「ぐう聖」とは?意味は?
誰もが一度は「ぐう聖」という言葉を耳にいたことがあるのではないでしょうか。けれども、一度も使ったことがない、どんな意味なのかはっきり分からない、そこで一つずつどのような表現方法なのか追って行ってみましょう。
「ぐうの音も出ないほど聖い」というネットスラング
「ぐうの音も出ない」を訳してしまうと「徹底的にやりこまれている、完璧であり、一言も弁解、反論をすることができない」という意味で使われます。最初から最後までしっかりとやりこまれている、なにも助言しなくても生きていけるように思わせてしまうような意味が込められています。
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尊敬の意味を表す
「ぐうの音も出ない」は前者で述べたように、徹底的にやられているようないみあいで、「聖人」とは様々な意味がありますが、「人格、徳行」に優れ、理想的な人物として尊崇される人」という意味が辞書ではよく見られます。また、「素晴らしい人間」や「宗教での地位が高い人」などにも良く使われます。
これらの言葉を組み合わせると、「ぐう聖」とは「何も言うことがないほどとても素晴らしい人間」であるというような意味にとらえることができます。例えば、上司や先輩、テレビにでているタレント、時には見ず知らずの人を素晴らしいと感じ、「ぐう聖」と呼ぶことがあるでしょう。
対義語は「ぐう畜」
「ぐう畜」とは「ぐう聖」の反対の意味を表す言葉で、「ぐうの音も出ないほどの畜生」という表現の表し方になります。「畜生」は、よく人を罵ったりするときなどに使われます。そして直訳すると、「何も言うことができない、弁解のしようのない卑劣な、最低な人間」という意味になりますが、「ぐう畜」は人間だけでなく、ものにも使うことができ、例えば、ぐう畜な上司、これはぐう畜な本だからあまり売れない、などがあります。
ぐう聖の扱い方と使用例
次にぐう聖の使い方と使用例を見てみましょう。今まで言葉の言い回し使用量に不満を感じていたならば、一度試してみましょう。この一つの単語でたくさんの表現力ができるようになるのではないでしょうか。
「ぐう聖な上司に巡り合えた」
では、「ぐう聖な上司に巡り合えた」をベースに考えていきましょう。「尊敬できる上司に巡り合えた」と直訳することができます。要するに、仕事で何度も失敗をしてしまい先輩に怒られてばかりだけれどもめげずに仕事に取り組んでいる姿を上司が見てくれていて、アドバイスや注意もしてくれる。
メリハリのある態度を上司がすることによって、後輩もこのような上司になりたいと夢を描く、尊敬するようになり、ぐう聖な上司と巡り合うことができたという文章を作ることができるようになります。
「ぐう聖パッパが小遣い減額された」
例えばケチな奥様と結婚された場合、お給料すべて奥様に渡して任せてしまうことにより、月に奥様から渡されるお小遣いが変動してしまう可能性があります。家事や子育てなど家のお手伝いを休みの日にする旦那様は周りの奥様からいいようにみられますが、もし家事をしない奥様だとすると遊びにふけり旦那様の給料までもが引かれてしまいます。
「ぐう聖」の元ネタ①巨人小笠原スレで「ぐう○○」が誕生
ぐう聖という言葉はいつから使われ、どのような経緯で生まれたのでしょうか。もし野球のファンであれば一度はきいたことがあるかもしれません。ぐう聖にはどんな意味が込められていたのか、見てみましょう。
架空キャラクター・カッスが誕生
カッスの誕生は、小笠原選手が日本ハムの複数年契約に承諾せず、巨人の複数年契約を承諾し、それが畜生とみなされて野球chに避難するスレが立てられました。2007年その時に生まれた「巨人小笠原、国会議事堂前で性器露出して逮捕」というスレで、無実無根の内容にも関わらず、不謹慎さにより定期スレ化します。
ここで鬼畜さが強調されて誕生したのがカッスー、通称カッスレーというキャラクターです。カッスラーと呼ばれるような人々が残酷なニュースを創作し、変態度・異常度・無作法度・死亡度・通報度・小笠原度などで評価されます。要はこれらの度合いを高めようと、下品で常識外れな内容を競いあうようになってしまったのです。
「カッスはぐうの音が出ないほどの畜生」→「ぐう畜」
このような過程で誕生したも「カッスはぐうの音も出ないほどの畜生」というフレーズで、これが洗練されることによってさらに短縮されたフレーズになれ、ほんとカッスはぐう→ぐう畜と変化していくようになったのです。
「ぐう聖」の元ネタ②ぐう○○が派生
ぐう聖に似た言葉も今では様々あり、よく使われています。ぐうを使ったフレーズはどのくらいあるのでしょうか、またどのように広まっていったとおもいますか。ここでは、類義語についておっていってみましょう。
ぐう聖・ぐうかわ・ぐう正・ぐう有など
ぐう聖の他にもぐうかわ・ぐう正・ぐう有などの似たような意味、類義語も誕生していっています。ぐうは「ぐうの音も出ない、徹底的であり、完璧なようで何もできない様」、「かわ」は「かわいい」、「正」は「正論」、「有」は「有能」でそれぞれに「ぐうの音も出ない」を付け足すと類義語である言葉が誕生日します。
「ぐう」は○○を強調するために使われるととらえることができますね。とても○○、本当に○○、言葉にできないくらい○○というように使うことができます。強調したい言葉につけてしまえば一つの単語としてできてしまうのでとても簡単ですんね。
掲示板を離れて一般化する
これらのフレーズは、2chのなんでも実況J(ジュピター)を通して世間により一層知られるようになりました。2chは野球を実況するちゃんねるでもありましたが、野球chに性癖の強い人が出たため、「なんでも」実況するchになったそうです。その他の言葉にも興味があるのならばこちら。
「ぐう聖」と呼ばれる人物とエピソード
ここまではぐう聖の意味や使い方などについてお話ししてきましたが、それでは実際「ぐう」聖と言われてきた人たちや、そんなエピソードについて触れていきましょう。どんな人たちがいるか思い浮かぶでしょうか。
ぐう聖①長野久義
長野久義は現在広島東洋カープ所属で長野選手のぐう聖エピソードは多々ありますが、その中でも彼が活躍した試合後、群がる報道陣に向けて手を合わせ「長野に笑顔はなかった」でお願いしますと伝えたそうです。というのも、打てなかったチームメンバーの気持ちを配慮したものだったそうで、中々このような行為珍しくぐう聖に値するかたですね。