さもさることながら、堂々と犯行を繰り返し不可解な行動も多かった西口。その人格はどのような環境で出来上がったのでしょうか。まず、彼の生い立ちを詳しく見ていきたいと思います。

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