【長岡京殺人事件】ワラビ採り事件の真相と犯人の考察を徹底解説!

実際にこの事件の犯人を割り出して特定するという業務を担った警察では、どのような捜査方針が執られたのでしょうか?もう一度改めて犯人の情報で判明している事を整理すると、血液型がO型、力の強い男性で過去に武道の経験がある。という情報のみです。

犯人の正確な動機や目的が分からないため、犯人像をプロファイリングする事が困難で、基準となるのは現場に残された僅かな謎と証拠しかなかったのです。そんな中警察ではどのようにして捜査が進められたのでしょう?こちらの見出しでは当時の警察の捜査方針について解説していきます。

長岡京殺人事件での警察の捜査方針①メモの内容から単独犯と断定

怪奇文の様な文章が筆記されたメモには男の人。悪い人。と単数で表されているのです。もし万が一複数人の犯人がいた場合は男の人たち。悪い人たち。と筆記するのではないか?と警察は考えこの内容から単独犯と断定して捜査を進めていくのです。結果的にこの断定的な捜査が良かったのか悪かったのかは分かりません。しかし結果的には現在でも犯人は逮捕できていないのです。

実は単独犯と断定する理由は他にもあるのです。それはそもそもこの走り書きした怪奇文のメモを書く余裕が少しでもあったという事、もし複数人いたとしたら直ぐに筆記している所を見つかってしまい、そのメモを消去するでしょう。けれども単独犯であったからこそ、メモを筆記する隙があったのではないかと考えられるのです。

凶器からは指紋が取れず…

色々な事件の犯人を特定させ証拠としても解決に導く事ができる指紋。人それぞれによって特定のパターンでオンリーワンな模様があり、人間には塩分や汗、油分などを皮膚から排出しているのでそれが形となって物に付いて残る事が多いのです。その指紋をどんな刑事事件でもよく探し出して鑑定するのは皆さんご存知ですよね。

この頼みの綱である指紋も凶器である刃物から検出されなかったのです。この時計画的に犯行を実行してあらかじめ手袋を用意していたのか、突発的な犯行で山菜採りにきた客人が軍手などをしていたのか、どっちであるかも犯人が捕まっていないため、その真相も明らかとなっていないのが現実なのです。

長岡京殺人事件での警察の捜査方針③犯人はサディスティック

被害者の2人の女性の遺体の状況を見ると、無数の打撲痕がありそれも全て犯人の拳や蹴りで殴ってできたものなのです。この事から犯人は異常なまでのサディストつまりはSな人格者であったと当時考えられたのです。警察は犯人はサディストな人格者と絞って容疑者を割り出して捜査していたのです。

そもそもSとはどんな人格であるか皆さんご存知ですか?最近では攻めっ気があったり虐める事が好きな人の事を指す場合がありますが、正確には他人に身体的または精神的に虐待や苦痛を味わさせ、性的快感を得る人の事を指すのです。

長岡京殺人事件のその後とは

事件が発生したのは現在から40年も前の昭和54年の5月に起こっているのですが、それから警察の捜査に何か進展はあったのでしょうか?新たに犯人に関する情報は入ってきたのでしょうか?この不可解な事が多く、犯人像が見当つかないこの事件のその後はどうなっていくのでしょうか?

こちらでは2人の無残な遺体が発見され事件が起きたその後の事について、簡潔にまとめて皆さんに解説していきます。その後とは即ち私たちが生きる現在を意味するので、ぜひこの事件のその後の事について考えてみてください。

長岡京殺人事件のその後①容疑者はいるものの逮捕には至らず

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事件当日つまりは2人の主婦が行方不明となった当日には、不審な2人組を目撃したという地元地域の人たちもいました。そしてその2人組は2組いて、1組に至っては力が強い武道の経験ありという犯人像に良く当てはまる人物でした。しかしアリバイがあった事や物的証拠が無かった為、事実として犯人ではなかったのです。

そして1年前に目撃された包丁を片手に女性に声を掛けたとされる40代の男性も、似顔絵などを用いて懸命な捜索が続けられましたが、結局の所一切身元が掴めず蒸発してしまいました。また水野さんの夫も容疑を掛けられましたが、物的証拠や関与していると裏付けるものが見つからなかったのです。このようにして複数人容疑者は出てきました、しかい結果的には逮捕に至らずでした。

長岡京殺人事件のその後②ついに公訴時効が成立

警察は薄い情報や手がかりを頼りに捜査方針を定めて、幾年もこの事件の捜査を進めていきましたが、目ぼしい情報が掴めず、犯人と思われる容疑者も見当が付かず捜査は徐々に難航し、長い年月が流れてしまったのです。

そうしてこの事件の捜査が滞っているなか事件から15年後の平成6年に時効となり、未解決事件として迷宮入りしてしまうのです。現在ではこの事件の捜索が行われているか危うく、滞っているのは間違いないでしょう。それでもなお遺族や国民はひたすら事件解決を願っています。

長岡京殺人事件にまつわる噂

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ミステリアスな事件や事象には噂や説が付きものですが、今回のテーマであるこの事件にもそんな噂がいくつかあるのです。その噂が囁かれる所以やそんな噂であるかを皆さんに解説していきます。それが信憑性があるものなのか、はたまた真実味に欠けるものであるか判断しながら読んでみてください。

当然ながら噂という事で、現実のものある。事実である。と断定はできず不確定要素が多く含まれている事をあらかじめ把握していください。噂として一つの可能性として考えるのは大いに結構ですが、断定的にそれを真実と結びつける事はくれぐれもおやめください。

長岡京殺人事件の諸説①タケノコ泥棒が犯人?

この事件の現場周辺は色々な山菜が採れる事でも知られていましたが、近くで筍も栽培されていました。そして現場近くでは前から筍が無許可で採られてしまう犯罪が繰り返れていました。そして2人の女性が遺体となって見つかった後、この筍犯罪が急にパタリと消え去ったのです。

つまりは言い換えれば筍犯罪の犯人がその現場周辺の地を去ったという事で、タイミングから考えて両事件の犯人は同一人物ではないかと噂されているのです。この話がどこまで真実か分かりませんが、もし筍が無許可で採られていた事が事実として起きていれば、この筍犯罪の犯人も一連の事件に関与している可能性があると考えれるのではないでしょうか?

長岡京殺人事件の諸説②被害者たちは恨まれていた?

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警察の事情聴取や捜索では、被害者の2人の主婦の周りの人間関係には目立ったトラブルや問題はなく、特定の人物から恨まれたり憎まれていたという事実は無かったそうです。しかしその遺体の状況に表れている、無数の打撲痕や数多くの傷跡から考えると、強い憎しみや恨みを抱いている者の犯行と考えられるのです。

その為一部では実は被害者たちは何者かに強く恨まれていたのではないか?と囁かれているのです。この諸説も事実ではなく噂という事ですので、断定できる内容ではありません。そういう可能性もある。くらいに考えてみてください。

長岡京殺人事件には続きがある!?その後に起きた関連事件

実はこの事件は続きがあるという一つの見解があるのです。それはその後に同じ地域で発生した事件と結びついている可能性があるというもので、その結びついている事件について皆さんにどんなものであったか解説します。この事件が本当に結びついていて、同一犯なのかどうかは分かっておりません、そのためこちらも噂や諸説の様な見解と考えてください。

NEXT 5年後に、同じく長岡京市で殺人放火事件が発生!