貝塚結核病院|大阪屈指の心霊スポットの現在と心霊現象のその後

今でも普通に紹介されているため、夜になれば肝試しや好奇心で訪れる人はまだまだ多いようです。その人達は実際にこの場所に来て初めて病院が無くなっていることを知って落胆したり、無くなっていることに気付かずに探し続ける人もいます。

心霊現象は聞かなくなった

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今となってはこの場所で心霊現象のことは全く聞かなくなりました。きれいに整備された場所がそこにあるだけですので当然のことかもしれません。現在の跡地は大阪の肝試しスポットとしてはふさわしくないですので、一度見直す必要があるのではないでしょうか。

結核で命を落とした偉人達

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当時の結核は不治の病と言われていたように、歴史に名を残す偉人だけでも100名以上が命を落としている恐ろしい病気でした。ここでは結核によって亡くなった、みなさんがよく知っている偉人達について紹介していきます。

石川啄木

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有名な歌人、詩人であった石川啄木は26歳の若さで結核によって亡くなっています。歌集「一握の砂」といった代表作が有名です。岩手県盛岡市には石川啄木記念館が建設されており彼の功績を知ることができます。

沖田総司

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幕末の武士であり、新選組一番隊の組長であった沖田総司も結核で命を落としています。没年齢は生まれた年が不明確なため、諸説はありますが22歳もしくは27歳と言われています。天才剣士が病気によって短い人生を終えるというドラマ性が人々の心に深く残っています。

瀧廉太郎

有名な音楽家であった瀧廉太郎も23歳の若さで結核によって亡くなっています。代表作である「荒城の月」や「箱根八里」は音楽の教科書にも載っている曲なので、ほとんどの人が知っているのではないでしょうか。

樋口一葉

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「たけくらべ」などで有名な小説家である樋口一葉も、24歳の若さで結核によりこの世を去っています。2004年より五千円札の肖像として採用されていますので、ほぼ全ての人が樋口一葉の顔と名前は知っているはずです。

結核予防のために実施された対策に興味のある方はこちらもご覧になってください。

再開発されたかつての肝試しスポット

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この病院のようにかつては肝試しスポットとして有名だったものが、今となっては再開発され面影すら残っていないという場所が日本全国にはたくさんあります。ここではそのようなかつての肝試しスポットをいくつか紹介します。

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