映画『ドライヴ』で脚光を浴びたニコラス・ウィンディング・レフン監督がメガホンを取るかもしれないとの情報がありました。また競合の末、ソニー・ピクチャーズが映画化権を獲得しています。
しかし現時点でその映画が公開されたという情報は一切出て来ないないのです。エリサの遺族やホテルとの関係から、制作が頓挫したのかもしれません。
Contents
エリサ・ラム事件をあなたの目で確かめよう
不可解な事件が起きたいわくつきのセシル・ホテルを実際に訪れることもできます。事件を何も知らずに宿泊するお客もいるようです。興味のある方は一度泊まってみるのはいかがでしょうか。
このホテルはまだ営業している
先にこのホテルはまだ営業していると書きましたが、実はホテルの名称を「ステイ・オン・メイン・ホテル」と変えて営業しています。近年ブティックホテルとして修繕されました。口コミを見るとそれなりに評判はいいようです。
ホテルの場所や情報を紹介
ホテルの場所はロサンゼルス市街にあり、空港まで25分とアクセスしやすい立地です。観光地に近いのにやすらぎあふれる空間というコンセプトを売りにしています。
館内全室Wi-Fi無料、24時間セキュリティ、24時間対応のフロントデスクがあり、フィットネスセンターや娯楽室もあるようです。事件のことを知らなければ快適に過ごせそうですね!
他にもある!世界の不思議な事件
世界にはエリサ・ラム事件のように、捜査は打ち切りになったものの謎が多く残ったままの事件が数多く存在します。その中から有名な事件を2つ紹介していきたいと思います。
不思議な事件①ディアトロフ峠事件
この事件は1959年、ロシアがまだソビエト連邦だった頃に起きました。スノートレッキングをしていた男女9名が実に不可解な死をとげています。ロシアが捜査を引き継いでいますが、事件から60年が経過した2019年2月、自然現象が原因だとの見解を示しています。
事故現場の名称は「死の山」
惨劇は旧ソ連領のウラル山脈北部、ホラート・シャフイル山で起きました。ホラート・シャフイル山とはマンシ語で「死の山」という意味で、この事件の不気味さを煽る一因となっています。
マンシ語はシベリア北西部に住む少数民族マンシ人(ヴォグル人)が使う固有言語です。マンシ人が「死の山」と名付けた理由も気になるところです。
死亡したのはほとんどが学生
スノートレッキングに参加していたのは、現在のウラル工科大学の学生と卒業生でした。メンバーは男性8名、女性2名で21~25歳の若者がほとんどでした。全員が山岳遠征の経験者であり、スノートレッキングに関しての知識は十分持っていました。
メンバーの1人が離脱
道中、一行は最後の有人集落に到着し、いよいよ翌日からオトルテン山へ向かうという時、メンバーの一人が持病のリウマチにより登山を断念することになりました。
その人物はユーリー・ユーディン、この事件でたった一人の生存者となります。彼と別れた後、生きた9人と会った人は現在に至るまで見つかっていません。
その後の行動は現場に残された日記から推測
日記によると1月31日、一行はオトルテン山のふもとに到着します。そして帰路に備えて荷物の仕訳をしたりと準備をしました。翌日、オトルテン山へと進み始めますが悪天候に見舞われ、方向感覚を見失ってしまいます。
そして予定ルートから逸れ「死の山」へ登り始めてしまったのです。一行はやがて間違いに気づきますが、そのまま何の遮蔽物もない山の斜面にキャンプを設営しました。そして遭難します。
遭難に気づくのが遅れる
リーダーのディアトロフは登山を終えたあと、2月12日までにクラブに連絡先を入れることになっていました。しかし彼が離脱したユーディンと別れる際に、遠征が少し長引くかもしれないと話していたこともあり、2月12日を過ぎても連絡がないことを誰も特に気に止めていませんでした。
学生らの親族たちの要請により、2月20日ウラル科学技術学校は最初の救助隊を送ります。その後軍と警察も加わり、ヘリコプターや航空機を投入した大規模な捜索となりました。
遺体を発見
捜索が始まって1週間が経とうとする2月26日、捜索隊は死の山で切り裂かれた状態で雪に埋もれたテントを発見します。しかし中には誰もおらず荷物だけが残っていました。
靴を履いていない足跡をたどる
テントからは足跡が延びていました。それはなぜか靴を履いていない足跡だったり、片方だけ靴を履いた足跡でした。足跡はテントから近くの森に向かって続いていました。捜索隊は森の外れにある大きなヒマラヤスギの下に2人の遺体を発見します。なぜか2人とも下着のように薄着でした。
さらに3人の遺体を発見
木の下で2人の遺体を発見した後、ヒマラヤスギとキャンプの間で、さらに3人の遺体が発見されます。遺体は一人ずつ少し離れた位置で見つかりました。彼らの倒れ方はテントに戻ろうとして亡くなったことを示唆していました。
残りの4人は2月後に発見
残り4人の遺体は発見までに2ヶ月かかりました。ヒマラヤスギからさらに森に入った場所で、深い雪の下から4人は発見されました。この4人はいくらか服を着ており、先に亡くなったメンバーの服を身につけていたこともわかっています。
一行の死因は?
先に見つかった2人と3人は大きな怪我や損傷を負っていませんでした。そのため検視の結果、5名全員の死因は低体温症であると判断されています。
しかし後から見つかった4人のうち、3人は明らかな負傷をしていました。一人は頭部に大きな怪我を負っており、2人は肋骨をひどく骨折していたのです。しかも外傷を負っているわけではなく、とても強い圧力をかけられたかのようであったことと、1人の舌が無くなっていたことが奇妙な点です。
マンシ人の怒りを買った?
当初、先住民であるマンシ人が彼らの領土に立ち入った一行を襲ったのではないか、とする説が流れました。日記にも彼らがマンシ族と何度か遭遇したことが書かれていたのです。しかし現場には9人の足跡しか残っておらず、争った形跡も無いことからこの説は否定されました。
核実験の被害を受けた?
発見されたメンバーの一部からは高濃度の放射線が検出されました。当時のソ連は冷戦の真っ只中にあり、核開発に力を入れていました。現場の近くにはミサイルの発射基地があり、誤爆した核ミサイルの被害を受けたのてはないかというものです。
有力なのは雪崩説
現在有力とされているのが雪崩に合ったという説です。雪崩がキャンプを襲い、彼らは中からテントを切り裂いて脱出。衣服や靴なども雪崩で剥ぎ取られてしまったというものです。
遺体にあった傷は死後についたものであることがわかっています。また頭蓋骨などの損傷は凍結したことが原因だと見られることがわかりました。
真相は闇の中
結局のところ、9人が謎の死を遂げることになった原因は解明されていません。60年以上経った今でもさまざまな人が事件を探っていますが、ロシアが機密情報を管理しています。事件の真相を解くカギはロシアが握っていることで間違いないでしょう。
不思議な事件②マレーシア航空370便事件
まだ記憶に新しい方も多いと思います。この事件は2014年3月8日、いつも通り乗客と乗務員を載せた機体はクアラルンプールを出発し、北京へ向かっていました。しかし不思議な事に機体ごとどこかに消えてしまったという事件です。すでに捜索活動は打ち切られています。
長い間手がかりも見つからなかった
マレーシア、中国、オーストラリア、アメリカ、日本、ベトナム、イギリスなど様々な国の機関が捜索に協力しました。それにも関わらず、行方がわからなくなってからなんと1年以上も捜査が進展しないという不可解な事態となっていました。
200人以上乗ることができる大きな飛行機が忽然と消えてしまったのです。その為さまざまな憶測が生まれることとなります。
ついに機体の一部が見つかる
多くの人が事件を忘れてかけていた2015年7月、インド洋に浮かぶレユニオン島において、突如機体の一部と思われる残骸がみつかります。その時、行方不明になってからすでに一年以上が経過していました。
搭乗者は全員死亡?
搭乗していたのは乗員と乗客合わせて239名でその多くはマレーシア人でした。不可解な事に搭乗者は誰ひとりとして発見されていないのです。マレーシア政府は残骸が見つかるよりも前の段階で、早々に搭乗者の全員が死亡したと結論づけました。これに搭乗者の家族達は不信感を募らせました。
いったいどこへ消えたのか
370便も離陸後しばらくは管制に通信を行っていました。当局はどこまでの飛行を把握していたのか詳しく見ていきましょう。
ベトナム付近までは交信していた
離陸してから50分ほど飛行した頃、機体はベトナム南部の海上付近を通過したことは管制の交信により確認されています。しかしそれ以後無線機機器での通信は途切れてしまいます。尚、救難信号などは何も出されていませんでした。
引き返そうとした?
マレーシアの軍事レーダーの情報では、機体がクアラルンプールにまた戻ろうとした可能性があるとしました。そして南シナ海付近で機体を見失ったとしています。
消えたのはインド洋?
その後、政府は見解を変えます。イギリスの航空調査機関の調べで、機体が墜落したのはインド洋南部の模様だと発表したのです。まるで南シナ海から注目を反らしたいかのような動きです。
残骸が次々に見つかるが…
1年以上経っても何も発見されなかったこの事件。しかし最初の残骸発見を期に、その後機体の破片や荷物が多々発見されます。発見された地域はバラバラで、南アフリカ、モーリシャス、マダガスカル、モザンビークなどです。
マレーシア政府はしっかりとした調査結果が出る前に、これらを370便の一部だと発表しています。本当に370便の残骸なのかは不確実と言えるでしょう。
火災の可能性
少しずつ発見され始めた機体の一部ですが、その中に、焼け焦げた状態で発見されたものがありました。それはマダガスカルに漂着した機体の一部と乗客の物らしき荷物でした。そのため、墜落の前後に火災が起きていた可能性がでてきたのです。
火災の原因は整備不良?
実はこの370便と同じボーイング777型機ですが、衛星アンテナ部分に亀裂があることがわかり、アメリカの連邦航空局は各航空会社に警告を出していました。放置すれば空中分解の恐れもあるという重大な問題です。
また、370便の機体事態が以前に接触事故を起こていました。その際に主翼を修理していたのです。事故に関係があるのかはわかりませんが、、なぜかマレーシア航空は整備記録の公開を拒否しました。
ハイジャックされた?
実は370便に盗難パスポートを使って搭乗した人物が2名いたことがわかっています。それぞれイタリアとオーストラリアの盗難されたパスポートが使われていました。そして搭乗していた別人はどちらもイラン人でした。ハイジャックや人身売買の説も浮上しましたが、結局結論は出ていません。
機長自身がハイジャックした説
マレーシアは機長の個人問題にスポットを当てます。彼は野党の党首であるアンワル・イブラヒム氏と個人的な交流があるとともに、熱烈な支持者でした。
気になるのは離陸の前日に、アンワル氏が同性愛容疑で有罪となっていたことです。そのため、判決に不服があった機長が抗議を表すために乗客を巻き込んで自殺した可能性があると報じられました。
東シナ海でもインド洋でもなく?
政府はまた見解を変えます。軍のレーダーが西へ向かう370便をとらえたデータがあると言い出したのです。
そのためインド洋南部だけではなく、タイ北部にかけた海域に墜落した可能性が出てきたという見方を示しました。新たに捜索範囲が広がったため、捜索を立て直すことになりました。
今でも憶測が絶えない370機墜落事故
この事件はマレーシア当局の状況説明が二転三転したり、機長の政治問題がリークされるなど情報が錯綜しました。何かの陰謀なのではないかといった説もあり、今でも様々な憶測が飛び交っています。そして遺族からの真相究明を求める声は止みません。
いまだにウワサが消えないエリサ・ラム事件
話は戻りますが、エレベーターでの動画が世界中の話題となったエリサ・ラム事件。精神錯乱による事故または自殺なのか、はたまたホテルの呪いなのか。
捜査は打ち切りになっているものの、釈然としない部分も多く未だ人々の関心が強い事件です。今後、解析技術が進歩すれば、真相が暴かれる日が来るのかもしれません。
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