災害などの諸事情により他のコマーシャルが流せなくなった際に代わりに流れるACジャパンのCM。東日本大震災の時にあまりにも流れすぎたことでネタに転用されるようになりました。「ぽぽぽぽーん」という台詞が印象的な「あいさつの魔法」、「こだまでしょうか?いいえ誰でも」の2つの映像がメインとして使われることが多いです。
VS架空請求シリーズ
架空請求詐欺の電話の声と、キャラクターや実在の人物の台詞を掛け合わせて実際にそのキャラクター(人物)が架空請求詐欺の電話を受けているように見せるネタです。現実では気を付けなければいけない架空請求ですがネットの中では強烈な電話相手に翻弄されるパターンが多いです。
ニコニコ動画には他にも豊富にMAD動画の素材として使える楽曲やネタが存在します。未だに玉井さんのMAD動画として使用されていないネタも多く残っていますから、気になる人は調べてみたり、動画編集に自信がある人は自分で作ってみても良いかもしれませんね。そんなネタの中の1つ、わかるマンの記事もご覧ください。
Contents
当時は普通だった?暴走族の紹介ビデオ
玉井さんが人気を博す切っ掛けとなったのは暴走族を特集したビデオでした。暴走族の特集ビデオ?と現代の皆さんは疑問に思うかもしれません。暴走族の全盛期だったその頃には暴走族のビデオはそれほど珍しいものではなかったのです。
当時は暴走族を紹介するビデオが時々撮影された
暴走族が全盛期であった頃には、雑誌などで暴走族の特集が組まれたり暴走族を紹介するビデオが撮影されたりすることが珍しくありませんでした。それほどまでに暴走族は世間の注目を集めていました。
暴走族の紹介ビデオと言っても、実際に走行中の映像が使われるのはビデオの最後の数分くらいで、ビデオの中心となるのはチームの自己紹介や宣伝、いわばプロモーションでした。並び方や衣装などで個性のアピールを行っていました。
暴走族に憧れる不良が多かった
社会現象を起こす程に広がった暴走族ブームの背景には、多くの若者(主に不良)が暴走族に憧れを抱いていた事が挙げられます。当時は警察も暴走族に対し特に厳しい取り締まりを行なってはいなかったのです。そのため、沢山の不良が暴走族に参加していきました。
玉井さんの現在について
ネット上で大きな注目を集めた玉井さんですが、彼は今一体どこで何をしているのか詳しいことは分かっていません。ネット上では彼の今に関して色々な噂が交わされました。彼の現在に関して、分かっている情報や発生した噂を紹介します。
現在でもバイクに乗っている
今はもう暴走族の世界から足を洗った玉井さん。その消息は詳しくは分かってはいないのですが、彼と同一人物だと思われる男性がバイク雑誌に載っていた事があったのです。仮にその男性が彼本人だとしたなら、彼のバイクへの愛情は今でも健在であると言ってよいでしょう。
結婚したとの噂も
玉井さんは婚約をしているという噂があります。ある時期から、ニコニコ動画のコメントに「結婚おめでとう」といった祝福のコメントが多く書き込まれるようになりました。彼の今の年齢は正確には分かりませんが、ビデオの撮影された時期から考えると婚約をしていてもおかしくはありません。
また、彼が手づくりアクセサリー屋で結婚指輪を作ったという情報も存在します。一方でそのアクセサリー屋は京都にあるため、関東在住なはずの彼とは別人なのでは、はたまた京都に引っ越したのでは、とも言われています。
玉井さんは初音ミク好き
あるバイク好きの人のブログによれば、現在の彼が使用しているバイクにはシートの裏にボーカロイド初音ミクが描かれており、初音ミクが好きなのでは?との噂もあります。そのバイクもカスタムされたバイクであり、彼のバイク愛はここからも伺えます。
さらに、彼はニコニコ動画で自分が話題となっていることを知っている、という噂も囁かれています。この噂が本当なら、初音ミク好きと合わせて彼は意外とインターネットに詳しいのかもしれません。
玉井産婦人科医院に勤務している?
埼玉県北葛飾郡杉戸町に玉井産婦人科医院という名の病院があり、「埼玉」と「玉井」という2つのキーワードから、彼はその病院で勤務しているのでは、その病院の院長の血縁者なのではという噂まであります。
この病院の院長である「玉井さん」の本名は玉井輝章さん。約50年近く地元で活躍をされているお医者さんです。ネットで話題を呼んだ「玉井さん」とは苗字が同じなだけで別人であり、この方の血縁者の可能性も確証の得られる証拠は存在しませんでした。
当時の暴走族はどんな存在だったのか
川越総本部毘沙門天が埼玉エリアの覇権を握っていた当時は、暴走族の全盛期でもあります。その頃の暴走族とはいったいどんな存在であったのか、規模はどれくらい大きかったのか等、詳しく解説していきます。
ピーク時は全国で4万人を超えていた
暴走族の人数が最も増加したのは1980年代です。1982年には最大で4万2510人を記録していました。しかしながら、1978年に道路交通法に新規定が追加され、また暴走族の取り締まりも段々と強化がされ始めたりしたことにより、その後は減少を続けていきます。
少年たちの憧れの存在だった
当時の暴走族は既存の観念を打ち破る斬新なファッションや言動を行い、未成年の少年らにとってはかっこよく憧れの対象でした。そういったこともあって、未成年の暴走族参加者が非常に多かったそうです。
現在では全国で5000人に減少
そんな栄華を誇った暴走族たちも、取り締まりの強化、少子化などの原因により段々と数を減らしていきます。今日ではもう全国でも5000人程度しかおらず、1グループの構成人数も最盛期の3分の1ほどにまで減少してしまっています。
玉井さんはバンド活動もしていた?
玉井さんに関するさまざまな噂の中には、「彼はバンドを組んで音楽をやっていたことがある」という話までありました。果たしてこの噂は本当なのか、いったいどこから誕生した噂なのかを解説していきます。
玉井さんは暴走族一筋
そもそも玉井さんはバイクをこよなく愛する男であり、バイクに情熱を注ぎ暴走族一筋で生き続けてきました。言ってしまえば音楽とは無縁の生活を送っていました。では何故バンド活動などという噂が立ったのでしょうか。その原因にはまたもやニコニコ動画が関わっていました。
MAD動画から発生したデマ
MAD動画のうちの1つに、バンドの映像を編集して玉井さんの台詞を入れた動画があります。バンドの映像は彼とは無関係のものですが、クオリティが非常に高く「バンドを組んで音楽をやっている」とあまりよく知らない人が勘違いを起こしてしまったことがバンド活動説の発端でした。
そのバンド動画はとてもクオリティの高い動画であったため、ニコニコ動画には楽曲を実際に演奏してみたり、台詞も含めて歌ってみたりした動画まで登場していきました。勘違いを起こしてしまうのも仕方がないのかもしれませんね。
玉井さんが乗っていたバイクは?
暴走族の象徴とも言うべきバイク。今でも玉井さんと思わしき男性がバイクの雑誌に掲載されていたという情報があったように、彼はバイクに大きく情熱を注ぐ男であるのが分かります。暴走族時代の彼の愛車についてより詳しく見ていきましょう。
玉井さんの愛車「紫キャベツ号」
玉井さんが暴走族だった時代の相棒は、その名も「紫キャベツ号」。名前の由来は紫色のペイントに白色のラインが紫キャベツにそっくりだったからです。バイクに情熱を注ぐ彼は暴走族を引退した今となっても、この紫キャベツ号を保有しているそうです。
現在でも人気のあるホンダのCBX400F
紫キャベツ号の素体として使われたのはホンダのCBX400Fです。1981年から1983年にかけて製造されたバイクで、1984年に一度販売が終了するもマニアの人たちによる強い希望によって再販がされるなど人気の高い車種です。販売が終了した今においてもCBX400Fを求めるマニアが少なくありません。
CBX400Fの特徴は4ストローク4気筒エンジンを搭載しているロードスポーツモデルだということです。400ccクラスとしては、1977年に生産が中止されたドリームCB400FOURという車種以来となる4気筒エンジンを搭載しています。
玉井さんは昔も今もみんなの憧れ
バイクを愛し、義理堅く、漢気のあふれる孤高のリーダー玉井さん。その漢らしい姿は今も昔も多くの人を魅了し続けていました。彼はもしかしたら今もどこかで、愛する自慢のバイクに跨って街を走り抜けているのかもしれません。
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