ディアトロフ峠事件の真実とは?不可解すぎる未解決事件の謎と真相を検証

遺体回収など、誰1人考えてみませんでした。そのため、発見時のテントの検証がほとんどされませんでした。捜索隊に緊張感はなく、テント内に残されたアルコールを飲んでいた者もいました。この時点で彼らの死を考えたものはありませんでした。証拠品になるはずのテントさえ、山を下ろす便宜上、切り刻まれています。

下山予定日からすでに8日

rawpixel / Pixabay

下山予定からすでに8日が過ぎていました。流石におかしいとは思いましたが、まだこの時点では捜索隊は彼らの生存を信じていました。彼らは捜索隊よりも経験豊富なメンバーで構成されていたのです。それでも、予定から8日は遅すぎるのです。捜索隊は徒歩ルートの他、空からも行われ、大がかりなものになりました。

発見したテントに大きな裂き目

CoolCatGameStudio / Pixabay

捜索隊はついにテントを発見しました。テントは10人用の大きなものでストーブが設置されています。発見時は半分雪に埋まっていました。中にはだれもいませんでした。さっきまでそこにいたような状況なのに、テントは空っぽです。そこで詳しく調べてみると、発見されたテントには中がわから鋭い刃物で切られた裂け目があることがわかりました。

テントが見つかった場所は、ルートから大きく外れた場所です。周囲には彼ら以外の足跡はありません。中がわから鋭い刃物で切り裂かれているのに、内部は荒らされていません。ここまででもすでにミステリーです。また、ストーブは設置の途中だったかどうかもポイントとなっています。機能していなければ、翌日濡れた靴と濡れた服では登山困難です。

suhasrawool / Pixabay

ストーブの近くにいた者が薄着だったのではないかとする推理です。発見された当時皆薄着または裸に近い状態だったとする一方で、ジナイダはしっかり着込んでいたとの記録もあるようです。日本ではその記録は発表されていないようです。ロシアではこの事件に関する本が多数発行されています。

ディアトロフ峠事件の概要③遺体発見

ディアトロフ事件は人のいない冬山で、9人の若者の命が失われた重大な事件です。9人全員が遺体で発見され、還らぬ人となりました。原因はまだ解明されていません。遺体の状態の異様さが問題になり、未だに推理し、事件の検証をしている者たちがいます。遺体の発見から事件を追っていきましょう。

まずはリーダーの遺体を発見

捜査隊が山に入り、6日目にテントを発見しました。テントの位置から20m下に足跡を見つけました。ディアトロフ隊のものです。足跡を頼りに付近を調べるとイーゴリーの遺体がありました。なぜイーゴリー程の者がこの極寒の地でテントを離れたのかが謎でした。

1.5km圏内で3名発見

これで、イーゴリーを含む4名の遺体が確認できました。なぜか皆薄着でした。4人の遺体が発見されたことで、死因審問が行われました。4人全員が低体温症が死因とされました。しかし、スロボデンは頭蓋骨に亀裂がありました。

この情報には間違いが含まれているとの情報もありますから一応加えて置きます。はじめに1500mの木の下に2人の遺体を発見、イーゴリーの遺体とジナイダの遺体を発見しました。この順番は日本のテレビアンビリーバボの放送内容とは違います。

rauschenberger / Pixabay

木の下にいましたが、木の枝が折れていたことから、どちらかまたは2人が木に登ったのではないかと推理されています。また森とテントの直線上に倒れていた遺体には手のひらと手の甲に争ったあとのようなキズが残されていました。

6日後に1名発見

さらに6日後にルステム1人を発見しましました。外傷がないのは前の3人と同じです。ただ2方向に分かれてテントから離れたのは遺体の発見現場でわかりますがルステムがひとりだけで離れたところにいたのはやはり謎のひとつです。

2ヶ月後に残り4名を発見

pjes / Pixabay

彼らは服を身につけていました。ここは森に1㎞ほど入った渓谷です。雪に埋もれた状態で発見されましたが、身を隠しているような状態でした。屈んだ姿勢をとっていたのです。後からの発見された4人の検死では3人に致命症が見つかっています。

つまり、即死状態だったのではないかと見られています。チボブリニョールは頭部に大怪我があり、ドゥビニナは肋骨が折れゾリョタリョフも肋骨を酷く損傷していました。この怪我は交通事故にあった程の強い衝撃に匹敵するような怪我です。

webandi / Pixabay

しかし、外傷はない。高い圧力がくさかかったと思われるとした見解があります。また、ドゥビニナは舌がまるまるありませんでした。一部が切りとられているのではなく、まるまるスッポリないのです。舌がなくなっていることの謎の解明もまだ矛盾が生じています。

事件の原因

Hans / Pixabay

死因は9人のうち6人が、低体温症からの凍死。 谷底で見つかった4人のうちの3人は、肋骨や頭蓋骨の骨折など、強い外力を受けたことによる大量に流れでた血がその死因だと考えられました。 そしてなぜか、殆どの遺体は皮膚が黒っぽく変色し、髪が白くなった遺体もありました。

1番有力視されている原因は雪崩によるもので、逃げているうちに崖から転落したのではないかと見られています。4mの深さに埋まっていた遺体はこれで説明がつきます。ただ、雪崩は斜面30度で起こりやすいのですが、このエリアは15度の傾斜しかありません。

stux / Pixabay

また谷には川が流れています。遺体は川にうつ伏せになる状態で見つかったとしている見解もあるのです。川に3遺体が見つかっているとしています。川の説では目や舌がない状態が説明がつくと主張しています。ただマイナス30度の極寒の地で、谷川が凍りついていないのはどう説明するのでしょうか。

ディアトロフ峠事件の不可思議な遺体たち

ディアトロフ峠の遺体は、誰もが見た瞬間にその異様さに気がつきました。ここはマイナス30度の極寒の地です。防寒具を着けないで、テントの外に出るほど差し迫った事態があったのです。遮るもののない平らな雪原です。彼らほど山に熟知した人間なら、冬山の知識は当たり前以上にあったはずなのです。

死因は低体温症と怪我による出血死。

www_slon_pics / Pixabay

この捜査の担当は、レフイヴァノフ捜査官です。調査の結果では9人のうちの6人が低体温が原因で凍死しています。またひとりは、頭蓋が割れたための大量の出血による死亡なのです。つまり出血死です。はじめの6人が低体温症も納得出来ないことです。薄着で、または半裸でテントを離れたら、近くより、離れた方が体温は下がるでしょう。

不思議なことです。遺体はテントから離れるほど外傷がひどい状態で見つかっています。また舌がなくなっていたリューダの検死結果では胃が100gの凝固液を含んでいたことを記録しています。舌を失ったときには心臓が動いていたことを示し、いくつかの説が失われます。

12019 / Pixabay

最新の谷川の水に顔をつけていたためや、2ヶ月以上放置されていたため柔らかい部分が失われるのは当然のこととする説が消えてゆきます。そうして、新しい説が出ると古い説が打ち消されてゆくのですが、なかなか核心に至る説はないのです。真相解明には時が経ち過ぎてしまいました。

ほとんどの遺体が薄着だった

5688709 / Pixabay

テントの荷物に荒らされた形跡はなく、彼らの遺体を発見するまでは、彼らは忽然と姿を消した状況でした。しかし、彼らの何人かは、薄着で靴も履かずに、外に飛び出しています。それどころか、裸足の者もいました。あろうことか、ほとんど裸の者もいました、他の隊員の服を身につけている者もいました。これには説明がつきます。

気温が極端に低い場所で嵐が吹き荒れていました。それなのに、何人かの足には先に亡くなってしまった者の衣服を引き裂いて巻いてありました。これは矛盾脱衣と関係していて、失権当識状態になっていたか混乱状態になっていたとみられています。そんなことが起こることがあるというのは、可能性としてはあり得ることなのです。

Printeboek / Pixabay

低体温症の20%から50%は矛盾脱衣が関係しています。つまり彼らは混乱状態であり、自分で服を脱いだのではないかとの見解です。体から熱が奪われるのも早かったのではないでしょうか。海外ではまったく違う見方がされているケースもあります。矛盾脱衣は内臓を守るために一気に血流がながれ暑く感じて衣服を脱ぐのです。

ディアトロフ峠事件の不可解な点

ijmaki / Pixabay

ディアトロフ峠の事件には不可解な点がたくさんあります。1つ1つをあげて行きますので、それぞれ矛盾が生じない推理ができるか検証してみて下さい。この事件のどこが不思議か辿ってみましょう。そして、この事件がだった一晩で起こったことなのです。解明されたら更に不可思議なことに遭遇してしまうかもしれません。

ディアトロフ峠事件の不思議①山には一行のみ

Kanenori / Pixabay

この日、ディアトロフ峠の辺りにいたのは、このパーティだけでした。雪に覆われた山では、足跡が残りますが、このパーティの足跡以外はなかったのです。いや、ロシアの政府調査期間を取材したジャーナリストから出た写真には、人間のものよりひとまわり大きい足跡が写された写真が添付されています。

また登頂記録も調べていますが、この付近にも人は入っていないはずです。人が絡んだ殺人事件ではないことになります。ソ連時代に隠蔽されたことが幾つかありますから、こうした情報の食い違いもありますし、ロシアでは事件を扱った本が多数発行されています。アンビリーバボで放映されていない情報もまだまだあります。

ディアトロフ峠事件の不思議②自らの意思でテントを出ている

Free-Photos / Pixabay

テントは中がわから鋭い刃物で横に引き裂かれていて、ブーツや防寒具が残されていました。ブーツとスキーがテントの入り口に1組、テントの反対側に2組、ブーツの片方、スキーが6組立てかけてありました。

山の経験豊富な彼ら全員が自らの意思で荷物全てを残してテントを出る不可解な現象に、関係各方面、取り分け遺族は頭を悩ませています。よほど差し迫った事態が起こったとみるのが普通です。差し迫った事態を推理した説が70種類以上上がっていますから、まったく分かっていないことになります。

ディアトロフ峠事件の不思議③高い放射能線量が検出

Free-Photos / Pixabay

これにはシカゴ大学の放射線科の准教授が答えていますが、被服の放射線量を調べたところ2人の衣服から通常の2倍の放射線量が測定されました。これにより、核実験に遭遇したのではないかと言う説が起こっています。

しかし放射線量が2倍というのは、実は自然界においては大した量ではなく、それによって死に至ることにはならないということです。また肌が黒くなっていたのも被爆によるものとされていますが、まだ結論には至っていません。

ディアトロフ峠事件の不思議④検死資料の一部が非公開

code404 / Pixabay

検死は行われていますが、検死資料が異様に少ないのです。資料がなくても一目瞭然といった資料のみが公開されていて、検死からあらたに判るような資料がないのです。内臓や血液の状態などの資料は明らかに隠蔽されています。

なぜ隠蔽しなければならなかったのかがまた憶測を呼ぶのです。宇宙人やイエイティー、未知との遭遇説がこのあたりから発生しています。また核兵器説、実験の失敗の隠蔽などの憶測を呼んでいます。

NEXT ディアトロフ峠事件の不思議⑤変色した肌の色