「アフリカケンネル」とは?
1983年に設立された、ペットショップと犬舎があります。経営者である関根元が始めたのですが後に結婚し、また従業員の元3名で営業していたとされています。1993年にはそこで痛ましい事件が繰り広げられます。そのペットショップの名前こそ「アフリカケンネル」です。
「埼玉愛犬家連続殺人事件」が起きたペットショップ
悲しいことに、アフリカケンネルにて起こったのが「埼玉愛犬家殺人事件」になります。舞台となった場所ですが、そこでは4人もの命が奪われます。
毒によって失われた事件はおぞましく、また残虐なものです。優しくなければならないペットショップで、次々に殺人行為が行われました。
埼玉愛犬家連続殺人事件の概要と裁判の判決は
バブル崩壊後、高額な繁殖の為に造られた犬舎兼新築の家を建てることで、1億4千万円もの借金を重ねていたアフリカケンネル。
詐欺的に法外な値段で売りつけるなど、関根元(当時53歳)とその妻、風間博子(当時38歳)によって共同経営された、問題が絶えなかったペットショップです。1人の顧客とのトラブルを皮切りに、恐ろしい連続殺人事件に発展することになります。
1993年4月、アフリカケンネルの経営者夫婦が客1人を殺害
1100万円という破格な値段で経営者夫婦は、埼玉県北部で会社経営をしていた川崎昭男氏(当時39歳)にアフリカ産の犬を売ったのです。ところが実際に価格は数十万円で、しかも高齢だったことなど騙されたと知った川崎氏は、返金を求めます。
そこで夫妻がとった行動は「硝酸ストリキニーネ」という、犬の安楽死に使う毒を使い栄養剤と偽って、返金に応じるように見せかけ1993年4月に殺害しました。
同年7月、夫婦はさらに暴力団員と運転手を殺害
アフリカケンネルには用心棒とも言われていた、暴力団幹部の遠藤安宣(当時51歳)という存在がいましたが、顧客が行方不明になっていることを知り疑いの目を向けます。
夫婦に対し多額な金銭などを要求した結果、偽って購入してあった安楽死用の毒を再び使い、運転手の和久井奨(当時21歳)の両者を1993年7月に殺害したのです。
同年8月、主婦1人を殺害
1993年8月には、関根元と親密な関係になっていた主婦の関口光江さん(当時54歳)に対し、株の話を持ちかけます。
多額な金銭を手に入れた後に、高額に売った犬のトラブルの発覚を逃れるめ、別れるためのきっかけでもあり同じ毒を使い殺害します。全ての殺害は車中で行われ、他の場所で損壊・遺棄されました。
2009年、犯人夫婦に死刑判決が下る
後に遺体は全てバラバラにされ、山中で遺棄されていたことが発覚します。ほとんどの形跡は残されていない「遺体なき殺人」とも呼ばれているのです。
経営者夫婦はというと、殺人・死体遺棄・死体損壊などを含めて1995年に死刑判決が下っています。現在では関根元は死刑を待たず拘置所内で病死をし、風間博子死刑囚だけが執行の時を待っています。
アフリカケンネルは今も残っている!
アフリカケンネルの現在はどうなっているのでしょうか。ペットショップのあった場所は駐車場になり、跡形も残っていません。現在残っているのは犬舎のみの姿になります。2ヶ所存在していますが、今もその姿を残しているのです。
アフリカケンネルの住所・行き方
アフリカケンネルの犬舎のある住所は、こちらになります。江南犬舎がありますが、熊谷駅、または森林公園駅から10分刻みのバスの停留所から歩くこと5分になります。万吉犬舎はそこから更に歩くこと15分の場所にあるのです。
381-0161 埼玉県熊谷市万吉(まげち)1308が住所になります。
アフリカケンネルの犬舎はログハウス調の建物
江南犬舎も現在は落書きなどされ、倉庫のような佇まいになっています。万吉犬舎はオープンな状態になっていますが、ログハウス調の建物が見て取れるそうです。
侵入者の後は多々見られるものの、形はそのまま残っているのが特徴的でしょう。普通に廃墟のままになっていることから、現存しているのです。
アフリカケンネルの犬舎は心霊スポットとしてマニアの間で有名に
江南犬舎はもちろん万吉犬舎もですが、凄惨な事件があっただけに今では心霊スポットとしてマニアの間では有名になっています。ただし、現在は所有者が変わっているのでむやみに侵入することは住居不法侵入・または建造物不法侵入になるでしょう。刑罰まで至らなくても、現在の所有者や近隣の迷惑になるので訪問は控えた方が良いです。
アフリカケンネル創業者「関本元」
1942年1月に埼玉県地秩父市で生まれた、アフリカケンネル創業者の関本元。設立前は生まれ故郷で、ペットショップや動物リースなどを手がけていたのです。
ただ、地元では近隣との関係も悪く、暴力団との繋がりもあったとされています。また独特な自論をいくつか持っており、どこか異常さを感じることもあったのです。
業界では有名な優秀ブリーダー
アフリカケンネルを創業するにあたって、必要とされるのは業界では厳しいはずです。ところがペット、猛獣に関してはトップクラスの「シベリアン・ハスキー」ブームの火付け役。業界では優秀なブリーダーとして有名な存在で、雑誌やテレビに出演したこともありました。
巧みな話術と悪質商売
優秀な反面、巧みな話術や心理的な面を読むことでは、かなり長けていたとされています。ユーモアに溢れる反面、虚言癖があったことから自らを資産家と名乗っていたのです。それを利用したように反社会勢力との付き合いもあった上に浪費グセもあったので、悪質商売へと転じていったとされています。
アフリカケンネル社長「風間博子」
1952年2月、埼玉県熊谷市で生まれている風間博子。アフリカケンネルでは、共同経営とされていますが、実際には役割があります。関本元と知り合い社長の立場にいたのです。裁判中は黙秘を続けた存在でもありました。
関根元の妻
関本元の妻であり、結婚前までは真面目に暮らしているどちらかというとお嬢様でしたが、結婚後は背中に刺青を入れるなどするほどだったとされています。資産が目的で結婚したのではないかともされているのです。結婚後は犬好きなことやブリーダーとして名が知れていた夫の影響でドッグショーにも出たことがあります。
アフリカケンネルの経理担当
浪費グセが激しかった関本元とは違い、金銭の管理には優れていたことから経理を担当していたのです。離婚歴があり子供もいますが、存在は明かされていません。事件のあった1993年1月には、税金滞納から逃れるために関本元と偽装離婚をしています。
アフリカケンネル役員「山崎永幸」
アフリカケンネルで起こった「埼玉愛犬家連続殺人事件」ですが、夫婦だけの犯行ではありません。冒頭に述べた通り他にも従業員がいたのです。そこには関わっていたのは、ほとんどの供述をした山崎永幸氏。
ブリーダー繋がりで関本元と知り合う
1956年1月に富山県で生まれたのは、山崎永幸氏。ブリーダーであった山崎氏は、ある時ドッグショーで関本元と知り合います。アフリカケンネルの役員を務めるも、実際は運転手兼お手伝いだったようです。事件のほとんどが隠されていた中、貴重な証言をした存在でした。