川俣軍司は深川通り魔殺人事件の犯人!
皆さんはこの人物の名前を聞いたことはありますか?名前だけを聞くとある有名人か、歴史的偉人なのかと先入観が働きそうなのですが、実はこの人物は昭和の凶悪な犯罪者です。彼は何の罪のない人間たちを次々と刃物で刺していき殺めていった通り魔事件の犯人なのです。
その凄惨な通り魔事件がどういったものであったかを皆さんに解説していきます。これほど悍ましい凶悪犯罪者をテレビで取り上げられ、それもドラマの登場人物のモチーフともなったのです。現在の規制が多いテレビ業界ではあまり想像がつかないものですが、そのドラマもどういった物であったか、また演者についてもご紹介します。
白昼の商店街!無差別に人々を刺殺
昭和の古き良き時代の暖かい街並みを感じさせてくれる商店街。現在でも日本には各地に存在しています。事件が起きてしまった当時は昭和56年6月17日。時刻は11時35分を指していました。初夏に季節という事もあり、太陽に日射がギラギラと降り注ぐお昼の時間帯真っ最中に凄惨な連続殺人及び通り魔事件が発生してしまうのです。
現場となったのは東京にあるとある商店街。犯行当時、犯人は不思議な姿をしていました。なんとこの事件発生時から下半身を何も隠さず露わにして犯行に及んだのです。この事件での被害者は死亡者4名、重症2名にも及びます。犯行後犯人は何時間も立て籠り、最終的には猿ぐつわやブリーフと言った珍な恰好を晒して警察によって逮捕されるのです。
川俣軍司が起こした深川通り魔殺人事件の概要
簡単にこの事件の詳細をまとめて記述していきましたが、ここからもう少し深く概要について解説していきます。犯人の動機や犯行当時の様子などを分かり易くまとめてお伝えしていきます。この事件についてあまりご存知のない方も、当時の状況を思い浮かべながら読んでみてください。昭和後期に起きた連続毒殺事件はこちらの記事です。
すし屋の面接に落ちたのがきっかけ
事件が発生した商店街近くの道路に備え付けられている、今はほとんど見る事が出来ない公衆電話の中で犯人は一本の電話をしていました。彼はこの時寿司職人であり、新たな職場として面接をしたお店から採用結果を聞いていたのです。その電話で彼が聞かされたのは不採用の言葉でした。
彼はその言葉を聞くや否や身勝手に逆上して、その怒りが通り魔を起こした大きな動機きっかけとなるのです。そして彼は予め職場で使う予定であった柳刃包丁をカバンからおもむろに取り出すと、悲劇が起きてしまう現場の商店街へと殺意を持って向かうのです。
最初に刺したのは親子連れ
最初の被害者となってしまったのは三人の親子でした。まず初めに一番幼い赤ちゃん車の上にいた僅か1歳の長男を突き刺しました、この時逆上してかなりの興奮状態であったため、その赤ちゃん車を長男もろとも吹っ飛ばしたそうです。そして次は目の前に悲痛な現実に物凄いショックを感じ、怯えながら逃げた母親です。
その母親を後ろから容赦なく突き刺したのです。そしてその後悪夢を見ているかの様な現実を目の前にして、ただそこで立ち尽くす長女を何度も突き刺して殺害したのです。この男には人を殺害することに何の躊躇いもないのです。文字通り血も涙もないそんな卑劣で残忍な犯罪者だという事がよく分かるはずです。
女性3人を次々と刺した
何の罪もない何も知らない親子3名を殺害すると今度は、その時の商店街に連なるお店に買い物に来ていた当時33歳の女性が、殺害された長女同様目の前の光景に驚愕して足がすくんでいたところを刺され殺害されてしまう。次は近くのバス停で降車したばかりの、71歳の老婆に突進する様に突き刺すので。
恐らくこの時この老婆は自分の身に何が起きているのか?それを理解する前にて一瞬で、犯人に刺されているのです。そしてもう既に5人の女性子供が刺されていますが、更に商店街の一角の店舗から、不意に出てきた39歳の女性客にターゲットにして、切り付けて重体にしてしまうのです。
女性を人質に捕って7時間が経過
事件開始から6人の被害者を切り付け、突き刺すという容赦ない犯行までおよそまだ5分も経っていなかったのです。この後犯人は近くにいた33歳の女性を刃物を使って脅し、人質を捕って中華料理店の中に入り、当時来店した客を脅して追い出すと、人質の女性を致命傷を負わせないように、背中を切り付けて怪我を負わせるのです。
そして緊迫した状況が続く中、既に警察が到着して立て籠る犯人を逆上させない様に交渉や取引に応じていました。この時強行突破を試みなかったのは勿論人質の命を守るためです。そして犯人の興奮も収まらず、一触即発の状況が続き約7時間が経過していました。
一瞬の隙を見て、川俣軍司を逮捕
事件発生から立て籠り約7時間が経過しようとして、夜の19時に差し掛かる直前に一瞬、犯人は人質から目を離していたのです。これを機にすぐさま人質は中華料理店から飛び出して、それを確認した警察がいよいよ強行突破して逮捕に至るのです。
この時も刃物をおもむろに振り回して危険な状態でしたが、警察の手により取り囲み、自殺することを危惧して布に噛まされていました。当時は逮捕の映像も犯人の姿をしっかり捉え、全国的なニュースで放送されており日本中が一連の犯行に凍り付いたのは間違いありません。
川俣軍司の生い立ち
事件発生から逮捕までの一連の流れの概要を皆さんにお話ししていきましたが、いかにこの犯人が凶悪で非道な犯行に及んだのかよくわかっていただけたはずです。動機やきっかけもあまりに身勝手であり、そんな身勝手な理由でなぜ罪のない人間を次々と殺めるのか?と疑問が湧いてきます。
そんな凶悪犯罪者は犯行に及ぶ前、どんな生活をしていたのでしょうか?またどんな性格、人格の持ち主なのでしょうか?ここからはそんな彼の生い立ちや経歴などについて、皆さんにご紹介します。鬼畜で非道な殺人犯となる人物は生い立ちを見ると、普通の人の家庭環境ではない場合が多い傾向にあるのです。
生活は厳しかった
今から67年前に関東地方に位置する茨城県で生まれます。彼には血の繋がった兄弟が4人もいました。その家庭では当時土地を有していなかったため、父親はシジミ漁で必死に働いていましたが、それでも生活はかなり厳しく、重湯で育てなくてはいけないくらい貧しかったそうです。また父親もかなり厳しかったのです。
川俣軍司は進学を諦めて板前の道へ
学生時代は成績優秀とは程遠く成績が悪かったのです。また父親から毎晩怒鳴り散らされていたためか、非常に大人しい子であったのです。成績状況と貧しい家庭環境から、彼は高校卒業後進学を断念して一人で生計を立てている父親に迷惑を掛けまいと、集団就職して都内にある寿司屋さんで住み込みで働いていたのです。
すし屋から転職するも3ヶ月で解雇された
初めての仕事という事、また学生時代も勉強は苦手でしたが決して不良ではなく真面目な生徒だった事もあって寿司屋の職場でも一生懸命に働いていたのです。当時の彼の事を見ていた先輩からの評判も良いくらいで、事件を起こしたのが不思議だとも話しておりました。
しかし少年院から釈放された若い新人が入社してから、彼はその新人に虐められてしまうのです。それをきっかけに彼は退社して、新たな職場に転職するもその間に自身の身体に入れ墨を入れてしまい、その事が職場で発覚しそれが原因で解雇されてしまうのです。このあたりから段々と歯車が狂い始めてきました。
川俣軍司の覚醒剤依存の始まりと深川通り魔殺人事件
犯人の少年時代や学生時代、家庭環境。そして寿司屋に就職するも転職し、そこでも入れ墨が原因でクビになってしまう。そういった彼の大まかな生い立ちをご紹介していきました。職場で虐めにあってから転職して入れ墨を入れる等、このあたりから段々と犯人の人格が歪んでいくのです。
この見出しの題にも書いてある通りここから、犯人は覚せい剤依存者となってしまうのです。なぜ彼は危険な身を亡ぼす薬物に手を染めてしまったのか、その経緯やきっかけを詳しく皆さんにご紹介していきます。
職を転々とし、犯罪を繰り返した
事件が起きるちょうど10年前の1971年に彼は転職先に解雇された後、実家に戻ってきました。その後色々な業種の仕事に就き、職を転々としていましたが思うように長続きせず、酔っ払ってしまっての暴行犯罪を何度か繰り返していき、素行が見る見るうちに悪くなっていったのです。
川俣軍司は覚醒剤に手を染めていた
職を転々として酒に溺れ暴行犯罪を繰り返した犯人はある日、実家から30分ほどの近くにある銚子という町で暴力団組員の人間から覚せい剤を購入してしまうのです。そこから中毒患者となり禁断症状から犯罪を繰り返すという最悪な悪循環が出来てしまったのです。こうして犯人は完全に後戻りできなくなっていくのです。
当時の川俣軍司を知る人々の話
犯人が当時勤めていた家電屋さんの社長の供述によると、短気な性格が際立っていたけど『お客さんとの揉め事とトラブルはするな。』とそう注意するとそれを素直に聞き入れて、それからは真面目に働いていたそうです。一方で実家の近所の方は入れ墨を見せつける素行が悪いチンピラと称しているのです。
家族とシジミ漁を始めるも素行の悪さが目立つ
父親がシジミ漁を切り盛りしていたので、それを継ぐようにして犯人も家族とシジミ漁を続けると初めは稼ぎも良く、味を占めていましたが実の両親に酷い暴言を吐いたり、ご飯の際はまさにちゃぶ台返しをするなど素行の悪さが目立つようになり、このあたりから両親は犯人と距離を置くようになり、また資金目的で漁船を売却してしまうのです。
葬式での異常な様子
母親が亡くなり葬式の最中には犯人は、覚せい剤の副作用や禁断症状が出始めて、幻聴が聞こえ、幻覚が見えて、犯人には身の回りから自分の事を悪口を言っている様に聞こえていたのです。その事もあってか葬式中にもかかわらず、犯人は弟と取っ組みのあいの喧嘩をしてしまい暴行罪で逮捕されてしまうのです。
寿司屋の面接で落ち深川通り魔殺人事件へ
このころ彼は一端の寿司職人として装い、数々の寿司屋さんに就職して転々としていました。転職する理由はクビなのですが、禁断症状による幻聴や幻覚が仕事中にも出てしまったり、労働状態が良くなかった為に解雇されていたのです。そして事件が起こる前、再度面接を受けましたが公衆電話にて不採用を聞くと、暴走して凄惨な事件を引き起こすのです、
川俣軍司が深川通り魔殺人事件を犯した動機
犯人は7時間にも及び人質を捕え中華料理店に立て籠った末、ようやく警察に逮捕されることになるのです。この後連続殺人の容疑者として厳しく取り調べを受ける事になるのですが、そこで彼が供述した犯行動機が理解に苦しむくらい支離滅裂した内容だったのです。こちらのではそんな動機について解説していきます。
黒幕を暴くために人質をとった
自身の身の回りには悪影響を及ぼす悪い電波、即ち黒幕が付きまとっているらしく、この正体を暴くために人質を捕ったなどと正に意味不明な供述をしているのです。十中八九既に頭や精神状態が、クスリによって侵されて幻聴幻覚の症状が現れ、まともな思考が働いていない事による発言と考えられます。