エドゲインは異常な連続殺人鬼!サイコパスを作った母の洗脳と歪んだ生い立ち

この価値観はエドの人格形成に深く影響し、彼は自分の性を受け入れられず生涯苦しむことになります。

母を否定する兄ヘンリーとエドゲインの確執

こうしてエドは抑圧された環境に押し込められ、母の態度も年々悪化してゆきましたが、彼は一人苦しんだわけではありませんでした。同じ立場である兄がいたからです。

ですが成長するにつれて、兄弟の思想はだんだんと相違を見せるようになります。法的には確定していませんが、これはおそらくエドにとって最初の殺人の物語です。

隔絶された環境下で唯一の話し相手「兄ヘンリー」

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極端な教育方針のもと育ったエドは、同年代の友達をうまく作ることができませんでした。母が説くのは偏った聖書の教えばかり。

そんな中で唯一の話し相手であり、友人でもあったのは兄・ヘンリーだけでした。母も兄弟が仲良くすることには肯定的であったため、二人は助け合いながら成長してゆきます。

母オーガスタの呪縛から解かれた兄ヘンリー

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父の死後、ヘンリーは農場で働くようになり、町の人とも交流するようになりました。そこで世間の価値観を学んだ彼は、徐々に母の思想に疑問を抱きはじめます。

弟・エドは母を盲信しひたすら愛していましたが、それも否定されるようになりました。母からの支配を肯定し、苦難の受容を選択したエドにとって、これは何より許しがたい裏切りでした。

兄ヘンリーの死とエドゲイン

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1944年、農場の近くで原野火災が発生し、消火活動に赴いたヘンリーが行方不明。後に遺体となって発見されました。頭部に外傷があり、死因は窒息死だったものの、結局火災にまつわる事故として処理されます。

消火には弟・エドも一緒に向っていたはず。人気のない場所で火事を起こし、兄を誘い出して殺害した犯人は、おそらく…。

エドゲインの性的倒錯

母は神の教えを息子に説いていましたが、エドにとっては母こそが神でした。そんな彼女に生まれついた「男」という性を徹底して拒まれてきたのです。

エドは従順な教徒になろうと、成長のあかしである「性」の欲求を必死に押し殺し続けました。やがて母の死後、それはいびつな形で芽吹くことになります。

性行為を罪だとする母と生き場を失う欲求

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母は性交渉を強く憎み、大罪であると息子に厳しく言い聞かせました。彼女の愛する信仰は本来、誕生や性を祝福するものでしたが、男性への憎悪がその矛盾を隠していました。

この誤った教育により、エドは性行為に生涯嫌悪と罪悪を抱き続けることになります。それは後の事件でも徹底しており、死体への凌辱を疑われた際も明確に否定しています。

男性である自己の否定と女性への変身願望

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やがてエドは「男」をやめること、女性への性転換を強く望むようになります。これは一般的に言う性同一性障害とは異なり、変身願望の一種です。ただ愛する母に望まれる存在になりたいという、幼子のように健気な心からくるものでした。

1950年代にはすでに性転換手術が始まっており、その影響を受けて性器の切除も考えたといいます。

解消できない欲求と死体解体からの快楽

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行き場を失ったエドの欲求は、生きた女性でなく死体へと向かうことになります。

死んだ人間であれば、性交渉という前提なしに思うがままに扱うことができる。性衝動は感じていたものの、本来の目的は女性の肉体を観察するため、その構造を自分に取り入れるために墓を暴いたのだと言います。

神聖化する母オーガスタ

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父と兄を亡くし、母子2人きりで過ごす日々の中、エドの中ではますます母の存在が肥大し、神に等しい崇拝の対象として神格化されてゆきました。

町の人とは相変わらず深くかかわることはなかったものの、母さえいれば彼は満足でした。しかし敬虔で平穏な日々も、いつしか終わりを告げることになります。

エドゲインが崇拝する母オーガスタの死

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1944年、オーガスタは病に伏し、翌年には亡くなっています。葬儀の際、エドは子供のように大声で泣きじゃくりました。他の誰も気づきませんでしたが、神が死に、真の孤独がやってきたからです。

彼はそれからも至って真面目に過ごし、町でも「物静かで丁寧な善人」として信頼されていましたが、ついに社会に溶け込むことはありませんでした。

遺体荒らしのターゲットは母親の面影を持つ女性

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母の死後ほどなくして、エドの墓荒らしが始まりました。母のように恰幅のよい女性ばかりを狙いました。エドがなるべき理想の女性像はオーガスタ・ゲインその人だったからです。

解体し、構造を観察した後は、食べ、飾り、身に着けることで同化を目指しました。彼の人生を再び母への愛で満たすために。

エドゲインのゴミ屋敷と母の綺麗な部屋

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警察に暴かれた時、エドの邸宅は悪鬼の巣のように人肉と汚物にまみれていましたが、母が使っていた部屋だけは封じられ、生前と変わらぬ状態が保たれていました。他の箇所と違いここだけは丁寧に修繕してあったといいます。

そこは絶対汚してはならぬ聖域であり、彼の中で母親の存在がいかに大きかったかを表しています。

逮捕後のエドゲインのその後とは

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エドの事件が報道された後、そのあまりの猟奇性にアメリカ中が大騒ぎになる中、1958年、エドワード・オセドア・ゲインはバーニス・メアリー両女性殺害容疑で告訴されます。

世間はエドを「悪魔、早く極刑に処すべき」という論調でしたが、弁護士はすぐに精神障害を主張、専門家立ち合いのもと鑑定が行われることになりました。

統合失調症と診断され精神病院へ

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精神鑑定の結果、エドは統合失調症を患っており、責任能力がないと認められました。その後は収監を逃れ、州立病院に身柄を移されています。

10年後、再び災難が行われ、第一級殺人罪が適応、精神病院への無期限の入院が命令されました。刑務所に入ることはなかったものの、エドが社会に出ることは二度とありませんでした。

1984年エドゲイン呼吸不全で死去

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それから数十年、エドは心乱すことなく穏やかに年月を過ごしました。患者や職員からも好かれる、事件の残虐性などまるで感じさせない温厚な人柄だったといいます。

そして1984年、がんからくる呼吸不全により77歳で生涯を閉じました。母の呪縛に囚われ続けた日々がようやく終わりを告げたのです。

死後エドゲインの墓があらされる

出典:Wikipedia

死後、エドの墓はニュージャージー州の共同墓地に埋葬されましたが、いたずらなどの目的で墓石はたびたび破壊されました。

また冒険がてら石を削って盗む者も出没したため、現在は作り直した墓を移転、群保安局の敷地で管理されるようになりました。もとの墓石は博物館に展示されています。

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