悪い意味で歴史に残るであろうこの会社は、実際どのような会社だったのでしょうか。詐欺や殺人があった物騒な会社の外部をここまでご紹介してきましたが、これから内部、更に深い所を探っていきましょう。もしかしたら知らないだけで、こんな会社が自分の勤める会社のすぐそばにあるなんてこともあるかもしれません。
全国60の営業所・従業員数7000人
信じがたいことにたった3年から4年の間に日本全国で60もの営業所、そして7000人の従業員、さらには5~6万人の買い手を集めました。そしてその5~6万人の買い手からだまし取った金額は2000億円に達したのです。
被害額は2000億円
2000億円という被害額は、あまりにも金額が大きすぎでピンと来ない人が多いかと思いますが、東京ディズニーランドの建設費が1,580億円、新国立競技場の建設費2,520億円ですので、その規模の大きさは計り知れませんね。
豊田商事の成り立ち
悪名高い会社ですが、最初から人をだましたお金で稼ぐことを目的として設立されたのでしょうか。そうは思いたくないものですが、その歴史はどんなものだったのか、始まりから紐解いてみましょう。
東海地区で先物取引をスタート
世間の認識では豊田商事は大阪の会社というイメージがあるかもしれません。しかし最初は東京の会社でした。はじめは主に名古屋などの東海地区で金地金(金の延べ棒)の先物取引を行っていたのです。
金の延べ棒とはいうものの、現物を売るのではなく、先物取引ですからお客さんと取引をする時点では現物の代わりに名ばかりの証券を引き換えにしていました。これが後にペーパー商法と呼ばれる詐欺手口のベースなのです。
追い出されて関西へ移転
しかしやはり詐欺まがいの商売は世論の批判の的となった末、東海地方から追放されました。追放された後は大人しくなるということもなく、したたかに営業場所の中心を大阪に移し、その後も営業を続けたのでした。
豊田商事の詐欺の手法とは
わずか数年で2000億円の被害額をたたき出した詐欺の手法とはどんなものだったのでしょうか。自分が冷静でいられるときに説明されると「なんだ。そんな簡単な手口なのか。」と思うものです。しかしこれだけの人数の大人が騙されたのですから、その手法はかなり巧妙だったことが想像できます。これから詳細に紹介します。
「純金ファミリー契約証券」
最初に金の現物を売ったフリをして、その現物をすぐに豊田商事に預けさせます(現物はないので預けさせるというのもフリになります)。その預けた金の利息を払うと言い、「純金ファミリー契約証券」などというものを購入者に渡すのです。このように一連の流れの中で、現物が登場せず価値のない紙切れを使うことからぺーパー商法と呼ばれました。
この手口がうまくいった理由の一つに、ドルショックなどを通して日本人が金に注目していたというバックグラウンドがありました。人々の関心をいち早く嗅ぎ付け、それを追い風にしていたわけです。
社会的弱者を狙う
詐欺では社会的弱者を狙うのは常套の手段ですが、豊田商事も例外ではありませんでした。まじめに働いて貯金してきたご年配の夫婦や一人暮らしのお年寄り、母子家庭や体に障害を持った方のたくわえに狙いをさだめ、お金をだまし取ったのです。