九相図(くそうず)とは?美女の遺体が朽ち果てる姿から見えてくる教えとは

第六段階では、顔面の肉は鳥に啄まれ、内臓や腿の肉はあらゆる獣に食い散らかされる様が描かれます。肉付きの良いところから喰われますが、動物たちによって死者の肉は貪られ、ほぼすべて消費されます。

九相図(くそうず)⑦散相(さんそう)

第七段階では、獣に食い散らかされた結果、死体のあらゆる部位が散らばる様子を収めるのが通常です。「小野小町九相図」においては部位の散乱は見られず、まばらに肉が喰われており、死体は骨が露わになって横たわっている状態です。

九相図(くそうず)⑧骨相(こつそう)

第八段階は、文字通り、骨のみの状態です。先ほどの絵までのように、腐敗した肉や血の描写などは一切ありません。肉体はすべて分解されて土に還り、骨だけがこの世に残されてしまった状態です。

九相図(くそうず)⑨焼相(しょうそう)

最後の絵は、茶毘に付されたことを示すかのように、死体を安置した場所に墓石を設置した風景です。先ほどの骨は焼骨され、灰と化したのです。美しかった小野小町の肉体が失われゆくさま眺め、仏僧たちは煩悩を取り払ったのです。

九相図のモデルになった女性たち

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煩悩を捨てるためとはいえ、わが身が朽ち行く過程を提供するのは躊躇われます。しかし、実際に身を提供した、仏教に信仰の篤い二人の美女が居ました。「九相図」として死体の過程を収められた「檀林皇后」と「小野小町」、二人の女性に言及します。

九相図モデル①檀林皇后(だんりんこうごう)

出典:PhotoAC

檀林皇后は、本名を「橘嘉智子(たちばなのかちこ)」と言います。「世に類なき麗人」と云われるほどの美貌の持ち主です。嵯峨天皇の夫人(皇后)であり、仏教を篤く信仰し、嵯峨野に日本初の禅院檀林寺を建立しました。そのため、亡くなった際に諡号として「檀林皇后」の名を賜りました。

亡くなる間際には、諸行無常を体現し、人々に「菩提心」を呼び起こす狙いで、遺体は「埋葬せず路傍に放置せよ」と遺言を残しました。そして絵師には、自らが朽ち行く過程を収めるよう依頼したのです。その要望が受け入れられ、「九相図」として後世にその姿と名前が残り続けました。

九相図モデル②小野小町

出典:PhotoAC

「小野小町九相図」に描かれる小野小町は、平安時代の女流歌人です。現代では教科書にもその歌は載っていますし、百人一首でもよく知られますね。ですが小野小町の素性は、まったく明かされていません。実は生まれも育ちも不明ですし、直接モデルにして描かれた絵などは実は残っていません。

九相図(くそうず)は松井冬子さんの作品にも影響を与えている

「松井冬子(まつい・ふゆこ)」は、日本画家です。「美人画家」としても名を馳せます。彼女の絵が「九相図」から多大なる影響を受けていることは、見るに明らかです。その魅力的な作品の一部を少しご紹介します。

松井冬子さんの作品の魅力

松井冬子さんの絵は、「九相図」を想起させる女性の朽ち行く姿や、幽霊画などが繊細なタッチで描かれるのが特徴です。とくに「九相図」モチーフの女性の顔は、松井冬子自身の面影を宿すことから、絵の「ナルシシズムと自己破壊欲求」の表出がみられる点が、高く評価されています。

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