豊田商事とは
1981年に設立され、消費者との間で現物のやりとりをしない商法(ペーパー商法)で急成長し、なんと設立から4年でその商法が社会問題になり、国民生活センターなどによってこの会社関連の電話窓口が設置されるほどの被害を広げた会社です。
悪徳商法で名高かった企業
豊田商事は先述した詐欺まがいのペーパー商法のほかさまざまな悪質な手口により、たった数年で巨万の富を築きあげ、その悪名を全国に轟かせました。被害総額は約2,000億円と推定されています。事件後30年以上たった2019年現在でも、詐欺事件としては最高の金額だそうです。
昭和60年の会長刺殺事件でも有名に
1985年とは今から34年前ですが、この年6月に会長である永野一男が、大阪のマンションで被害者の元上司に当たる男2人に銃剣で殺されました。今の常識では考えられない事にマスコミがそれを生放送しました。
豊田商事は系列会社を持っており、その下に詐欺まがいの営業をしていた会社がいくつもありましたが、上記の事件の数か月後、その系列会社各社が大阪地方裁判所で次々と破産宣告を受けることで一段落しました。
豊田商事会長刺殺事件の概要
詐欺まがいの商売の末、永野会長がまさに逮捕されるかというとき、会長が銃剣で殺されるという事件が起こりました。この事件では令和の現在では考えられないようなことが起きました。それでは事件の詳細を見ていきましょう。さらにこの事件についてもっと詳しく知りたい方はこちらの記事がおすすめです。
逮捕当日自宅に男二人が乱入
1985年6月18日、大阪市北区のマンションに住む豊田商事会長・永野一男の元に、その日逮捕されるという情報を聞きつけた報道関係者が押し寄せていました。16時半ごろ、詐欺被害者の元上司に当たる男2人(飯田と矢野)が永野の自宅前に現れました。2人は見張りの警備員に対し永野に会わせるよう詰め寄りました。
連絡を取るために警備員がいったん立ち去ったあと、犯人らは元部下の6人から、金のことはもういいから、とにかく永野を殺してほしいと求められたとマスコミに語りました。犯人らは玄関横にある通路に面した窓ガラスを割って侵入し、永野の全身13カ所を銃剣で刺しました。
会長殺害の様子がTVで生中継されてしまう
テレビでのコンプライアンスが重要視されている現在では考えられないことですが、昭和60年という時代では殺害の様子がTVで生中継されたでのす。もちろん殺人犯が永野を殺害している様子が撮影されたわけではありません。
しかし永野がいた室内に犯人が侵入する様子、血だらけの永野が搬送される様子が生々しく放送されました。このショッキングな映像を子供に見せないようアナウンサーが慌てて視聴者に呼びかけました。後に発売された週刊誌FOCUSでは犯人のうち一人が瀕死状態の血まみれの永野を抱え、もう一人が銃剣を持った衝撃的な写真が誌面を賑せました。
豊田商事の概要
悪い意味で歴史に残るであろうこの会社は、実際どのような会社だったのでしょうか。詐欺や殺人があった物騒な会社の外部をここまでご紹介してきましたが、これから内部、更に深い所を探っていきましょう。もしかしたら知らないだけで、こんな会社が自分の勤める会社のすぐそばにあるなんてこともあるかもしれません。
全国60の営業所・従業員数7000人
信じがたいことにたった3年から4年の間に日本全国で60もの営業所、そして7000人の従業員、さらには5~6万人の買い手を集めました。そしてその5~6万人の買い手からだまし取った金額は2000億円に達したのです。
被害額は2000億円
2000億円という被害額は、あまりにも金額が大きすぎでピンと来ない人が多いかと思いますが、東京ディズニーランドの建設費が1,580億円、新国立競技場の建設費2,520億円ですので、その規模の大きさは計り知れませんね。
豊田商事の成り立ち
悪名高い会社ですが、最初から人をだましたお金で稼ぐことを目的として設立されたのでしょうか。そうは思いたくないものですが、その歴史はどんなものだったのか、始まりから紐解いてみましょう。
東海地区で先物取引をスタート
世間の認識では豊田商事は大阪の会社というイメージがあるかもしれません。しかし最初は東京の会社でした。はじめは主に名古屋などの東海地区で金地金(金の延べ棒)の先物取引を行っていたのです。
金の延べ棒とはいうものの、現物を売るのではなく、先物取引ですからお客さんと取引をする時点では現物の代わりに名ばかりの証券を引き換えにしていました。これが後にペーパー商法と呼ばれる詐欺手口のベースなのです。
追い出されて関西へ移転
しかしやはり詐欺まがいの商売は世論の批判の的となった末、東海地方から追放されました。追放された後は大人しくなるということもなく、したたかに営業場所の中心を大阪に移し、その後も営業を続けたのでした。
豊田商事の詐欺の手法とは
わずか数年で2000億円の被害額をたたき出した詐欺の手法とはどんなものだったのでしょうか。自分が冷静でいられるときに説明されると「なんだ。そんな簡単な手口なのか。」と思うものです。しかしこれだけの人数の大人が騙されたのですから、その手法はかなり巧妙だったことが想像できます。これから詳細に紹介します。
「純金ファミリー契約証券」
最初に金の現物を売ったフリをして、その現物をすぐに豊田商事に預けさせます(現物はないので預けさせるというのもフリになります)。その預けた金の利息を払うと言い、「純金ファミリー契約証券」などというものを購入者に渡すのです。このように一連の流れの中で、現物が登場せず価値のない紙切れを使うことからぺーパー商法と呼ばれました。
この手口がうまくいった理由の一つに、ドルショックなどを通して日本人が金に注目していたというバックグラウンドがありました。人々の関心をいち早く嗅ぎ付け、それを追い風にしていたわけです。
社会的弱者を狙う
詐欺では社会的弱者を狙うのは常套の手段ですが、豊田商事も例外ではありませんでした。まじめに働いて貯金してきたご年配の夫婦や一人暮らしのお年寄り、母子家庭や体に障害を持った方のたくわえに狙いをさだめ、お金をだまし取ったのです。
豊田商事の詐欺の手口
これまでは詐欺の具体的な内容を紹介してきましたが、今度は従業員たちが日々どのような活動をして稼いでいたのか、その手口を詳しくみていきましょう。どれも恐ろしく許しがたい手口といえるでしょう。
テレホンレディが目星を付ける
電話を掛ける前に調べるということをせず、まずテレホンレディと呼ばれる女性社員が無差別に電話をかけまくります。テレホンレディの電話セールスでの会話から、もう少し押せば何とかなりそうな人物に当たりをつけます。
人情・脅しで働きかける
孤独な一人暮らしのお年寄りを狙って、自宅に押しかけ一緒に時間を過ごすことで、親密になって人情に働きかけます。人情でダメなら次は脅しです。自宅に上り込んで長時間居座って脅し続けるのです。
自宅以外の場所なら逃げ出せばいいのですが、自宅である以上逃げ場がありません。住所を知られている限りこちらが折れるまで何度も豊田商事の社員が現れます。引っ越しにもお金がかかりますし、引っ越し先まで追いかけられる可能性を想像すれば、被害者の方は逃げ場がないように感じたでしょう。
最初は少額を買わせて後から増額
上記のような悪質な手口で迫られたら、少し買って解放されるなら買おうという気持ちになってしまうのも頷けます。精神的に疲れて正常な判断ができなってしまう被害者が続出し、なし崩し的に買わせる金額を増やし、挙句の果てには通帳や印鑑をキープしお金を搾り取っていたようです。その他詐欺事件に興味のある方はこちらの記事もご覧ください。