林真須美と和歌山カレー事件の現在|生い立ちや冤罪の可能性、息子の活動も

ただし、猟奇殺人などでは1人の被害者だとしても、社会的影響や年齢、背景などで基準を元に特に死刑判決は決まると言えます。基本的には永山基準が土台にはなっていますが、どういった事件がメインで1人の被害者でも採用されるのでしょうか。

永山基準によると、1人の被害者では死刑判決はないのが基本ですが、逸脱した判例ではあり得るのです。死刑判決が無罪になる例もありますが、様々な要素が加わって刑罰から抜け出たと言えるでしょう。そこには量刑が該当しない、確たる証拠や真犯人がいたことは確かかもしれません。

死刑判決は殺人事件だけではない

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死刑判決が下されるのは、殺人事件に限ったことではありません。1人の被害者の場合には、仮釈放中の無期懲役囚が事件を起こしたり、身代金誘拐で計画的以外でも死刑判決が下った例はあるのです。そこにも関係してくる事柄がありますが、残虐で不当な動機、なおかつ誘拐などでの判例もあるのです。

近年問題になった事件で指導者が直接犯罪を犯したわけではないものの、重大かつ社会的影響が大きかった地下鉄サリン事件では、死刑判決になった麻原彰晃などもいます。

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ほぼ「テロ」の指導者だった存在で、すでに執行されていますがこのような犯行もあり得るのです。基本的には1人の被害者では適用されないのですが、中にはテロの主導者も含まれます。

麻原彰晃の場合は「内乱罪」が適用されたのですが、直接関与ではなくテロの主導者が問われれる死刑判決です。自ら手を下さないから免れるわけではないことにも、注目しないといけません。

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過去の判例と死刑

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中には当然死刑判決から一転、逆転無罪などという事件はたくさんあります。ただし、それらは「新たな証拠」「真犯人」など様々な要素が絡んでいるのです。量刑不当とは、意見の食い違いからなる「理由齟齬(そご))や審理不尽などの理由で再審請求できることを指します。

ただ、あくまで食い違いや納得のいかなさなので、再審請求自体はできるのです。死刑判決を言い渡されて、量刑不当で再審が認められたことは昭和を最後にありません。判例は日々変わっていくので、今後どうなるかは不明です。

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どこでどう転ぶか分からないのが裁判なので、被害者に考慮しながら判例にも関心を持つのはいかがでしょうか。また前に述べたように、本来の基準の見直しも検討されているのが実態なのです。

そこには事件の残虐性や、年齢層が若くなってきていることも理由に挙げられるでしょう。ただし、1つの事件がきっかけで判例が変わることは大いにあり、冤罪判決の事例も中にはあるのです。それは量刑ではなく、新たな証拠や真犯人が現れた時が多いことが伺えます。

日々判例は生まれている

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判決は1つの事件に限って決められるものではありません。新たな判例は生まれ、弁護人や検察側はその判例を用いて答弁をし、裁判官がその判例を見て捉えて他の事案とも照らし合わせて判決が下ります。日々判例は新しく生み出されていることが言えるからです。死刑判決だけでは特に重い刑罰が言い渡されますが、諦めずに向き合っていると、それが判例として後々残る場合もあるでしょう。

「どこでどの判決が下った」という点を踏まえて、日々変わることがあります。それはとても大きいことのようで、実は意外に近くでもあり得ることができるのではないでしょうか。ではどこで判例の変更は認められているのでしょうか、決して裁判官1人の判断ではありません。

判例の変更は慎重さが求められる

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1つの事件を左右することが伺える判例ですが、日々変更がなされるといっても公正でなければいけません。最高裁判所(最高裁)で慎重さが最も求められることも、判例の変更に必要なことです。当然裁判官が自由に変更できる、容易なことではないことが伺えます。

しかも数多い判例を照らし合わせて、公正に判断することは容易なことではありません。判例委員会という場所があり、適切に判断されますが相当数ある事件を比べなければならないのです。決して最高裁のみで判断して、裁判官が変更するのではなく、判例委員会の中での取り決めがあります。

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そこで適切か否か判断する上に、何でも新しいのではなく、上級審の判例が優先されることのなっているのです。最も影響力の高い、上級クラスの判例が新しさより最優先されるのは当然とも言えるでしょう。

それだけ死刑判決を決めるのは容易なことではないのです。現在では裁判員裁判によって、量刑のあり方が問われることは確かで、冤罪をこれ以上防ぐための取り組みもなされているのでした。

林真須美の動機は不明のまま死刑は執行されるのか

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林真須美の過去や生い立ち、または冤罪の可能性もあることにも触れましたが、どう感じたでしょうか。本当に死刑判決は妥当だったのか、それとも冤罪なのでしょうか、長男の話にもあったように真相を知りたい声は多くあることでしょう。和歌山カレー事件では、負傷者や死者が出た大惨事であり、風化させてはいけない事案でもあります。

林真須美の訴える再審請求の行方は今後どうなっていくのか、本人は恐怖を抱いていることです。同時に遺族こそ真相を知る権利は当然あることが言えます。また、答えはどうでも良いから、早く忘れ去りたいと願っていること人たちはたくさんいるのではないでしょうか。そして時間が取り返せるなら、と願うのが遺族の心の叫びなのはいうまでもありません。

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基準を考えてみても、今回の事件はどのような結末を迎えることになるか、動機が不明のまま死刑は執行されるのでしょうか。言えることは、林真須美は日々執行の日に怯えつつ再審を願っていること、そして一番は遺族の感情が重点だということです。言えることは、林真須美は日々執行の日に怯えつつ最新を願っていることです。

また家族の葛藤もそれに応じて続いてくことでしょう。それと同時に今尚傷の癒えない遺族がいることも確かなことで、恐怖心は簡単に拭えるものではありません。解決したように思える事件は、関係者の目には鮮明に昨日のことのように映るのは確かなことです。死刑判決は下りましたが、執行されたわけではないのです。

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このまま死刑が執行されるか否か、見守りつつ、忘れたいけど忘れることができないと葛藤する遺族がいることを頭に置いてなければいけません。一番苦しいのは遺族ですが、まだ幼かった命もある中、失われたのはそれだけではなく遺族の心に空いた空白の時間でしょう。

大惨事がこれから先できる限り起こらないことを願いつつ、事件がどうなるか行方を目に焼き付けておくこともまた大切ではないでしょうか。同じことが繰り返されないための教訓とするため、そして眠れない日々の中の遺族のためでもあります。

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